複雑・ファジー小説
- Re: (リメ)陰陽呪黎キリカ 一章 一ノ八更新 7/14 ( No.53 )
- 日時: 2012/08/16 23:50
- 名前: 風猫(元:風 ◆Z1iQc90X/A (ID: 2KAtl1AZ)
全ての光を取り払ったような漆黒に染め上げられた、平衡感覚を失いそうな長い穴を言々と茨木童子は黙々と進んでいく。すると小さく明滅を繰り返す、砂粒のような光が見えた。茨木童子より先に言々がそれに触れる。
彼女の細く白い指先に接触した明滅する結晶は、儚かった先ほどまでの光より遥かに強く輝きだす。そして、瞬く間に黒い絵の具で塗りつぶされたような異界廊(いかいろう)を、眩い輝きで満たした。
異界廊と呼ばれていた洞は、異界への道では無い。本当は妖怪達の総本山のある世界へ進入することを阻む幻影なのだ。この幻術を破る方法は基本的に一つ。無限に続く暗闇の道を真っ直ぐ走り続け、光に辿り着き大量の霊力を注ぎ込むしかない。妖怪でない多くの者はそこまで付く前に、闇の深さに絶句し絶望に打ちひしがれたりする。更にはその砂粒の如き輝石を見つけても、並の術者では霊力が足りず、異界への扉を開くことは適わない。
眼前にそびえる幾層にも重ねられ、中央が塔状になった黒い瓦屋根の巨大木造建築物。妖蓮檜総本山月冥楼(ようれんかいそうほんざんげつめいろう)を無感動な目で眺めながら茨木童子は厳かに口を開く。
「そう言えば、今回の呪黎の依代(よりしろ)は誰だったか?」
「…………」
言々は茨木の言葉に反応し肩を震わせるが、言葉を発せない。彼女の気持ちを察し茨木は嘆息する。彼女の事情を知る彼は、ことの重大さを鑑み言葉ではなく行動で語ることを瞬時に選ぶ。自らの肩を叩き、言々にしがみ付けと命じる。
依代とは呪詛や儀式のために、霊力や生命力を捧げる媒体のことだ。当然ながら対象の難易度や危険度により依代は高級なもので無ければならず、最大級のものともなれば最高の依代だとしても尋常ではない損傷を受ける。それこそ、命を失うほどに。
「あたし……さ。今回の呪黎ばかりは、本当は茨木を恨んだよ?
あの娘、霊力は凄いけど体力は全然じゃん? 最強の霊力を持つ貴方が居なかったら!」
「分った。もう、喋るな。俺が悪かった。行くぞ。失態は行動で返す!
雪女檜頭領夢氷(ゆきめかいとうりょう・むひょう)を救う!」
何時もどおりの心強い男の背中を見て、言々は一筋の涙を流す。そしてぽつりぽつりと、したたどたどしい口調で思いを吐露する。それはまるで愛する人のやさしさに触れ、心の防壁が決壊したかのようだ。茨木はわずかに優しさを含んだ笑みを浮かべ、言々が喋り終わるのを待つ。
東北を中心に大勢力を広げる雪女達の頭目である女が今回の触媒、すなわち依代だ。その女は古より言々と親交が深く、仲が良いことは茨木童子も良く知っている。一妖怪集団を束ねる大妖怪だけあり膨大な霊力を誇るが、彼女は霊力不相応に体力が低かった。
だが、妖蓮檜の呪黎を行うには依代として巨大な霊力を持った女性妖怪が不可欠だ。そんな都合の良い存在など指物妖蓮檜と言えど、そうそう居るわけでもなく行使数と女性大妖の数を比すれば、むしろ夢氷が今まで選ばれていなかったのは奇跡なのだが。覚悟するのと本当に起るとでは違うものだ。
これ以上喋ると泣き崩れてしまうと察し、茨木は彼女に手を差し伸べる。そして乙女のように恥らう言々を無視して強引に跳躍した。呪黎の儀式が行われている部屋のある最上層へと——
陰陽呪黎キリカ【第一章 第二話、迷え迷え 第一節】
「言々、強く肩を掴め。振り落とされるなよ?」
「うん!」
言々を背負った上で、人飛び百メートルに達する跳躍を三度ほど繰り返し、茨木は最上階へと到達する。その時だ。とつぜん、安定していた苛烈な霊力がはなはだしく揺らぐ。尋常ではないその霊力の変動に、遅れてきた二人は顔を引きつらせる。
「うっ、あっがあぁぁぁぁぁあっいやっあ゛あぁっ! あぁがはぁっ!」
三十畳に及ぶだろう巨大な和室の中央。氷の様に美しく透き通る肌をした、青いエナメル質の長髪女性が全裸でのたうつ。彼女が今回の触媒である夢氷だ。彼女は血の泡を吹き出しながらもはや喘ぎ声などとは呼べない奇声を上げ続ける。それはまるで死から逃れようと全力で抗っているようだ。次第に網膜まで青かった目が充血し、血涙を流しだす。
苦しみもがく夢氷を妖蓮檜幹部達が囲む。彼等にも仕事はある。妖怪は基本的に、空気中にある妖気で回復を行う。つまり周りの妖気の濃度が濃いほど回復力が強まるのだ。それは、強大な妖怪達が揃うということの大きなメリットを表している。
しかし、元々の回復力が劣る彼女は見る見るうちに弱っていく。透き通る柔肌は土気色に変わり、相貌は色をなくす。
「夢氷ちゃん死んじゃうの? 最高じゃん!」
「おい、澪采(れいざ)。新参の小僧が安いことを言うなよ?」
ボディースーツの襟の出た和服を着た、幹部勢では小柄な部類に入る若者が口を開く。少しおどおどした顔立ちのながら、歯に衣着せぬ口調のようだ。自分よりも明らかに年嵩の歴戦の勇に、軽口を叩く様はさすがは大物といえるだろう。
しかし、澪采と呼ばれた青年はすぐに口をつむぐことになる。突然、彼の横に現れた白刃によって——
「やぁ、言々さん。茨木童子さん? 遅れてやってきた割には良い気なものですね?」
「…………」
その剣の主を見詰め、冷や汗を流しながら澪采はささやく。彼の言葉を事実と認め、茨木は刀を鞘に納める。そして、無駄と断じそれ以上は男の相手はせず、自席へ移動し霊力を放出し始める。普段なら嫌味な若造に摂関の一つでもするところだが、今はそれどころではない。言々も引き締まった顔つきで力を注ぐ。
「はははっ、馴れ合っちゃって気持ち……」
「それ以上言うなよ小僧。新参が古参に言う言葉か? もう一つ言わせてもらえれば夢氷はお前より優先度は高いぞ?」
真剣な眼差しの茨木と言々を見て、彼らと夢氷の関係を上辺ながら知る澪采は、舌を出し嘲笑しながら非難した。
しかし、業を煮やした古参がついに彼を黙らせるために、重い口を開く。深く落ち着いた声。その主は上背だけで二メートルはありそうな筋骨隆々の巨躯。手入れされていない縮れた長髪。赤い鬼の仮面。それらの全てが威圧的な彼の名は崇徳天皇(すとくてんのう)という。幹部勢の中で唯一茨木童子を上回る権利を持つ男だ。
彼の威圧感のある叱責に肩をすくめ、澪采は黙り込む。しかし、まったく答えた様子は無く、両眼は炎を宿していた。
夢氷の悲鳴がか細くなり、耳で聞き取れないくらいの小ささになり始めた時だった。彼女の腹部が巨大な何かが蹴破るかのように、ブクブクと膨れ上がり裂け出したのは。夢氷の腹を強引に破って、一本の腕が出現する。それを皮切りにして彼女の子宮に入っていたとは思えない大きさその人間が姿を現す。
「冗談だろ?」
「魅剣クラン、また偉い怪物を召還したものだ」
それは、目が覚めるような真紅のツインテールをした、綺麗な肌のエイチカップはありそうな大きな胸の冷めた表情をした女性だった。一番驚いているのは入れ替わりで幹部勢に参入した呪黎初参戦の澪采だ。茨木や崇徳天皇といった大幹部に睨まれても、軽く受け流せた彼でさえ唖然とする人物が目の前にはいた。騒然となる幹部勢ほどではないが、珍しく動揺はしているのか崇徳天皇は珍しく驚愕の色を含んだ声を上げる。
「んー? むにゃむにゃ、ここはどこだい?」
「あっ……あ゛っ!」
寝ぼけ眼を擦りながら、クランと呼ばれた女性は周りを見回す。自分が裸であることに気づいても、大して驚いた様子は無く、小首をかしげる程度だ。彼女により強引に裂かれた腹部から、内臓を散乱させおびただしい量の血を流しながら、ビクンビクンと痙攣する夢氷をクランは睨む。そして厳かに口を開く。
「あれぇ、何でこんなところに大妖怪の夢氷さんがいるのかなぁ? あれあれ?
澪采ちゃんやら言々ちゃんやら茨木っちまで? あはぁ、分った!
こかぁ、妖蓮檜総本山月冥楼ってことかぁ」
「やっ、やめて!」
まだ息のある夢氷に、こんなになってもまだ生きていられるなんてと不死身の苦痛を知っているクランは彼女に哀れみの目を向ける。そして、風の剣を精製し彼女の頭部めがけて振り下ろす。他の者達は唖然として見守ることしかできず、言々は口を覆って悲鳴を上げるしかできない。だが、そんな中疾風の如くクランの剣戟を止めるために疾駆した者がいた。
「言ったろう? 俺は行動で示すと……」
「あれぇ? 茨木っちってそんな熱い性格だったっけ?」
疾風の如き剣捌きでクランの風の刃を打ち払う茨木。そして、クランにではなく茨木は言々に言い放つ。言々は親友が息の根を止められる瞬間を見ずにすんだと、嬉し涙を流す。そんな二人の微妙な関係を読み取ったクランは心底忌々しげな表情で吐き捨てる。
「黙れ。いかに貴様と言えどこの数の幹部を相手にするのは無理なはずだ。俺達に従え!」
「ちぇっ、陰陽師として勇名轟かせたこの俺様が妖怪の軍門に落ちるなんてなぁ」
クランの喉元に剣先を当て、茨木は投降し下僕となれと脅す。周りを見回し、戦力差を理解した彼女は肩を竦め、彼らの部下になることを承服した。その契約の証として彼女は、大量の霊力を夢氷に譲渡する。見る見る夢氷の腹部の損傷が塞がっていく。
「まぁ、妖怪の相手も飽きていたし、陰陽師と戦いまくるってのも悪くないかな?」
そして、クランは子供のように屈託ない笑みを浮かべた。まるで全ての成り行きを楽しむように——
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【お終い】
次は、【第一章 第二話、迷え迷え 第二節】です