複雑・ファジー小説
- Re: (リメイク)陰陽呪黎キリカ 第一章第一話第一節 執筆中 ( No.1 )
- 日時: 2012/10/03 23:55
- 名前: 風猫(元:風 ◆Z1iQc90X/A (ID: aiiC5/EF)
「はぁはぁはぁはぁ」
四車線になっているまっすぐな道路沿いの歩道を、必死に走る影がある。
どうやら中校生程度の少年のようだ。彼は必死な形相で、走り続けている。
心臓は早鐘を打ち、体中の筋肉が悲鳴を上げているが、足を止めない。
恐怖に駆られ、後ろを振り返る少年。その視線の先には、人界にいるとは思えない怪物がいた。
街路灯に照らされたそれは、西洋の神話やゲームに出てくる、小鬼のような姿をしている。
「クケケケケケケケッ!」
顔の面積に反して、異様に裂けた口をニィっと吊上げ、化物がけたたましい笑い声を上げた。
それと同時に、小鬼の移動速度が、一気に上がる。少年は涙目ながらに、走り続ける。
“駄目だ。追いつかれる”そう、自分の人生を諦めかけたときだった。
彼と化物の間に、赤を基調とした絢爛豪華(けんらんごうか)な和服に身をつつんだ美女が現れたのは。
「遅れてゴメンね?」
「えっ、誰?」
ここは京都。平安京が置かれていた場所だ。
古き時代、そこには神妙不可視な輩を相手取り、朝廷から多大な信頼を得ていた、退魔の眷属がいた。
科学万能主義により、とうに廃れたとされる彼らだが、今もなお魑魅魍魎が跋扈する京都を中心に、妖怪の調伏に勤しんでいる。
少年は、ただ見詰め続けた。奇怪な怪物に、一人で向っていく存在。
そんなもの彼には、一つしか心当たりが無かった。そして目の前の女性は彼の中にある、それの理想に近くて。息を飲む。
「大丈夫。心配しないで。私は陰陽の者です」
「陰陽の者って、まさか——」
女は笑みを浮べ、優しげに答えた。
”陰陽の者”すなわち陰陽師。やはりそうかと思ったとき、少年の意識は飛んだ。
その女性の掌より発せられる術によって。彼のぼやけた視界には、美しい銀の長髪をはためかせた、女の姿が映っていた。
それは彼がその日見た、最後の光景。
今もなお闇夜の中で、百鬼夜行を滅さんとする者達、陰陽師。
これは彼等のつむぐ、激動の物語である。
陰陽呪黎キリカ「第一章 第一話、幼き刃 第一節」
京都市。情緒溢れる町並みが特徴的な、大都市だ。
そんな市街地の一角。どっしりとした雰囲気の、大きな屋敷が建っている。
家名を魅剣(ミツルギ)家というらしい。魅剣家とは、この時代における陰陽師の最大勢力である五大家に連なる家系だ。
その名家群において、最も政府に認可された一族でもある。
三百メートル以上に及ぶ、長大な塀がぐるりを囲む。
門をくぐると、すぐに正四角形をした建造物が現れる。居住区だ。
その建物の中央には、広大な庭が設えられている。
外角を覆うような形で、等間隔に並んでいる手入れが行き届いた、美しい桜の木々。
更に中心には、鯉が放たれている池。恐らく接客は、この庭園が見える場所で行うのだろう。
そんな魅剣家の、広大な敷地の一室。三十畳一間の、理路整然とした部屋だ。
厳正な雰囲気が、空間を包んでいる。
和室の中央には、一組の男女。女性の方は、下半身裸の状態で横たわっていた。
その恥部からは、赤子の頭と思われる物が姿を晒している。
出産の風景のようだ。
陰陽の一族から生まれる赤子は、この世に姿を現す瞬間、不可思議な力を発する。
それを無効化する術を持たない、普通の病院での出産はできない。
女性は、腰まで届きそうな、漆黒(しっこく)の長髪をしている。肉付きが良く、思慮深げな美女だ。
対して男性は、十代後半程度にしか見えない、幼さを残しているが。優しげで、整った顔立ちをしている。
炎のような紅蓮の頭髪。紫と金のオッドアイという、人間離れした配色が特徴的だ。上位の陰陽師一族には、良くある現象らしい。
血筋によって現れる色素の特徴が違い、魅剣家の直系は、紅蓮の頭髪が基本だ。
「ぐっうぅぅぅ」
「…………」
女性は下半身裸で痛みに絶えながら唸り声を上げている。
男のほうはただ祈るように彼女の手を強く握り締めていた。
「頑張れ! あと少しだ!」
「はぁっはぁっ、うっ、生まれた、わよ。あっ、貴方」
苦悶の表情を浮かべる妻の手を必死で握りながら、男は祈るような表情を浮べ、応援の言葉を送り続けた。
出産は成功したようだ。女の伴侶と思しき男性が、赤ん坊を抱かかえる。
どうやら子供は女の子らしい。薄らと生える、男と同じ赤髪が特徴的だ。
出産の疲れでぐったりとする女性に、彼は優しげな表情で賛辞を送る。
「頑張ったねカルマ。元気そうな女の子だ」
「ありがとう貴方。ところで、名前決めてあるの?」
冷静そうな容貌を赤らめながら、カルマと呼ばれた、長髪の麗人は男に問う。
男が優柔不断であることを、如実(にょじつ)に現しているような言葉。それを聞いて男性は、顔を背けて黙り込む。
「…………」
「やっぱり決まってないのね?」
苦笑して、カルマはつぶやく。それは呆れているようではなく、むしろ楽しそうな表情だった。
どうやら、自分で名前を付けたいらしい。カルマは「じゃぁ、私が決めて良い?」と小首を傾げながら強請る。
その妻の姿は、恥じらいに満ちた少女のようで可愛らしく。男は頬を赤らめながら、優しげな口調で了承した。
「あぁ、頼むよ」
男は、上に跳ねた真紅の髪を掻き揚げながら、満面の笑みを浮かべる。
カルマは、彼の綺麗な紫と金色をした両眼をしばらく見詰め、もったいぶったように間を置いて言う。
「そうね、キリカ……キリカという名前は、どうかしら?」
「キリカ。良い名前だ」
恥じらいの色で頬を染めるカルマに、愛情に満ちた声で男は応える。
彼女は満足げな表情をして、露出した恥部を隠すためにバスタオルを羽織り、子供を抱かせてくれと、目で訴えた。
「分った」
そう言って男性は妻に赤子を預け、立ち上がる。そして部屋の端の方で静かに成行きを見守っていた、老人達がいる方へ向う。
「無事、次世代の当主が生まれたのアザリ? お前も居るし魅剣家もしばらくは安泰かな?」
年老いた者達の中でもいっそう威厳(いげん)のある、長い髭が特徴的な老人が、安堵に染まった声で言う。
アザリは、長髭の老人に会釈(えしゃく)し跪(ひざまず)く。
「はい、父上。苦節十年、ようやくでございます。カルマも若くないのに、良く頑張ってくれました」
幾つもの苦杯を、飲んできたのだろう。アザリの声は震えている。
そんな中でも妻の心配をする愛妻家ぶりが、彼の人となりを示しているようで、老父は感心した様子だ。
少しの間、長老である父に頭を下げていたアザリは、再び立ち上がり、カルマの方へと向かう。
嬉しそうに子供を抱かかえる彼女を見て、先に妻に抱かせてやるべきだったと、後悔する。
その微笑ましい雰囲気を壊したくなくて、声を掛けあぐねていると、カルマが先に声を掛けてきた。
「そろそろ、子供達も呼ばないとね? キリカを紹介しなくっちゃ」
アザリは沈痛(ちんつう)な面持ちで、頷く。そして彼女にキリカの世話を言い渡し、歩き出す。
「やはり、彼女を傷つけねばならぬのか」
途中で足を止め、細々と嘆くアザリ。
カルマは指を立て、言外に静かにしろと告げる。
子供は親の感情に敏感だから、そういう顔はキリカの前でするなということだろう。
彼は自分の短慮さに、小さく溜息をつく。
「そう、悲観なさらないでください。彼女の未来のために、今は心を鬼に」
「…………」
妻であるカルマの、一族と娘を心底愛した言葉が痛い。
心に刃が突き刺さったようにズキズキと苦痛が続く。だが結局は仕方の無いことだ。
魅剣一族の当主は代々、陰陽師最強の肉体を手に入れるために、体を傷つけ術で再生させることの繰り返しを行ってきた。
呪黎。強力過ぎる上に危険が伴うため、陰陽師発足以来から存在しながら、禁術とされ続けてきた、三種類の呪術だ。
当然ながら、次期当主たるキリカも、その苦行を耐えなければならない。
その儀式を少女に執り行うのは、他でもない現当主アザリだ。
哀愁(あいしゅう)に満ちた瞳で、彼はしばらく愛娘であるキリカを見詰めていた。
そして息子達を呼びに歩き出す。
『未来というのは一人の人間を、決められたレールの上に置くことなのか。娘の意思を排除して、集団の利を求めるのが正しいとは思えない? キリカにとって、それはただの大人の都合にしか映らないはずだ! そもそも、今は退屈な陰陽の職に捕らわれ一生を過ごすなど、誰が望む?』
かねてよりアザリの中に鬱積していた疑問。
疑念は抱いても、親の用意した道筋の上から逸れたことはなかった自分。彼の胸中に隠しきれない複雑な、本音が浮かび上がっていた。
『いや、仕方の無いことなのだ。ここに生まれてしまったのだから、私も娘も……』
アザリは無理矢理に安い言葉で、鬱屈とした感情を、心の深奥へと追いやった。
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「お終い」
次は、「第一章 第一話、幼き刃達 第二節」です