複雑・ファジー小説

Re: あなたを失う理由。 ( No.5 )
日時: 2012/06/10 21:17
名前: 朝倉疾風 (ID: GYxyzZq9)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/


episode1

 『あなたが触れない理由』



             01




「初めて精通したのは、母親の口の中でした」




 声がした。 小さく喋っているくせに、なぜかハッキリとそれが聞こえた。
 しんとしている廊下にわたしがいるからかもしれない。 周りは寒気がするほど静かだというのに、わたしの心臓は衝撃的な内容を聞いてしまったせいか、ひどくドクドクと鳴っていた。
 最初に聞こえた声とは対照的に、何を言っているのかわからない、ボソボソとしたもうひとつの声がする。
 ふと横を見ると、『生徒指導室 責任者 宝月優子』 の文字が見えた。 そういえば今日はスクールカウンセラーが来校しているっけ。
 確か同じクラスの大瀬良くんが掃除のあと宝月先生に呼ばれていたから、きっとさっきの声は大瀬良くんのものだろう。

 ──にしても。

 内容が内容だっただけに驚きすぎて、足が動かない。
 聞いてはいけないと思ってはいるけれど、なんというか……ショックすぎて凍りついてる、わたし。
 おかげさまで、さっきまでは聞こえていた大瀬良くんの声も、いまは自分の心臓の音が邪魔をして、よく聞き取れない。 クラス替えでなんとなく陰のある人だとは思っていたけれど。
 けっこう大マジに欝な人だった。

「失礼しました」 「えっ、あ」 もたもたしているから、扉がガラリと開いて、大瀬良くんとご対面してしまう結果となった。 ……相変わらず綺麗な顔をしている。

「流鏑馬さん、何してるの」 大瀬良くんの後ろから、宝月先生が慌てたようにこちらへ来る。

「テスト週間でしょう。 もうとっくに下校時間、過ぎてるわよ」
「えっと……化学の先生に用事押し付けられちゃってさ」
「押し付けられた、なんて言わないの。 任された、と言いなさい」

「だってひどいじゃん。 わたし、係でもなんでもないのに」

 宝月先生がまた何かを言おうと口を開けたが、それは大瀬良くんの声によって遮られる。

「それじゃあ俺は失礼します」

 ひどく落ち着く声だった。
 スタスタとこちらに見向きもせずに廊下を歩いて行ってしまう大瀬良くんに追いつこうと、先生にお辞儀して後に続く。 彼より数メートル離れた距離を保とう。
 高校2年生になって同じクラスになった大瀬良くんとは、あまり話したことがない。 というか、大瀬良くんは誰とも話さない。 話しかけても大抵が無視で、それが肯定の意らしい。 何か反論があればいつも短い言葉で要点だけを言う。 そんな人なのだ。
 格好いいくせに、いつも顔には目立つ傷や痣があって、少し関わるのをためらわれる。


 けれど。


 わたしは好きなのだ。 この、大瀬良悠真という人が。





 駐輪場はもうほとんど自転車がなかった。
 いまは中間考査のテスト週間で、部活動はすべて休みになっている。 この百々峰高校は絶対に部活に入らなきゃいけないから、一応わたしは美術部に入っているけれど、もともと幽霊部員だから休みだろうが関係ない。 先生も何も言ってこないから、まー別にいいんでしょうな。
 こういう思考で気を紛らわせてはいるものの、すぐ隣で大瀬良くんが自転車にカバンを置く姿を見て、いまにも死んでしまいたくなるほどドキドキが止まらない。
 あー、もたもたして鍵がうまく入らない。 どれだけ意識してるんだ、わたしは。 恋か。 これが恋っていうのか。 ああ、自転車の鍵が……うまく入らない。

「盗み聞きってタチ悪いと思うんだよね、俺」

 言われて。
 後ろから、抱きつかれた。 なんか知らないけど、大瀬良くんに抱きつかれた。 いや、そうじゃなくて。 抱きつかれたとかいうキャッキャウフフな感じではなくて。 声色がマジで怖い、うん。

「なんのこと……」 

「さっきの話、聞いてないよな」
「さっきの話って」
「俺が、母親に性的虐待されてたってこと」
「き、聞いてないよ」

 声が裏返った。 けっこうわかりやすいほど。
 大瀬良くんが短く笑って、 「肩、震えてるよ」 彼の体温がわたしから離れる。
 自分の心音が大きくて、壊れてしまうんじゃないか。 ひどく顔が火照って、隣で自転車にまたがろうとしている大瀬良くんを、大瀬良くんに、どうしようもなく好きだから。

 だから。

「ごめんなさいっ!」

 とりあえず謝ったけど、自分でも自分がなにをしているのかわからない。 混乱している。 うわ、どうしよう。 考えなしに行動するなとあれほど兄さんに言われていたのに。

「なんで抱きついてんの」
「いや、あの……こう咄嗟に、なんというか、フォーリンラブっていうか」
「ああ、理解できた。 アンタは俺のことが好きなんだ」

 妙に納得されてしまって、間違いなくそのとおりなんだけれど。 今こうして普通に会話ができていることだけでも嬉しいのに、まさか自分から抱きついちゃうなんて。
 あの大瀬良くんと。 みんなから浮いていて、少し気味も悪がられている大瀬良くんに!



「でも俺、アンタの名前知らねえし。 あと邪魔。 俺の前から消えてくれる?」