複雑・ファジー小説

ハラワタ共同体。 ( No.9 )
日時: 2012/05/03 03:00
名前: 緑川 蓮 ◆jNZRGbhN7g (ID: U.L93BRt)



 今日、私のクラスに転校生がやってきた。彼の名前は網代湊。私たちと同い年でありながら、現役の名探偵。私もよくテレビでその顔を見かけていたので、驚きを隠せなかった。
 先生に呼ばれて教室に足を踏み入れた網代湊は微笑みを浮かべていた。ああ、ウチの母さんも、あの笑顔に弱かったんだっけ。帰ってから、彼が転校してきたことを話したら、きっとサインを貰ってきてくれとせがまれるに違いない。
 彼が教室に入った瞬間、クラス中がざわめいた。ちらほらと黄色い声が上がった。それに対して網代湊はなんにも反応しないで、ただにこにことしているだけだった。

「じゃあ、網代。自己紹介を」「はい。はじめまして、網代湊っていいます。皆さんと一緒に、楽しい学校生活を送れたらいいなと思っています。よろしくお願いします」。

 クラス中がざわめいているにもかかわらず、凛とした鈴のような彼の声は、クラス中に響いた。



その2【ラヴ・トライアングル】



 放課後になったとたん、案の定、網代君はクラスの皆からの質問攻めに遭っていた。最初は戸惑ったような素振りを見せていたけど、彼は三分もたたずにクラスに打ち解けていた。どこかのニュースかワイドショーで、彼は事件解決のために全国を飛び回っていると聞いたことがある。きっとこういう事にも慣れているのだろう。

「ねえ、アヤ。あんたはああいうの、興味ないの?」隣の席の、瑞樹ミズキが話しかけてきた。「うん」「そっかぁ。まあ、綾はもう想い人がいるって言ってたもんね」「余計なことは言わなくていいの」誰かに聞かれてたらどうするつもりだ、まったく。「でさ、結局誰なの?」「教えない」「ええ、いいじゃん」「だめ」この子に話したら、あっという間に広まってしまう気がした。悪い子ではないのだけれど。

 私の名前は、漆間 綾(ウルマ アヤ)という。部活には入っていない。ごくごく普通の女子高生である。時折友達に、趣味が変わっているといわれることがあるけれど。
 高校生活のメインイベントといえば、恋愛だと思う。かくいう私も一人の恋する乙女なのであった。私の好きな人は、隣のクラスに居る。網代君と彼を交換してくれないだろうか。もっとも、そんなことを言ったらクラス中の女子を敵に回してしまうのは目に見えているけれど。
 瑞樹に呼ばれて、リュックを持って席を立つ。綾と一緒に教室を出て行くときにたまたま、網代君の会話の内容が耳に入った。実のところを言うと、彼が出した名前に反応したのだけど。

「そういえばさ、美波掌君ってこのクラスじゃないのかな?」「え、美波君?」「誰だっけ」「ほら、あの顔に傷のある子だよ」「ああ、隣のクラスの」「でも網代君、突然どうして?」「うん、ちょっと彼に用があるんだ」。

 網代君は美波君と知り合いなのだろうか。とにかく、彼が美波君の名前を出したのは意外だった。網代君は、一体何の用があるのだろう。私の好きな美波君に。

「ごめんね、瑞樹」「どうしたの綾?」「私これから用事あったんだった」「そっか、じゃあ先に帰ってるね」「うん、ごめんね」「気にしなくて良いよ。じゃあまた明日ね」。



   ♪



「美波掌君って、このクラスであってる?」

 先生以外で僕を呼ぶなんて、一体誰だろう。教室の扉のほうを見ると網代が立っていた。網代は昨日と同じようににこにこしている。
 網代は僕を見つけると、物怖じせずに教室へ踏み込んできた。そして僕の席のほうへ近づいてくる。何事かといわんばかりのクラスの皆の視線が痛いけど、仕方ない。普段誰も話しかけないようなクラスメイトに、テレビにも出ているという有名人が用があるというのだから。

「やあ、掌君」「やあ。僕に何か用?」「一緒に帰らない?」「メダマも一緒でいいなら、かまわないけれど」「じゃあ決まりだね」。

 クラスメイトの皆は、とにかく唖然としていた。視線が痛い。網代は構わずに、にこにことしている。至極居心地が悪いので、一刻も早くこの場を離れてしまいたい。荷物を手早くバッグの馬鹿に放り込んで、さっさと立ち上がって、教室を後にする。網代は笑顔のまま、その後ろをついてきていた。
 正門の端に、いつものようにメダマが立っていた。いつも思うのだけど、どうして汗一つかかずに涼しげで居られるのだろう。網代でさえ、ハンカチで汗を拭いていた。

「メダマ、お待たせ。今日は網代も一緒に帰るんだけど、いいかな?」メダマは黙って頷いた。

 僕らの学校の前には、田んぼとあぜ道が広がっている。僕とメダマと網代はあぜ道を歩いていく。なにしろ暑い上に日陰も何もないので、時折吹くそよ風がとても心地良い。

「ねえ網代」「何だい?」「網代はどうして、僕を誘ったの?」「どうしてって?」「君のクラスにも、一緒に帰りたがっている人はいただろうに」「昨日君に会ったからかな」「それだけで?」「うん」。

 よくわからない理由だった。網代は探偵をやっている。網代は頭がいいから、頭の悪い僕にはわからないのだろうか。メダマはどうなんだろうと思って見てみると、彼女はそ知らぬ顔でいた。きっと、話を聞いていなかったのだろう。
 でも、あまり深くは追及しないことにした。僕も悪い気分はしていないからだ。何より、網代は僕の顔のつぎはぎを気にしない。