複雑・ファジー小説

Re: (リメ)陰陽呪黎キリカ 一章 一ノ三更新 5/23  ( No.23 )
日時: 2012/06/18 11:03
名前: 風猫(元:風 ◆Z1iQc90X/A (ID: fr2jnXWa)

  「康弘」
  
  春口らしい清涼な風が頬をくすぐる。気付くと辺りは夕焼け色に染まり、太陽もずいぶんと沈んでいた。そろそろ蘭樹の妹であるキリカの出産の記念会が始まるだろう。蘭樹は眼を細めて、康弘の名前を呼ぶ。

  「ん? どうしただ蘭樹?」
  
  その声はとても優しくて感謝に満ち溢れていて。康弘は小さく微笑んだ。一応というように次の言葉を彼は促す。
 
  「ありがとなぁ。気が楽になったで」

  照れたような口調で蘭樹は言う。蘭樹自身が素直じゃない性分なのか、今まで彼の口からお礼の言葉を康弘は聞いたことがない。上擦ったわけでもなく、自然な発音の感謝の言葉に戸惑いながら康弘は口を開く。

  「俺もだよ」

  康弘もまた、胸のうちに秘めた思いを吐き出して楽になれた。蘭樹に感謝しない理由などない。年下に感謝する気恥ずかしさにか、彼の頬は少しばかり赤らんでいた。

  「今日、早速行動してみようと思うんやけど……」
  「どんな?」

  そんな嬉しそうな兄貴分を穏やかな瞳で見詰めながら、蘭樹は言葉を紡ぐ。それに対して康弘は、優しい口調で続きを促し話を聞く。

  「正直上手くいくかいかないかって言うたら、ほとんどゼロなんわかっとるんねんけど」

   ギクシャクした風情で言葉を詰らせながら話し出す蘭樹。本当なら余り言いたくないのかも知れない。そう思いながらも好奇心旺盛な年代である康弘は、やはり興味が先行してしまう。

  「何をするんだよ?」

  言いよどむ蘭樹を康弘は急かす。そんなに聞きたいのか、康弘自身に覚悟があるのなら本人としてさして言い辛いことでもない。そう思って蘭樹は口角を上げ犬歯を剥き出しにする。それはまるで康弘に聞かなかった方が良かったと後悔しないか、と警告しているようだ。


  「せやなぁ。魅剣家の現当主って僕のお父さんやん? 
  それって、あの人が現陰陽師最強ってことやろ?」

  人差し指を唇にあて淀みない口調で蘭樹は話し出す。その言葉は現代陰陽師としては当然の、知識だった。最も戦闘力に秀でた陰陽集団である魅剣一派の頂点だるアザリは、当然苛烈な霊力を秘め圧倒的な力を有している。
  
  「それがどうしたんだよ?」

  だがそれだけでは話の趣旨を理解するなど当然できず、康弘は首を傾けた。

  「倒して式にして……言うこと聞かせるんや」 
  「正気かよ? 人を式にするなんてそもそも無理だろ?」

  次の瞬間、蘭樹は想定外の言葉を口にする。康弘は驚愕し瞠目する。式。それは粘土や紙から生まれた単純なもののことばかりを指す言葉ではない。優れた陰陽師は強大な力を持つ妖を使役し、戦闘や情報収集といった事柄に利用するのだ。

  しかし、愕然としていた康弘はすぐに正気に戻る。妖怪を式にする事例は古文書や現実で幾つも目にしてきたが、人を縛、使役した例は見たことは勿論聞いたこともない。つまり出来ないのだろうと仮定し彼は批判する。 
 
  「出来へんとも書かれてへんやん? どんな本にも……そもそも、妖怪を式にするのも人を呪う呪術の発展やし」

  それにたいして蘭樹は小さく噴出して、事実を歌うように流麗に反論した。康弘は沈黙する。彼の言っていることは正しい。どの古文書を見ても“人を式に出来ない”などという趣旨の言葉は無いし、真実人を呪術で呪うことから、使役術は考案された。

  「人を妖怪と同等に扱うって話か?」

  とうの昔から康弘も薄々は感づいている。人間も妖怪と同じに、操れるであろうことを。それを陰陽の者達がしないのは、彼等のプライドや道徳観ゆえだろう。目尻を奮わせ震えた声で、彼は蘭樹に問う。人間として当然持つべき疑問を。

  「康弘も頭固いなぁ? それこそ妖怪からしたら反論の的や?」

  それに対し人として踏み外してはならない境界など無いのだと、言うかのように蘭樹は軽快に指を振る。その口調はどこか皮肉が篭っているようでいて、心底妖怪と人間に対する尋常ではない差別を嫌っているようだ。

  「そうかも知れないけど、いやそうじゃなくて結局アザリ様を式にしてどうするんだ?」
  
  七歳にして十歳の自分より知識量で上回る蘭樹に対し、歯噛みしながらなおも康弘は抵抗する。蘭樹はそんな彼の行いに、さっき陰陽師を変革すると約束したばかりなのに何を怯えているのだと、苛立ちをあらわにして口を動かす。

  「あの人は陰陽会の中核や。頂点言うても良い。それに魅剣キリカの全てを決める権利がある魅剣家の当主や」
  「…………」

  自分の父を使い魅剣家のみならず陰陽会に対しての発言力まで手に入れようと、蘭樹は言う。良い遊び道具を見つけたときの子供のように、臆面も無くとてつもないことを淡々と述べる。当主の力を使い託宣に現れた言葉を無視し、無理矢理キリカに普通の人間としての生を歩ませようというのだろう。更に陰陽師の暗部すらも最強の力を持つ術者の技を持って制圧する気なのだ。理(ことわり)など完全に無視した世俗に塗れた大人では絶対に思いつかない手段。

  『正気かよ?』

  康弘は眩暈を起しよろめく。彼は想像以上に獰猛な蘭樹の純粋さに、恐怖を感じ沈黙する。それと同時に蘭樹の才気と、若いゆえに世の中のルールや道徳を無視することのできる、ある意味で合理的な蘭樹の考えに賛同する。
  
  幼いゆえに恐怖を知らない天才の暴走に、少し年上でほんの一ミリ程度だけ世界の常識に聡い康弘は心酔してしまった。この日を境に二人の歪な関係は続く。古きわだかまりに満ち溢れた陰陽の世に新風を吹き荒らすことを目的として——
  
      
              陰陽呪黎キリカ【第一章 第一話、愛せ愛せ 第五節】



  酉の刻を少し回った頃、辺りは夜の帳に満ちていた。家族及び使用人が宴会室に集う。親族や他の流派の者達は呼ばれず、盛大とは言い難い慎ましい雰囲気が漂っている。元来、陰陽師はそれほど大きな宴を催すことはない。どのようなときでも一族でのことは、身内で済ませるのが普通だ。

  「…………」
  
  しかし、彼らも人間だ。やはり盛り上がり騒ぎはする。念願の次期当主の誕生ともなれば尚更だ。ある者は隣同士で晩酌をかわしながら談笑しあい、またある者は歌を歌ったり踊っている者も居る。

  最後尾の方に列席している蘭樹はその光景に苛立ちの目を向けていた。キリカを人柱にして責任逃れしているのに、そんなことは億尾にも出さず人一人の不幸を喝采している呆れた愚図共許すまじ。自然と憎悪が顔を出す。

  『俺達、呪黎を受けないで良い立場で良かったよなぁ、何てうそぶいてる家族皆腹立たしかったんや』

  今までの人生を振り返り苦虫を噛んだような表情をする。誇りが有るのならせめてそんなことを口にするな、心底思った。

  「どうしたんだ蘭樹? 肉食べないんなら自分が……」
  「構わへんよ。僕食欲あらへんから」

  蘭樹は些細なことに苛立ち、激情に身を燃やす。そんなとき幹也が彼から発散される怒気など、全く読まずに声を掛けてくる。蘭樹はそれ幸いとばかりに、人酔いしたから少し風に当ってくると、適当に言い訳をして席を外す。

  「何だよアイツ? おめでたい席で仏頂面しやがって、これだから蘭樹は度し難いんだよ」

  唇を尖らせ憤りながらも、蘭樹の席の肉を頬張る幹也。それを傍目に蘭樹は出口を目指して黙々と歩く。そんな光景をカルマは、適当に親族と談笑しながら盗み見ていた。

  「あっ、丁度お酒が切れたみたいなのでお持ちしますね」
  「相変わらずカルマさんは気が聞くねぇ」

  カルマはお猪口に酒を注ぐと、最後の酒瓶が空になったことを確認し踵を返す。去り際にもっともらしい言葉を口にして速足で歩く。いつもの風景なので、誰も特に気にすることは無くい。

  飲み物やつまみなどが有る場所とは、反対側の通路を彼女は歩く。その先には物憂げな顔で月を見上げる蘭樹の姿があった。
  
  「どした? まぁ、余りこういうの好きじゃないのは分ってるけど」

  蘭樹に気さくな口調で問い掛けてくる、良く耳に馴染んだ声。相手は母だとすぐに気付き少年は面を上げる。

  「お母さん?」
  「何か悩みでもあるなら言ってみな? 心の中に押し込んでおくだけじゃ、何にも解決しないから」

  カルマは接待で忙しいはずなのに、何でここにいるのだろうかと怪訝に思い蘭樹は眼を細めた。それを察したのか彼女は、細かいことは気にするなと手を振りながら伝える。そして、甘い声で優しく囁く。

  「気に食わへんのや! どいつもこいつも詰らないしがらみに捕らわれた振りして、
  本当はタブー言われた機械やらなにやらに手ぇ染めて! 矛盾してるんや!」
 
  有りっ丈の力を篭めて腹の底に渦巻く汚物を吐瀉するように、蘭樹は叫ぶ。世界の激動に合わせて、変えるべき物と変えてはならぬ物の取捨選択を何度も繰り返してきた結果だろうことは、想像に難い。常に未来へと動き、利器は進化していく。いつまでも古い物に縋っていては、いつか振り落とされる。だが、人としての根本的な思想や慣わしは、伝え護っていこうと振り落とされずにすむ。いわば外の部分と中の部分、その差だ。幼い少年にはその区別が付かない。

  「うん、そうだね。可笑しいね……機械を受け入れるだけじゃなくて新しい思想も受けれるべきだよね?」
  
  カルマは蘭樹の子供染みた痛嘆を正さず、ただ賛同し彼の頭を優しく撫でながら、諭す。

  「でも、ほとんどの人は中を見られるのが嫌なように、中を入れ替えるのも怖いものなんだよ」

  カルマは微笑みながら言う。

  「分っとるよ、だから強引にでも……」

  口ごもりながら蘭樹は、数時間前上条康弘とした約束を思い出しながら語る。正直彼は大批判されるのではないかと、内心冷や冷やだ。しかし、カルマは母性に満ちた聖女のような笑みを彼に向けてくる。
  
  「良いんじゃないかな? 私もそう思ったことがあるよ? 
  二十年くらい前に嫁いできて、自分だけ髪の色も目の色も違ってた。
  そりゃぁ、浮くし変な目で見られるわでね。居場所なんて無くて、全て変えてやるって憎んだよ」

  魅剣カルマもまた、当家内においては異質に映る存在だった。近縁結婚は禁則とされているので、魅剣の血が直接的には流れていない者も居るのだが、実際数は少なく浮いてしまうため大体は髪を染めるのだ。だがカルマは髪を染めても、霊力が拒絶し黒に塗り替えてしまう。そんな彼女の異質も相俟って彼女は長らく不遇されてきた。第一子である幹也が生まれるまでは、当主アザリ以外は彼女を軽蔑の目で見ていたのだ。

  「私にはその力も無かったししがらみも多すぎた。でも蘭樹はしがらみなんてほとんど無いし天才だ!」
 
  自分の何もかもを包み込み肯定してくれるような母の言葉に、蘭樹は酔い痴れていた。魅剣アザリに戦いを挑むという決意が、胸中で息を吹き入れられた風船のように膨れ上がっていく。だがカルマの双眸に慈愛の心など無く、愉悦の感情が浮んでいることなど喜びに舞い上がる彼が知る由は無い。

  「母さん、ありがとう」
 
  蘭樹は無邪気な笑みを浮かべて、感謝の言葉を口にする。蘭樹に礼を言われたカルマは、本心からの笑みを浮かべた。心中ではどす黒い探究心を渦巻かせながら——

  『本当に人間って面白いな』

  
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【お終い】

次は、【第一章 第一話、愛せ愛せ 第六節】です