複雑・ファジー小説

Re: 僕と家族と愛情と【蒼丸誕生日企画・参照3000!】 ( No.350 )
日時: 2013/03/15 08:44
名前: ナル姫 (ID: sA8n45UA)  

【油絵】



夕日の差し込む校舎で、少年は一人廊下を歩いていた。彼——緋月涙は部活動を終え、昇降口に向かっている途中だった。
途中、美術室の前を通る。いつもならそのまま通り過ぎるが、今日は止まる。人がいた。彼の頭上に疑問符が浮かぶ。

(…女?いや、ズボンだな…)

好奇心から、彼は美術室のドアを開いた。入った瞬間鼻を突く油の臭い。

「…何の用だ?」
「え、あ、いや…いつもは誰もいないのになぁって思って…」

しどろもどろに涙は言葉を紡ぐ。男子生徒は彼に見向きもせず、ただ黙々と紙に色を重ねていた。

「えっと…お前、名前は?」
「伊達政宗。二年だ」
「あ、お前が伊達さんかぁ…」

聞き覚えがある、と言うより、有名な名前だった。この地方の金持ちの御曹司、しかも右目に眼帯、更には涙と並んで『学校の二大男の娘(笑)』と言われており、印象に残りやすい人物だ。尤も人数の多いこの学校であまり見掛けることはないのだが。

「美術部なのか?」
「弓道部だ。選択科目で美術をとっている……歌は、あまり得意ではないのでな」
「へぇ…」

政宗が書いている絵を後ろから除き込む。まだ何が描かれるのか分からない紙に、少しずつ色が足されていった。
帰っても良かった。別に仲良くなる気はないし、興味があるわけでもない。……だが涙は、政宗が発する言葉や、纏う悲し気な暗い、それでいて何処が温かい雰囲気から抜け出せなくなっていたのだ。

「…帰らなくて良いのか?」
「良いよ、別に」

言いながら涙は政宗の近くにある椅子に座った。
どうせ一人暮らしだし——理由は言わない。政宗は不思議そうだったが、笑って誤魔化した。
見渡すと、政宗はすでに何枚か絵を描いているらしかった。違う大きさの沢山の紙に、絵が描かれている。鉛筆、水彩、墨の物も、クレヨン、色鉛筆——不思議なのは、全て同じ構造と言うことだった。バースデイケーキを四人が囲んでいる。恐らく、母親と、父親と、息子が二人、と言った所だろう。

「この絵……誰?」
「…家族だ……俺の」

ケーキの前にいるのが自分、両脇にいるのは両親。母親のとなりにいるのが弟だという。

「五歳の誕生日の……祖父が撮ってくれた写真をもとにしてる」
「…今も、それを描いてるのか?」
「あぁ」
「どうして?」

政宗は一旦筆を止め、涙が持っている紙に目を向ける。そして。

「家族が全員笑ってる……最後の写真だから、かな…」

涙は言葉を失った。誰か死んだのか?いや、そんな話は聞かない。暫くして、え、という文字が口から漏れた。

「五歳の時…右目を病で失って以来母親と弟に嫌われて、な……笑う写真はおろか、一緒に映った写真すらない」

自虐的な笑みはどこまでも寂しそうで、ますます彼を引き込んだ。

「…だから、絵を描くのか?」
「描くだけならタダだ…何も減らない。それに、楽しかった頃を思い出せるからな」

また筆を絵の具につけ、ペタペタと色をつけ始める。
夕日はますます斜めになり、美術室内を乱反射する。

「次はいつ絵を描きに来るんだ?」
「この油絵が終わってないから…明後日だな」
「また来ても良いか?」
「好きにしろ」

言いながら政宗は席を立ち、筆を洗い始めた。
半分以上日が沈んだ空はもう暗く、星が見え始めていた。

「おーい梵ー!」

聞こえた朗らかな声。見ると、いつの間にかエナメルバックを持った男子生徒が美術室のドアを開けていた。

「梵って…」
「まぁ色々あって…渾名だ、俺の」

じゃあな、と残し、政宗は鞄をもって教室から出た。政宗と、彼を迎えに来た男子生徒の会話が聞こえる。

「お前が他の人と話すの珍しいじゃん」
「黙れ」
「照れんなよ〜?あの人、二年の緋月さんだろ?」
「あー…名前は聞いたことある気がする」
「絶対聞いたことあるって!だってあの人さぁ——」

涙を怒らせる台詞の続きは聞こえず、残ったものは政宗が途中まで描いた絵と、油の臭いだけになった。
絵の中で幸せそうに笑う政宗に笑顔を漏らし、鞄を背負って教室から出た。