複雑・ファジー小説

Re: 生かし屋さんが通る。 ( No.6 )
日時: 2012/07/06 20:30
名前: ばんから ◆UOht9E1HHc (ID: 6vo2Rhi6)

Ⅰ-Ⅰ 生かし屋さんが通る。


 彼女——鬼瓦レイチェルは、眼を細めながら、ちっと舌打ちをした。

レイチェルの鋭い瞳は、目の前の男に向けられている。しかし、その睨みも男には効かないようで、男はさも可笑しそうにクツクツと笑い声を立てながら、レイチェルを一瞥した。その視線と笑い声に、レイチェルは不快だというように眉をひそめながら、男をもう一度睨む。

 「きみ、何のつもりだい?」レイチェルは言った。男がぴくりと反応するのを見透かすように、レイチェルはなおも男を睨み続けた。

「何のつもりとは、愚問ですね。」男は弧を描くように唇を歪めた。「答えるわけないでしょう。」
「答えてよ。——おまえに何か一つでも聞き出さなければ、政府から圧力がかかるんだ。そうすれば、こっちの営業にも支障がでるからね。」

 レイチェルが、溜息交じりに言う。しかし、その言葉は無意味だったらしい。その証拠に、教える気はさらさら無いようだ。男のにやにやした笑いがそれを物語っている。

男は、レイチェルの負担などどうでもいいというように先程と変わらない表情を繕ったまま、レイチェルに一歩だけ近づいた。レイチェルは一歩下がる。男が一歩近づくたびに、レイチェルが一歩ずつ下がるため、距離は全く埋まらない。

その距離が、男——否、男の所属する組織との関係を表しているようであった。

「——私も、嫌われたようですね。」
「当たり前さ。おまえが今までしてきたことを思い出すといい。」
「すみませんが、」男は咳払いをしながら続ける。「過去は振り返らない性質タチでしてね。」

 その言葉を聞いた瞬間、レイチェルは、呆れたというような表情をした。これ以上馬鹿の言い分は聞いてられない——レイチェルは、踵を返す。

「おや、帰るのですか?」
「そうだよ。おまえの戯言には付き合ってられない。——それに、今日の用事はきみと話すことではないからね。これ以上いる意味もない。次会うときは、戦場さ。」
「ほほほ。それは楽しみですな。貴女の力をまた見れるだなんて。」

——わたしの力を見る前に、殺してやるさ。口には出さないが、レイチェルの目には闘志が宿っていた。無論、男の目にも。

 レイチェルは、今日初めての笑顔を零した。それは、男との会話が楽しかったからではない。これから起こる、戦争への思いからであった——。





 同刻、場所は変わって、日本。ある学校の教室にて、青年が一人佇んでいる。その表情には、憂いやら悲しみやら、もどかしさやら、そのような感情が含まれていた。

青年は、ふと思いついたように顔をあげると、一つの机の前に歩み寄る。そして、それを思い切り——蹴り上げた。

 青年の名は、芦屋寛人であった。放課後だというのに、まだ学校から帰る様子はない。がたりと大きな音を立て倒れた机を、目だけで見下ろしながら、寛人は呟いた。

「……うぜーんだよカスが。」

 どうやらその机は、寛人が嫌っている奴の物らしかった。寛人は、もう興味がないという風に目を時計にやると、そのまま教室を出て行く。

「——あいつが、寛人ね。またとんだ不良だぜ……。早速、鬼瓦さんに報告しなきゃなんねえな…。」赤い夕日とともに、木の上からは、何者かが寛人を見下ろしていた。

Re: 生かし屋さんが通る。 ( No.7 )
日時: 2012/07/23 13:48
名前: ばんから ◆UOht9E1HHc (ID: 6vo2Rhi6)

Ⅰ-Ⅱ


「おーおー、寛人くんよォ!」体の大きい男が、半笑い気味に言う。「朝来たら机が倒れてたんだけどよォ、どーせてめえだろ? 机倒したのは。」

「……。」
「けっ、無視かよ! てめえには口がねえのか!」

 どうやら、体の大きい男——山本が、寛人が蹴り倒した机の持ち主だったようだ。寛人の前に立ち塞がるように立っている山本を、寛人は、無表情のまま——まるで山本が存在しないかのように、彼の隣をすっと通り過ぎる。

 その行動に、山本は腹を立てたらしかった。山本のこめかみにぴくぴくと動く青筋が見えるが、寛人は、興味が無いという風に自らの席に座る。ついに、山本が、怒鳴り声をあげた。

「ってめえ! 殺されてえのか!?」
「いいや。」初めて、寛人が口を開いた。「殺されたいなんて、思ってねえよ。」

 山本に背を向けたまま、淡々と言葉を並べる寛人に、山本がキリキリと歯軋りをする。憎い。憎たらしい。そのような感情が、山本の胸の内で渦巻く。

 昔から、そうだった。高校に入学する前も、コイツはいけ好かない奴だった。大嫌いだった——何をしても、ひるまない、無表情なコイツが。嫌いという感情は、いつのまにか、憎悪に変わっていた。

 だから、出来る限りのことをした。寛人にさまざまな虐めをした。教科書だって上履きだって、何もかも隠したし、靴箱には大量の虫を入れてやったこともある。だが、コイツは、無表情で言うのだ。「こんなことして、虚しくなんねえの?」

 山本は、手を振り上げた。寛人は、机の中に教科書を入れている最中だった。やはり、無表情だった。

「(くそぉおぉっ!)」

 強く握られた拳が、寛人のこめかみに——当たる、はずだった。しかし、すかっと空振りした拳が、むなしく宙を切った。椅子に座っていた寛人は、いなくなっている。

 山本は、目を疑った。


「う、うそだろ…。いねえ…。」その言葉を紡ぐとともに、——「ぐっ、はっ!?」

 凄まじいほどの鈍痛が山本を襲う。

 山本の口から、勢いよく吐き出された血が、弧を描きつつ、教室中に散らばった。——何だ!?山本は痛みの根源である腹を見た。そこには、——寛人が拳を固めて山本の腹に打ち込んでいた。

「て、…てめえ。」

 あの短時間で——否、あの一瞬で、寛人は拳を避けて、咄嗟に山本の懐に潜りこんだのだ。そのまま、拳を固めて、全力で山本を殴った。寛人は、拳を緩めると、やはり無表情で立ち上がった。山本を蔑むような目付きで一瞥すると、教室を出て行った。

「ひ…寛人ォオオォ!」

 山本が、血を吐きながら憎き寛人の名を呼ぶ。そこで、山本の意識はブラックアウトした。寛人は、振り返らなかった。