複雑・ファジー小説
- ハラワタ共同体。 ( No.23 )
- 日時: 2012/05/07 18:53
- 名前: 緑川 蓮 ◆jNZRGbhN7g (ID: U.L93BRt)
「ごめん、おれは今日も早く帰らなくちゃいけないから。まだ引っ越してきたばかりだから、家の荷物の片付けが済んでいなくてさ」。
いくら探偵稼業のために日本を飛び回っているおれだって、それなりに学園生活を楽しみたいという気持ちはある。だというのに二日も続けて、自ら好意を示してくれるクラスメイトたちの誘いを断るのは本意ではない。まあ、仕方がないと思ってあきらめておくしかない。
「健気な女の子のアタックを無視するなんて、酷い男だと思われてしまうからね。そうだろ、漆間さん」。
神社に繋がる石段の前で後ろを振り返る。案の定、長い黒髪をポニーテールに結った女子、漆間綾はおれの背後についてきていた。
その3【ラヴ・パペット】
「私が好きなのはあんたじゃないって知ってるでしょ」「知ってる」「じゃあそういう冗談やめてよ」「不愉快?」「当たり前でしょ」。
漆間綾はあからさまに不機嫌そうな口調でおれをまくしたてる。乙女心は難しいだとかよくあちこちで聞くけれど、なるほど、納得がいった。同時に、くそ、こんなややこしいことになるなんて、とも。
漆間綾。この少女は、美波掌に恋愛感情を抱いている。それは本人も自認していることであり、間違いはないだろう。そして、それがあまりにも厄介なのだ。
おそらく、この田舎町で起きている連続殺人事件の犯人はその美波掌という少年だからだ。
このまま漆間綾が美波掌に近づこうとすれば、今度は彼女が殺されかねない。しかし、美波掌が殺人を犯しているという証拠が挙がっていない。
おれは、漆間綾を利用することにした。『美波掌との仲を取り持つ』という名目で、彼女を支配下に置き、彼女と美波掌の仲を管理する。これにより漆間綾が美波掌によって殺害されることを未然に防ぎ、漆間綾を介して、美波掌にそれとなく探りをいれる。
おれがしっかりしていれば、漆間綾を危機に晒すこともない。昨日と一昨日の会話を通して解ったが、美波掌は『あの事』にさえ触れなければ到底他人に危害を及ぼすような人物ではないからだ。
とはいえ、それは人としてやっても良いのか。流石に抵抗がある。
事件解決のために何の罪もないクラスメイトの少女を巻き込もうとしているのだ。
だけど、このまま美波掌を『ただの残酷な連続殺人犯』として警察に引き渡していいのか。おれにはその前に、やるべきことがあるように思えた。このままでは最悪の結末を迎えてしまう。
最悪のエンディングを回避するために、おれに今できることは何か。それを考えたとき、ひとつしか思い浮かばなかった。
♪
網代は突然どこか遠くを見て黙り込んだ。どうつなげればいいかわからなくなるから、歯切れの悪いところで会話を切らないで欲しい。セミの声がうるさい。日はまだ高いままで、涼しくなるにはまだまだ時間がかかってしまうだろう。このままでは太陽にやられて熱中症になってしまいかねない。ただでさえ、すでに汗で制服がべたついているのだ。
ため息が出た。自分から聞くのは癪だが、これでは仕方がない。まんまと網代にもてあそばれているような気がした。
「ねえ」「何?」網代がやっとこっちを向いた。「何、じゃなくて。好い加減聞きたいんだけど」「何を?」「とぼけないでよ、それで言わせないでよ」「ああ、ごめん。呆けていたよ。確か君と美波君が仲良くなる方法だったね」「みなまで言うな!」。
こいつは何も考えていないのか、探偵のくせに。誰かに聞かれたらどうするんだ。まあ、確かにこのあたりはほとんど人が通らないし、今周りを見渡してみても誰もいないけど。いまさらながら、なんて田舎なんだろうとあきれてしまう。
「簡単なことだよ。おれと美波君とが仲良くなって、その間に君が割り込めばいい」「それだけ?」「うん、これだけ。でもこれくらいしか方法が無いように思うな。なにしろ、学校でおれ以外に彼に近付く人は誰もいないみたいだし」なるほど、確かに。美波君はいつも一人でいる。「けれどおれは、転校一日目から彼と一緒に帰った。おれはテレビにも出ている有名人だから、そこに君が、どんな形であれ割り込んだって不思議ではない。たとえば、君の母さんがおれのサインを欲しがっていたからサインが欲しい、とかね」「探偵ってそこまで見破るの!?」「え?」「あ、ごめんなんでもない」やばい、今ものすごく恥ずかしい。顔が赤くなっていないだろうか。まったくのとばっちりだけど、お母さんを恨んだ。「とにかく、きっかけさえあれば後はいくらでも距離を縮められるはずだから」。
なんだ、何か難しいことを要求されるかと思えば、思ったほどでもなかった。こいつは乙女心がわからなさそうだから、いきなり『告白して来ればいいじゃん』とでも言いかねないと思っていた。
いや、待て待て、騙されちゃいけない。何の代償もなしに、知り合ったばかりのクラスメイトにそんな提案をするだろうか。きっと何かあるに決まっている。
「ねえ」「何かな」「何が目的なの?」「目的って?」「だって、そんなことをしたってあんたになにも利益がないじゃない」「恋に悩める乙女を応援するのも探偵の仕事さ」「ふざけてると、絞めるわよ」「冗談。でも、一つだけこれをやるにあたって条件はあるよ」ほら、きた。「条件って何よ」。
網代はいつものにこにこした笑みを浮かべて人差し指を立てる。ただ、見間違いなのか、その瞳はとても悲しそうにしていた気がする。
「実は美波君は、____________________」。
ああ、なんだ、そんなことはずっと前から気付いていた。そして、だからこそ彼に惹かれたのだ。田舎の片隅でぬくぬくと育った私なんかよりもずっと強くて、あまりに脆すぎる彼に。
「しかも、________________。だから、決してそのことに触れてはならない」「わかったわ。それだけ?」「うん、それだけ」。
こうして、私と網代湊の交渉は成立した。この日から、私の戦いが始まる。美波掌という少年を手にするための、あまりに幸せすぎる戦争が。