複雑・ファジー小説

ハラワタ共同体。 ( No.17 )
日時: 2012/05/05 15:40
名前: 緑川 蓮 ◆jNZRGbhN7g (ID: U.L93BRt)




 目の前で大人の人たちにメダマちゃんがさらわれた。抱きかかえられて、あっという間に。
大人の人たちにつかみかかろうとしたら簡単に跳ね除けられてしまった。悔しくて、大人の一人の足に噛み付いた。景色がぐるんと回った。蹴り飛ばされた。前歯が一本折れた。メダマちゃんごと、乱暴に白いバンの車に投げ込まれた。
大人たちが僕らを縄で縛ろうとするので、めちゃくちゃに暴れてやった。そうしたら、足をナイフで思いっきり刺された。気絶することは出来なかった。叫ぼうとしたら大きな手で口を塞がれた。口を塞がれて、涙と一緒になって、きっと僕の顔はもみくちゃになっていただろう。手と足を縛られて、口にガムテープを貼られて、押し倒された。
倒れた先に、メダマちゃんの顔があった。メダマちゃんは細かく震えていた。それでも無理に笑って、メダマちゃんは僕に言った。

「大丈夫だよ」。



   ♪



 ふと、白いバンが通り過ぎるのを見てしまったのがいけなかった。家の前で思い切り胃液をぶちまけてしまった。ちくしょう、気分は最悪だ。
嗚咽が止まらない。呼吸が苦しくなる。胸の辺りを見えない板で強く押されているようだ。その内に立っていることすらできなくなって、道端にうずくまる。幸い僕の家の周りは他の家すら見当たらないので、誰も見ている人はいないはずだ。
メダマは僕の顔を覗き込んでいる。相変わらず表情はほとんど変わらないけど、それでも心配してくれているのがわかる。
あの時、僕は何もできなかった。だから、今度は絶対に、守らなくちゃ。だから、くだらないことでメダマに心配かけるわけにはいかないと思った。

「大丈夫だよ」。

僕はメダマに言った。心なしか、メダマの表情が少し緩んだような気がした。
 事件の後から、メダマは途端に喋らなくなって、滅多に表情を変えなくなった。
それから、左目を隠すように包帯を巻くようになった。いつも白いワンピースを着るようになった。学校にも行かなくなった。
僕も、学校に行かないことが増えた。それから今みたいに、少しでもあの事件を連想させるものを見ると、心が死にそうになる。
事件の直後よりはマシになったのかもしれないけれど。あのころは、事件のことを思い出すたびに狂いだして、顔を掻き毟ったり、果物ナイフで手術の痕を刺していたそうだ。
小学校でもそんなことが何度か起こるうち、誰も僕に近寄ろうとはしなくなった。
転校した先でも事件のことは知られていた。何より皆はこんな顔の僕を避けるから、どこにも居場所は無かった。
それでもメダマは、ずっと一緒に居てくれている。メダマだけは、僕から離れようとしなかった。
メダマ、ありがとう。
どういたしまして。メダマがそう言った気がした。
 ようやく立てるようになってきた。ふらふらと、なんとか立ち上がって玄関のほうへ向かう。足取りがおぼついていないことが、自分でもわかった。
ポケットから取り出した鍵を、鍵に差し込む。鍵を回すと、手ごたえが無かった。
あれ、母さん、今日は仕事が無いのだろうか。朝はそんなこと言ってなかったように思うけど。

「ただいま」。

ドアを開けて家の中に足を踏み入れる。家の中の灯りはついていない。おかしいな、やっぱり帰ってきていないみたいだ。
家の中の様子を不審に思った、その、とき

靴棚の陰から、知らない男の人が、ナイフを持って、僕に向かってきた。

『それはね、最近この町で何件か殺人事件が起きてるだろ?』。

不意に、そんなことを網代が言ってたのを思い出した。



   ♪



 日中、この家に人がいないことは知っていた。この家は母子家庭で、母親は日中仕事に出ていて、息子は学校に行っていて、いない。
それでいて、何も無い場所ではあるけど、こんな家に住んでいるのだからある程度の蓄えがあることも予想がついた。
だからこの家を狙ったのだ。
ピッキングは上手くいった。簡単に鍵をこじ開けて、家に上がって、まず真っ先に探したのはタンスだった。しかし、タンスを開けても衣類ばかりで、目当てのものは見つからない。
その後しばらく家の中を漁って回った。しかし、どこにも無い。もしやと思って玄関のほうへ向かう。
靴を並べてある棚に、ひとつだけ靴の箱があった。それを取って蓋を開けると、はたして、その中には小さな金庫があった。大当たりだった。
金庫には小さなダイヤル式の鍵がついていたので、無理やり壊して開けた。中には判子と通帳が入っていた。しめた、これを持って早く逃げてしまおう。
そう思ったときだった。外から、人間がものを吐くときのような不快な音が聞こえた。
あわてて靴棚の陰に身を隠す。息を潜めて様子を伺う。心臓の音がうるさい。
落ち着け、誰かが帰ってきたとしても、どうせ女かひ弱そうな子供のどちらかだ。この家の中に入ったのが俺だという証拠は、何一つ残していない。
しばらく音沙汰が無い。それでも警戒し続けていると、案の定、がちゃ、と鍵穴が鳴る音がした。
大丈夫だ。入ってきた奴を殺せば万事解決する。そう思った。
ドアが開いた。俺は物陰でナイフを握り締める。

「ただいま」。

声で、帰ってきたのは息子のほうだとわかった。
物陰から飛び出して、少年にナイフを突き立てた。