複雑・ファジー小説

Re: コドクビワ、キミイゾン。 ( No.98 )
日時: 2012/08/11 22:42
名前: 揶揄菟唖 ◆bTJCy2BVLc (ID: 5VUvCs/q)
参照: http://長い、ごめんなさい



+63+


「ちょっと、店長!」

店長はプレートを机に置くというより落して、店の奥に進む。他の客が、ちらちらと店長と私を見る。腕を一瞬掴んだけれど、すぐにふり払われる。男の人の力を感じて、恐怖を感じた。それでも、店長を追いかける。卓巳に近づくのは嫌だけど、店長の様子が変だ。
いつもは優しくて、一番大人で、冷静で。そんな店長が、今、私を不安にさせている。感じるんだ。
卓巳の私への固執を見てきた。孤独の私への固執も感じてきた。私の卓巳への盲目的な愛も、知っている。そんな私が、不安に感じている。つまり、店長は、今の店長は、愛に不安定だ。
店長はどんどん進む。私の姿を確認した卓巳が、驚いたようにして、すぐに顔を歪ませる。向かいに座っていた髪の傷んだ女性が、店長を見上げている。傷ついたような、そんな顔で。

「たつ、おみ」

それは、店長の名前だ。滅多に店長の名前を呼ぶ人は居ない。それなのに、下の名前で。

「あーれ、なぁに、築。知り合い?」

卓巳がにやにやと笑う。
気付いている。この人たちが親しくて、昔何かあったことに、絶対に気付いている。嫌だな。この人、どんどん人の心の傷を抉る。

「ち、がう。違う、違うんだ、忌屋。違う、知らない」

女の人は必死に首を振るけど、そもそも卓巳と店長から目を逸らしている時点で、なんだか不自然。卓巳は細かいところに目をつける。そこそこ卓巳のことを理解しているようだけど、まだ。まだ足りないな。

「何言ってんだよ、築」

そうか。店長の人の名前をよく呼ぶ癖は、この人のせいかな。でも、辰臣と、忌屋。
店長は、築の手に視線を落とした。

「……なんだよ、この傷。築」

店長が自分の手を見ていることに気が付いた築が、隠すようにテーブルの下に手をしまう。
ちらっと見えたけど、そこにはガラスの破片で切ったような赤い線が入っていた。

「貴方、なんの用? ボクたちデート中なんだけど」

卓巳が、追い打ちをかけるように言う。築は、唇を噛み締めて卓巳を見る。ダメだよ、煽る。
店長と卓巳は私のことを気にしていないようだけど、築は気にしてる。そりゃあ、店長にとっての卓巳と、築にとっての私は同じ立場なのだから、仕方がないだろう。

「そうなのか? 築」

「……辰臣」

築は悲しそうに、店長を見上げる。卓巳は笑ってる。私は店長を見上げた。
店長は、目を閉じて、そして開いた。
そのときにはもう、落ち着いた店長に戻っていた。

「……築にこんな顔、」

戻って、いた?

「させてんじゃねぇーよ!!」

私は、どこをどう見て、そう思ったんだろう。どうして、そんな愚かなこと、思ったんだろう。速かった。誰も止められなかった。

ケーキのクリームが少しついたフォークを、店長は、突き刺した。
いちごのような赤が、宙を舞う。

私の腰から力が抜けて、その場に崩れ落ちる。

「あ、ぁ? あ、ああぁぁぁぁ、あっぁあぁ、ああぁ」

卓巳が、立ち上がって顔から必死に赤を拭う。でも、止まらない。築は慌てて店長を抑えている。
店長は、笑っていた。
何その笑い方、変なの。

私はただ、眺めていた。見上げていた。卓巳の名前も、呼べなかった。
ただ、私は見ていた。
卓巳の右目に突き刺さったフォークを、ただ見ていた。