複雑・ファジー小説
- Re: あなたを失う理由。 ( No.31 )
- 日時: 2012/06/29 18:03
- 名前: 朝倉疾風 (ID: FZws4pft)
- 参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/
それは、明らかに事後だった。
上半身裸で首筋に赤い痕。 背中には爪で引っ掻かれたような傷。 気だるそうに床に吐瀉物を撒き散らしている大瀬良くんの手には、使用済みの避妊具が握り締められていた。
独特の匂いに顔をしかめる。 嘔吐していた大瀬良くんが深く息を吐きながら顔を上げ、
「あ、えええええええええええええええええ?」
わたしに気づいて、硬直した。
口から垂れ流しの唾液とか、胃液とかが、トロトロと糸をひく。
ひどく扇情的ではあったけれど、わたしはこの状況を見て平然としていられるほど、人間ができていない。 中を見渡す。 相手は既に帰ったらしい。
「大瀬良くん……それ、なに」
「え、あ……え?」
本来ならば、大瀬良くんから不法侵入だと言われて怒られるんだろうけれど、彼はどうやらわたしがここにいるという現状を理解できていないらしい。
「それ。 手に持っているやつ。 ……なに」
「これはバイトで……使ってて……」
「バイト。 バイトねぇ。 いかがわしいことしてるってことかな。 ああ、風船配りのバイトじゃ生活費が追いつかないもんね」
「関係ねえだろ……ッ、別に……。 ていうか何でお前がいるんだよ! ここ、俺ん家……ッ!」
「学校休んでるから心配になって来ただけだよ。 宝月先生から教えてもらったの」
「帰れ……ッ、帰れよ! 出て行けこの××××!」
無視。
「汚い言葉使わない。 とりあえず立てる? ああ……こんなに床を汚して」
腕を掴んで無理やり立ち上がらせる。 どこか頼りなさそうな、今にも大声で泣きそうな顔をしながら、大瀬良くんはわたしを見た。
そんな大瀬良くんにかける声は、自分でもゾッとするほど冷たかった。
「洗面所、どこ?」
「っ、こっち……待て、もっかい吐きそう……」
「洗面所で吐けばいいから」
それにしても、意外だ。
大瀬良くんは母親から性的虐待を受けていたと聞いていたから、女性との性行為に少なからず嫌悪感というか、トラウマがあると思っていたのに。
けれど吐いているところを見ると、少なくとも自分から進んでそういうバイトをしているわけじゃないってことか。
大瀬良くんから、血管が浮き出ている手でしっかり握っている避妊具を捨てようと手を伸ばしたら、それを振り払われた。
「汚いからいい。 俺が捨てとくから」
「── それ大瀬良くんのじゃないの?」
「俺のだけど、汚いからいい」
「なら平気。 わたしは大瀬良くんを好きだから」
我ながらどうしようもない答えだと思う。 潔癖症ではなくても、顔をしかめるだろう。 現に大瀬良くんも理解しがたいようにわたしを見ている。
「ほら、貸して」
「やめろって!」
取り上げようと再び伸ばした手を、思いっきり叩かれ、突き飛ばされた。
壁に背中をぶつけ、一瞬痛みで息ができなくなる。 目をあけると、必死な形相で大瀬良くんがわたしを睨みつけていた。 肩が弱々しく震えていた。
「汚ねぇんだってば! 俺のは汚れてるんだって……だから、俺のはダメなんだよ、汚いから、それに妊娠したらガキができたらダメだから、だから俺のは糞以下なんだよ! 糞、糞糞糞糞糞糞糞糞クソったれな遺伝子だから! 俺で終わりにするんだよ!」
何を言っているのか、理解できなかった。
それに触れるだけで妊娠するわけないのに。
髪の毛を掻きむしりながら、こちらを拒絶する大瀬良くん。 発汗がひどく、顔も青ざめている。
うわごとのように 「汚い、汚い」 を繰り返しながら、涙を流す。
「精子が蛆虫の形に見える、汚い、俺のは本当に汚い! 糞以下だ、だから、触ったらダメなんだよ……ッ、手ぇ洗えよ! 早くしねえと俺みたいなのが産まれるだろ! しょうどく……そうだ、しょーどくしなきゃ……」
それまで開かれていた瞳孔が一気に虚ろになり、ふらりと大瀬良くんが手を伸ばす。 蛇口をひねって、水を出し、避妊具を持っていない方の手でわたしの手首をそっと、そっと、握った。
「しょーどくしなきゃ……しょーどく」
「大瀬良くん」
その手を握り返す。 今度は振り払われなかった。
「大瀬良くん、バカだね。 本当に貴方ってバカだよね」
純粋なわけじゃないのに、きちんと理解をしていないこの人が愛しい。
していることは底に落ちているのに、心はまだかろうじて幼い子どものままの彼が、本当に好きだ。
不思議そうにキョトンとしている大瀬良くんの頬に触れ、わたしは必死で涙をこらえて笑った。
「わたし、赤ちゃんできない体だから。 別にいーんだよ」
ひくっと息を止める音。
きっと、妊娠の過程をきちんと理解していない大瀬良くんにとって、『妊娠不可能』 な女性の体は未知の領域なのだろう。
「女の人は……子どもができるって……あいつが……」
「うん。 それはまた、ゆっくり話そうね」
大瀬良くんがどんな幼少時代を過ごしてきたかなんて知らない。
けれど、わかる。
彼が本当に何も知らないまま、悪い大人たちに壊されているってことだけは。
守らなきゃ、ねえ。 わたしが彼を。