複雑・ファジー小説

Re: あなたを失う理由。 ( No.78 )
日時: 2012/08/20 11:12
名前: 朝倉疾風 (ID: FZws4pft)
参照: http://ameblo.jp/asakura-3-hayate/

               ♪


 母が死んで、兄の様子が明らかに変わって、父も仕事で家に帰らない日々が続いていた。
 兄が学校から帰ってくるまで、少女は学校帰りに必ず祖母の家に寄っていたが、必ずと言ってもいいほど兄が毎日迎えに来る。 祖母に向ける兄の笑顔を見つめながら、こっそりと少女は 「嘘だ」 と呟いた。
 この満面な笑みが偽物だと、少女だけが知り得たから。

 家に帰って、仕事で戻らない父親のかわりに夕食は兄が作ってくれた。 どれも少女の好物で、兄は美味しそうに食べる少女を見つめ、幸せそうに微笑んでいた。 夕食のあとは、いつも兄がゲームに付き合ってくれた。 少女が勝てるようにわざと配慮してくれていたのかもしれない。 喜ぶ少女の頭を優しく撫でるときの兄の笑顔は、嘘偽りのものではなかった。
 そんな穏やかな時間が崩れるのは、いつだって夜がきてから。

「俺のこと怖くないんか」

 捨てられた子犬のような目で兄がそう聞くのを、少女は黙ったまま頷く。 その唇は真っ赤に腫れていて、手首には縄できつく縛られた痕が痛々しく残っていた。 泣いて充血した目を伏せ、少女は唇を血が出るほど噛み締める。
 怖くない、と言えば嘘だった。 だけど、怖いと言ってしまったら兄が消えてしまいそうだった。
 だから少女はこう思うことにしている。 この人はわたしだけが全てなのだと。 わたしがいなければこの人はいつまでも泣いてしまって、わたしがいればこの人は自分の価値を確かめられるのだと。
 幼いながらにそう思い、自分の体に触れる兄を愛しく思おうと努力した。






「ミチルは可哀想なのよ」
『可哀想? どういうことだよ』
「ミチルはわたししかいないの。 だから、わたしにあんなことする。 わたしが拒めば、ミチルはきっと死んじゃう」
『でもお前は苦しいんだろ?』
「苦しいよ。 すごくすごく。 死にたいくらい、苦しい」

 言いながら少女は笑う。 けれど、次の瞬間には険しい表情になり、

『そんなんじゃダメだろ。 お前が苦しいんなら、俺がお前の兄貴に言ってやるよ』

 男性の口調でそう言った。
 周りには誰もいない。

「そんなのダメだよ!」
『なんでだよ』
「なんでも。 ミチルのこと、わたしが守ってやらないとだめだから」
『── それって本気で言ってんのかよ。 そう思い込んでるだけだろ』

 少女が話してるのは自分自身に対してだった。 心の奥底に溜まった不満や苦しみと対話して、兄に対する恐怖を少しでも紛らわせようとした。
 最初は友達が欲しかったから。 自分の気持ちを受け止めてくれる友達が欲しかったから。 頭で作り上げた友達の役も自分でしながら、少女は一人で会話をしていた。

 いつしか、兄から愛されているのは自分ではなく、その友達なのだと思い込んでしまうほどに、少女は追い詰められていた。





 少女が13歳のとき、兄が自宅に若い女性を連れてきた。 若いとは言っても兄よりかは数歳年上で、化粧や服装、髪型も派手な女性。
 女性はつまらなさそうに少女を見ると、ニコリと笑いかけた。
 つられて少女も笑おうと試みたけれど、それは無理だった。 なにせ、少女は半裸にされてベッドに縄でくくりつけられていたのだから。

「なぁに? シスコンだって聞いてたけど、これはちょっと度が過ぎるんじゃないの〜」

 甘ったるい声でそう言いながら、女性は兄の首筋にそっと手を伸ばす。 くすぐったそうに笑いながら、兄はその女性にキスをした。
 信じられなかった。
 初めて、女性に対して嫉妬というものを覚えた。 兄が愛情を示すのは自分だけだと思っていたから。
 長いキスが終わった後、女性はそのまま、動けない少女にもキスをしてきた。 何をされているのか、これから何が始まるのかわからず、少女はパニックになり拒むことができない。
 舌を入れられ、口内を掻き乱され、卑猥な音をたてて女性がやっと少女の口から出て行く。 放心状態の少女を見つめ、その頭を撫でながら、

「おにーさん、貴方としたいんだけどね、できないんだって。 アタシとも寝たんだけど、途中で貴方を思い出してへこたれちゃったのよ」

 とびきりの甘い声で少女に囁いた。
 その言葉の意味が理解できて、少女は黙ったまま涙で頬を濡らす。
 自分とそうなりたいという兄の思いにショックだったのではなく、兄が他の女性と関係を持ったことが、ひどく憎らしかった。 兄には自分だけだと思っていたから。

「アタシ、バイなんだよね。 貴方はミチルさんと似てるから……すごく可愛い。 ねえ、ミチル。 この子の顔が見たいんでしょ。 だからアタシを呼んだのよねえ? なら愛しの妹ちゃんがヨくなってるの、見なくていいの〜?」

 女性は言いながら少女の縄をほどき、自由になったその手を真上に持って行って拘束する。 腹の上に乗られているから、起き上がることができなかった。
 そのまま手を滑らせて、少女の柔らかな体に好き勝手に触れる。
 兄は、それをじっと見ているだけだった。



 違う。



 これは、ちがう。 ちがう。 わたしじゃない。 触られているのも、兄に必要だと思われているのも、こうやって感じてしまっているのも、わたしじゃない。 わたし、じゃない。
 じゃあ、誰。 誰。 だれが、だれに、だれを、だれは、ねえ、誰。 わたしじゃない、こんなのわたしじゃない。 穢れてなんかない。 気持ち悪い。 やめて、触らないで、怖い。 怖い。 怖いよ、ねえ。
 やめてよ。
 やめてよ。
 やめてよ。
 大好きだから、ミチル。 大好きだから。 だから、止めてよ。 せめてミチルがしてよ。 大好きだから、大好きだから、ねえ、お願いです。
 やめてください。
 怖いです。 恥ずかしいです。 お願いです。
            やめてyああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ、怖い怖いこわいこわいこわい タスケテ キライ キライ 怖い
 助けて             誰か
       誰でもいいから            怖いよ
怖いよ

                          お願いです


 ミチル、やめさせてよ


                          ミチル、





── 俺に代われ、潮音。







 気がつけば。
 今まで少女の内にいた“彼”が出てきていた。 少女の妄想にしか過ぎなかった彼が、個人の人格を持って生まれてきてしまった。
 人格を交代させた彼は、少女の足を大きく広げている女性を見て、思わず笑いを溢れさせる。
 それに気づいた女性が顔を上げ、唾液で濡れた唇を舐めながら不思議そうに聞く。

「ん? なにどしたのー」
「いやぁ……ずいぶんと夢中だなーって思って」
「そりゃあ可愛い子好きだからねぇ」

 今までと違う少女の態度に怪訝そうに首を傾げた兄は、そっと少女の頭を撫でる。

「どないしたん……よくなかったか?」
「ちょっとー。 誰に代わってアタシがやってると思ってんのよー」

 好き勝手言う女性を睨みつけ、少女の姿をした彼は、

「いつか殺してやるから」

 そう言い切った。
 ハッキリと言い切った。
 その目が本気なのを悟った女性は、少しだけ目を泳がせて、だけど嬉しそうに笑って、

「殺してくれんの? なら酷く殺してね、潮音ちゃん」

 けっきょくは、それだけだった。
 それだけのこと。
 全てが終わってから、女性はシャワーを浴びて帰っていき、気怠い体を起こすのも面倒だった少女の体は、兄が拭いてくれた。

「── 潮音……どっか痛いんか? 俺のこと嫌いになった?」

 不安そうな兄の声。
 少女は何も答えない。

「俺な……ずっと潮音が欲しかったねん。 離れていく気がして怖かったけん……。 でも、俺なんかが潮音と寝たら、潮音が汚れるやろ。 野郎なんかはダメやねん。 潮音が……汚れるのは嫌やったねん。 だから、」
「だから、女だったわけか」

 彼は、言う。 憤りを押さえ込んで、なるべく冷静になろうとした。
 本当は兄を殺してやりたかった。 少女をあれほど壊したこの男を、許せるわけがなかったから。
 だけど。
 少女があれだけ愛しく思っているこの男を殺したら、今度こそ少女は粉々になってしまうだろう。 少女の持つ愛情が、たとえ愛情なんかじゃなかったとしても。
 兄を好きだという少女の想いが、恐怖からくるものだとしても。

「俺は、お前が好きや」

 抱きしめられると鳥肌がたった。 頭にキスをされると吐きそうにすらなる。
 同じ男にこうされても、彼が嬉しいはずはなかった。
 兄は自分の妹の決定的な変化にすら気づかず、自己満足の世界へまた一人で行ってしまう。
 ぼんやりと明るい空を見ながら、彼は誓った。 自分が少女を護るのだと。