複雑・ファジー小説

ハラワタ共同体。 ( No.22 )
日時: 2012/05/06 14:43
名前: 緑川 蓮 ◆jNZRGbhN7g (ID: U.L93BRt)




 僕がふらついていたのは不幸中の幸いだったかもしれない。突然のことに驚いた僕は真後ろにひっくり返って、ナイフを避けることが出来た。倒れた僕の足につまずいて、知らない男の人が僕に覆いかぶさるように倒れる。男の人もびっくりしたようだ。チャンスだと思った。いつも手首を切るのに使っているカッターナイフをポケットから取り出して、見知らぬ男の、ナイフを持った右手の手首に突き刺す。男が短い悲鳴をあげた。カッターを抜いてもう一度刺す。とうとう男の手からナイフは離れた。僕の頬をかすってナイフが落ちる。それを掴む。迷わず男の喉に突き立てた。すぐに抜く。生温かい血が僕の顔面に大量にかかった。今度は右目に突き刺す。ぶりゅっ、という感覚が手を伝わった。またすぐに抜く。男はのけぞって仰向けに倒れた。左目も潰す。男の喉からはひゅーひゅーと息が漏れ出すばかりで、まともに悲鳴をあげることができない。構わない。今度は胸に突き立てる。今度はすぐには抜かないで、持つところをぐりぐりとひねって胸の中をかき回す。男は痙攣した。もう少し深く突き刺す。男の身体が一際大きく跳ねた。ナイフを抜く。今度はおでこに突き刺す。

「あっ」。

男が、小さな声をあげて全身をびくりと震わせた。それきり男は動かなくなった。ナイフを抜くと、ぴゅっ、と血が一度だけ噴き出した。
今度はおへそのあたりにナイフを刺した。男の反応はない。刺したままナイフを動かして、男の腹を切り開く。切り開くと、もう少しナイフが入りそうだったので、ナイフを持ったまま手を男の身体の中に潜り込ませる。ナイフのおかげか、多少つっかえはしつつも、僕の手はどんどん男の身体の中へ入っていった。ぶつぶつを何かが切れるような感覚がたくさん手に伝わってくる。そのうちに、ナイフの先がこつりと何かに当たる感覚がした。これは骨だろうか。ナイフで切れるかどうか試してみたけど、出来なかった。仕方がないので男の中から手を抜いた。
次は男の首元にナイフを添えた。首を切り落とそうとしたのだが、これがなかなか時間がかかった。魚をさばくようには切れず、何度も何度もナイフを突き立てて、ようやく男の頭を取ることが出来た。それで、切り取った男のあごの下からナイフを突き刺す。今度は簡単に刃が通った。ナイフが男の下あごを貫通した。そのままナイフを動かして、男のあごを切り取る。下あごを切り取ると、上あごの中が丸見えになった。とりあえず、そこにナイフを刺してみた。結構硬かった。なので喉に近いほう、やわらかいところに刺す。ぐちゃぐちゃしたような、変な手ごたえだった。これはなんだろう。硬い上あごにナイフを引っ掛けて、てこの原理でそれを剥いた。ぱきゃ、という感覚がした気がした。上あごを剥くと、中にはよくわからない赤色のものがたくさん詰まっていた。それを見て、また吐いた。さっきも吐いたから、今度は胃液しか出てこなかった。男の頭がどんぶりで、その中に僕の胃液が入っているようだった。きたないので投げ捨てる。次は、男の首の断面にナイフを刺した。今度はこっちを探索することにしたのだ。しかし思うようにナイフは入っていかなかった。そろそろナイフの切れ味が悪くなってきたのだ。つまらない、と思った。台所から包丁を持ってこようかと思ったけど、それをやると後で自分たちが困りそうな気がするのでやめておこう。
見上げると、メダマが僕の隣に立っていた。メダマはいつもの通り無表情だった。

「ね、見てメダマ。僕また殺しちゃった」。

メダマは頷いた。それで、僕の隣に座り込んだ。この男を殺したのは仕方のないことだ。そうでもしなければ、あの男は僕を殺した次に、きっとメダマのこともナイフで刺すつもりでいただろう。僕は、メダマを守ったのだ。そう思うとお腹の奥から、言い表せない、充足感みたいなものが沸いてきた。それでまた、改めて実感する。ああ、僕はメダマを守るために、メダマと一緒にいるために生きているんだって。すごくうれしかった。
 気付けば、もう外は日が落ちているようだった。いけない、晩御飯を作らないと。その前にさんざ散らかしてしまったけど、これはどうしよう。このままにして放っておいたら怒られてしまいそうな気がする。とりあえず家の裏の茂みに投げておこうか。血は、ぞうきんで拭くしかないのだろう。どうして何事をするにも、後片付けってついて回るのだろう。折角の幸福感が台無しだった。
 今日の晩御飯は何にしよう。くたびれた人形のようになった、首から上のない男を引きずりながらぼんやりと考える。真っ先にトマトスパゲティが浮かんだけど、なんとなくそれはやめておきたかった。冷蔵庫には何があったっけ。確か、さんまがあったはず。じゃあ今日はさんまの塩焼きにしよう。母さんが文句を言う様子がありありと頭の中に浮かんだ。なんでも、小骨を取るのがめんどくさいらしい。いい大人なんだから、そんなことで文句言わないでほしいといつも思う。こんなことを考えられるだけ、今日も日本は平和だなあと思った。