複雑・ファジー小説

ハラワタ共同体。 ( No.4 )
日時: 2012/05/09 16:30
名前: 緑川 蓮 ◆jNZRGbhN7g (ID: U.L93BRt)


「手、貸そうか?」癖毛の美少年は、僕に手を差し伸べてきた。「ありがとう。君、ここいらじゃ見ない顔だね」「うん、つい昨日引っ越してきたんだ」。

 僕はこの少年の顔をどこかで見たような気がするけど、どこで見たかは思い出せなかった。他人の空似というやつなのかもしれない。少年の左目の下には、泣きぼくろがある。見たところ僕と同い年なのに、しっかりとした雰囲気をまとっているのがわかった。身長も、少年のほうが高い。

「おれは網代 湊(アジロ ミナト)っていうんだ」「僕は美波掌」「テノヒラ? 珍しい名前だね」「よく言われる」。

 網代はにこにことしている。笑顔が自然で、作り笑いっぽさが全然ないのが逆に不気味だと思った。いつもあまり表情を変えないメダマとは真逆な気がする。メダマは表情をあまり変えないが、考えていることがすぐにわかるのだ。
 そういえばメダマは、じぃっと網代のほうを見ているだけで、自己紹介しようとしない。恥ずかしがりなのだろうか。それもメダマの可愛いところなのだけれど。

「それから、こっちは雨雲メダマ。僕の幼馴染なんだ」網代に、メダマを紹介する。そのとき、なぜか一瞬だけ網代の笑みが途絶えた。「うん、よろしくね」しかしまたすぐに、さっきの笑顔に戻った。

 あぜ道を、網代と三人で帰っていくことになった。とりとめもない話をした。網代は転勤族で、日本各地の学校を転々としているらしい。明日僕の通う高校に編入するが、もしかしたらまたすぐに転校してしまうかもしれないと言っていた。すぐに友達と別れるのは寂しくないか訊いたら、寂しいけど、それよりもやりたいことがあるんだと言っていた。僕には友達というものがいないので、なるほど、友達ってそういうものなのかと思った。
他にも僕は網代に、君は僕の顔のつぎはぎを気にしないんだねと言った。そうしたら網代は、だって、そんなもの気にしたってしょうがないじゃないかと言っていた。なぜか、胸の奥がじんわりした。具合が悪くなったのと、また違う感覚で、ひょっとしたら何かの病気なのだろうか。
メダマは終始、僕の隣を黙って歩いていた。人見知りなのかもしれない。ただ、相変わらず汗はひとつもかいていなかった。
 あぜ道を抜けると、山の中に繋がる鳥居がある。鳥居の向こうの石段を登っていくと、神社があるのだ。
僕たちと網代は鳥居の前で左右に分かれた。

「じゃあね」「うん、また明日学校で」網代は笑顔のまま軽く手を振って、行ってしまった。

 日はだいぶ傾いていて、西の空はオレンジ色になりかけている。まだセミは鳴いている。この辺りは森の目の前なので、とくにセミの鳴き声がうるさい。ただ、木陰で吹く風が気持ちよかった。

「ごめんね、メダマ。ほったらかして」メダマは無言で、表情を変えない。「さ、今度こそ早く帰ろう。アイスとクーラーが待ってる」。

 僕らも、網代とは反対側の方向へ歩き出した。



   ♪



 案の定、アパートの部屋の中は電気がついていなかった。実は一人暮らしなので、電気がついていたらそれはそれで怖いと思う。玄関の靴箱の上にバッグを置いて、洗面所で適当に手を洗ってうがいをする。この時期は、ノロウイルスに気をつけるべきなのだ。
 それから、真っ先にノートパソコンの電源を入れた。調べたいことが出来たからだ。調べたいことというのは、八年前に都内で起きた殺人事件である。
『美波掌』それから『雨雲メダマ』。この名前で検索をかける。当時、とても話題になった事件なので、たくさんの該当ページが出てきた。
 被害者は四人。内、重傷が二名、死亡者が二名。通報したのは当時の小学校教師。
見知った生徒の父親と母親が血相を変えてアパートの中に駆け込んでいったのを見て、それを不審に思い後をつけていったところ、たまたま、地獄絵図のようになった現場を目撃したのだという。
その後犯人グループは逮捕され、犯人グループらには無期懲役の判決が下された。彼らの目的は被害者の臓器で、それを売るつもりだったという。
当時はそれこそ、ニュースを見て腹の奥が煮えくり返ったことを覚えている。
 そして今日、『美波掌』『雨雲メダマ』という珍しい名前を聞いて、ピンときた。やはり彼は八年前の事件の生き残りであり、あの顔の傷はその時の名残りだったのだ。
 今回の連続殺人事件は、八年前の事件と深いつながりがある予感がする。しかしそうなると、幾つか腑に落ちない点があった。
 八年前の事件とつながりがあるという予感が当たっているとすれば、この連続殺人事件は簡単に解決している筈なのだ。しかしそれでも、未だに犯人は捕まっていない。何か、理由があるのだろうか。だとしたらそれは何だろう。
考えるうちに、ふと、ひとつの可能性に思い当たった。東京都にいたころに聞いた刑事の名前を思い出したのだ。
 若くして何件もの事件を解決に導いた腕利きの刑事であったが、転勤したのだという話を聞いた。
かくいう僕もその人に助けられた一人であり、そのとき、今度は自分がこの人を助けられるような職業に就こうと、そう決めたのだ。
 ポケットから素早く携帯を取り出し、ある番号に通話をかける。通話をかけた相手は、都内に居たときに世話になった警部である。小柄な警部の優しげな声は、都内に居たころとちっとも変わっていなかった。

「やあ、網代君。キミと電話するなんて久しぶりだね」「お久しぶりです、軒端ノキバ警部。今日は、ちょっとお伺いしたいことがあって」「おいおい、またかい?」「ごめんなさい」「堪忍してくれよ、一応警察の情報は外に流しちゃいけないんだからさ」警部はそう言いながらも、かっかっかと笑っていた。口ではそう言いながら、おれの事を信頼してくれているのだ。「それで、何が訊きたいんだい?」「八年前、美波掌と雨雲メダマが誘拐された事件を覚えていますか?」「ああ、あれは酷い事件だった」警部の声が翳った。「ぼくも現場に行ったのだけれどね、見るに耐えない有様だったよ。まったく、酷いことをするもんだ」「確かその事件の後、本庁から別の署に移った刑事がいたのですよね?」「そうそう。君もよく知っている、『あの人』だよ。いや、今思い出しても優秀だった。あのまま本庁に留まっていれば、今頃警視正にだってなれていたろうに」「やっぱり、ですか」「うん、どうしたんだい?」「いえ、それが聞きたかっただけです」「おお、そうか」警部は少し寂しそうに言った。「またかけておくれよ。君の元気な声を聞くたび、孫が居るようで、ぼくは嬉しいんだ」「ありがとうございます。では、また」。

 椅子に全ての体重を預けて、天井を仰いだ。
まさか、よりによって、こんなところで、しかもこんな形で『あの人』と再び関わることになるとは思ってもいなかった。
おれがその命を救われ、そのときから憧れ、その背中を追い続けてきた人。きっと向こうは、おれの名前すら覚えていないだろうけれど。
 とにかく、これで確信した。この田舎町の連続殺人事件と、八年前の事件は繋がっている、と。