複雑・ファジー小説

Re: 灰色のEspace-temps 『紫苑と飛雄馬』 ( No.13 )
日時: 2012/07/12 18:11
名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: kGzKtlhP)




 …そこで、終わった。
 頭痛も止み、ゆっくりと目を開け、身体を起こす。


「兄貴? 大丈夫?」


 紫苑の瞳には、まだ焦りは消えていなかった。
 それでも、少し、ほんの少し、安堵の色が見えた。


「…ああ、大丈夫だ」


 飛雄馬が優しく微笑むと、紫苑は頬を緩めた。
 そして、顔をくしゃくしゃにして、今にでも泣き出しそうな笑みでこう言った。


「…良かったぁ……!」


 ガクン、と紫苑が腰を下ろす。


「オイ、不衛生だぞ」
「…安心したら、ついぃ…」
「心配しすぎだろーが」


 コツン、と拳で軽く紫苑のおでこを突く。
「だって、だってぇ……」涙を必死に堪えるせいか、震える声で紫苑は言った。


「…兄貴、今にでも何処か行ってしまうような気がしたから…」


 紫苑の言葉に、そうか、と飛雄馬は思う。
 俺は、そこまで顔色が悪かったのか、と。




















「ごめんな、心配掛けて——」そう言おうとした時だった。
































 ガッシャーン!! と、まるで雷が落ちたような音が、鼓膜を破るような勢いで響く。
 そして、爆発音とともに、キノコのような煙が吹いた。


「えっ……」


 紫苑の瞳孔が、大きく開く。
 その全てが、飛雄馬にはゆっくりと見えた。


「ば…爆発!?」紫苑が、焦りをにじませた言葉を放つ。
 対照的に、飛雄馬は動じなかった。
 ——否、あまりにも動揺しすぎて、状況が良く判らなかった。


(一体、何が起こったんだ?)
 ——爆発した。
(何で爆発した?)
 ——判らない。


 まるで、自分の中にもう一人誰かが居て、それに語りかけるように自問自答する。























(何処で爆発した——?)
 ——令子が、居た病室。



 そこまで思考が行き届いたとき、すでに飛雄馬の身体は動いていた。


「兄貴!?」


 紫苑の声が聞こえる。けれど、飛雄馬の頭には、届かなかった。

 バタバタバタ!! と、廊下をかける。
 廊下には、ヒュンヒュンヒュン、と火災警報器が響いていた。
 夏の蝉のように五月蝿く無くのに、飛雄馬にはそれも届かない。
 無我夢中で走り、令子が居た病室へ走った。

 病室に近づいたとき、火が廊下を走るように燃えた。
 火は真っ直ぐに、飛雄馬に向って走ってくる。


「うお!!」


 とっさに飛雄馬は動いて、間一髪でかわした。
 一気に温度が上がり、汗が吹き出る。


(令子ッ……)


 汗をぬぐって、飛雄馬はまた走り出した。

 炎がゆらめく。
 それをくぐり、越えながら、飛雄馬は走る。
 時に煙や熱さにやられ、足元がおぼつかない時もあったが、それでもスピードは落ちない。

 炎の道を進むと、一つだけドアが無くなっていた部屋があった。
 飛雄馬は、すぐにそこに入る。


「令子!!」


 鋭い声で、名前を呼ぶ。
 勿論と言うべきか、返事は返ってこなかった。

 燃え盛る病室。幸いだったのは、個室だったという事だ。
 恐らく、隣にも火は移っただろうが……大勢の人間が一瞬で焼かれるよりましである。


(…それは、俺の傲慢かもしれないけれど)


 ふと、そんな事を思った。
 だが、感傷に浸っている時間は無い。早く個室に居た令子と少女を救出せねば、飛雄馬の命すら危うい。

 炎をかいくぐると、すぐに令子の姿が見つかった。


「令子!」


 令子は、寝ていた。
 炎の熱さのせいか、それとも泣きじゃくったのか、それとも両方か。…頬は、赤く染まっていた。
 飛雄馬は、すぐに令子の身体を抱えた。——身体が、とても熱い。


(まずい、早く戻らないと…)

 飛雄馬は令子をおぶって、すぐに寝ているはずの少女を探した。
 令子の居た場所の隣に、ベッドがある。そこに、少女は寝ていたはずだ。


「あっ……」


 飛雄馬が、煙のせいで擦れた声を上げた。

 ベッドは——燃えていた。


「あの子はッ…!?」


 バッ、と辺りを見る。
 やはり、炎しか見当たらない。


「どう…して」


 信じられない。信じたくない。


(あの子は、死んでしまったのか!?)


 そんな気持ちを抱えて、更に探そうとした。
 ところが、ガタン!! と、燃える何かが上から落ちてきた。
 よくよく見ると、落ちてきたのは天井だった。

 殆ど炎と、灰になっていたけれど。


(…もう、限界か)


 もうすぐ、この部屋全体も崩れるだろう。
 これ以上居ては、自分も、玲子の命も危うい。
 そう思った飛雄馬は、令子を連れて、紅蓮の炎から逃れることにした。