複雑・ファジー小説

Re: 灰色のEspace-temps ( No.19 )
日時: 2012/07/17 18:53
名前: 火矢 八重 ◆USIWdhRmqk (ID: kGzKtlhP)

                        

        ◆


 静かな廊下に、カツカツと音が響く。
 飛雄馬を案内してくれた婦警さんが、トントンとドアを叩いた。


「どうぞ」


 なまりがない日本語が返ってきた。
 その時、飛雄馬は確信した。


(間違えない——あの『声』と同じ声だ)


 婦警さんが、重いドアをゆっくりと開ける。


「クリスちゃん、今日は貴方に会いたいっていう人を連れてきたわよ」


 婦警さんに続いて、飛雄馬は部屋に入った。
 そこには、可愛らしいネコの絵柄が描かれたコップを持つ、金髪の少女が座っていた。


(やっぱ、美人だなあ…)


 素直に飛雄馬は思う。
 一度、気絶している時に顔を見たが、目を開けていると更に美人に見えた。
 十年後したら、男がわらわらと集まってくるに違いない。


「…だれ?」


 小首をかしげ、大きな瞳をくりくりとさせた。


「御巫飛雄馬君。
 ……あの時、現場に居た男の子よ」


 婦警さんが言うと、金髪の少女は大きく目を開き、そして俯いた。
 婦警さんは苦笑して、ドアノブに手を付ける。


「私は外に出ているから、後は二人で話してね」


 そう言って、婦警さんはそそくさと出て行ってしまった。



 さあ、どうしよう。
 飛雄馬は、どうすればいいか判らずに、立ちすくんでいた。


(一体何から話せばいいんだ? 『灰色』から話せば良いのか? でも、いきなり灰色の話をしてもワケわかんないし…あの『声』の事も話すべきか?)
「ヒュウマ」


 悶々と悩む飛雄馬に、金髪の少女が声をかけた。


「とりあえず、座る」
「…あ、はい」


 金髪の少女に進められ、座ることにした。
 さて、じゃあとりあえずあの『声』のことを話そう——と思った時、金髪の少女が口を開いた。


「クリスタル・ファントム・エ・レ・クレール」
「…は?」


 抑揚の無い台詞に、思わず、飛雄馬は聞き返した。
 何だ、この呪文みたいなヤツ——と思っていると、金髪の少女は言った。


「ヒュウマ、名前言った」
「あ、ああ」
「だから、自分の名前言った。
 初対面の人と話すとき、自分の名前明かすの、礼儀」
「…ま、まあそりゃそうだけど」


 一体、何処からが名前で何処からが名字だ——と思っていると、まるで心を読んだように少女は言った。


「私の名前、クリスタル。ファントムが名字。
 後はミドルネーム」
「…そ、そうか。
 えっと、クリスタルさん」


 そろそろ本題に入ろうとしたとき、また金髪の少女——クリスが遮った。


「クリスでいい。
 クリスタルまでいうの、めんどい」
「そ、そうか…」
「聞いててイライラする」


 ハッキリとした物言いだなあ、と飛雄馬は思った。


(でも、まるで別人みたいだ。
 あの時の少女の声は、とても一生懸命だったけれど…)


 この少女は、何に対しても無気力に見える。
 本当に同一人物なんだろうか、と飛雄馬は思った。


「えっと、クリス。
 君は……」
「覚えていない」


 飛雄馬は、「君は、爆発したときのことを覚えているのか」と言おうとした。
 けれど、またクリスは遮った。

 飛雄馬は目をパチクリと瞬かせる。


「覚えていない。
 ちょっと前まで、私。西洋に居た。
 でも、気を失って。気付いたら、見知らぬ病院に居て。建物が爆発していた」
「…そ、そうか……」


 飛雄馬は、務めて冷静な調子で返した。
 内心では、(ななななななな何で俺の言いたいことが判るんだぁぁぁ!?)と、動揺しまくっていたけれど。
 だが、クリスが聞き逃せないことを言った。


「ヒュウマ。言いたいこと、全部顔に書いてる」
「嘘!?」
「ホント」


 クリスに言われ、飛雄馬は恥ずかしくなった。
 耳まで紅潮していくのが自分でも判る。


「は、ハズかしい…」


 思わず両手で顔を覆った。
 すると、「ふふっ」クリスの声が降ってきた。
 今さっきまでは抑揚のない喋り方だったのに、何だか楽しそうな声で。
 覆っていた両手を下ろして、飛雄馬は視線をクリスに向けた。















 クリスは、目を細めて、笑っていた。
 今さっきの、無気力で無表情だったのが、嘘みたいに、優しく、柔らかく笑っていた。
 クリスは笑ったまま、春の陽だまりのような暖かい声で続けた。


「私、表情がコロコロ変わる人、嫌いじゃない。
 その人は素直だから。だから嫌いじゃない」
「……」


 思わず、飛雄馬はその笑みに見惚れてしまった。


(——ああ。こんな風に笑えるんだな)
(この少女は、こんな風に、優しく笑えるんだな)


 そう思うと、こちらも暖かい気分になって。
 気付かないまま、飛雄馬は柔らかい笑みで返していた。


 すると、みるみるクリスの頬が紅潮していった。
 雪のように白い肌の上に、紅い花が咲いているように。


「…?」


 どうしたんだろう? と飛雄馬は思っていると、今度はクリスがぎこちない調子で言った。


「…に、ニヤニヤ顔。き、気持ち悪い。とっとと直して」


 ガラガラガッシャァァァァァァン!!
 心の中で、何かが盛大に壊れた。もうそりゃ雷が落ちたように壊れた。
 今さっきまで幸せな気分だったから、尚更だ。
 クリスはさらに追い討ちを掛けるように言う。


「私、表情がコロコロ変わる人間は嫌いじゃない。
 けど、眼鏡はキライ」
「んだとテメェェェェェ!! これは伊達じゃぁぁ!!」


 飛雄馬の頭のネジが盛大に飛んだ。そりゃもー、世界の裏まで飛んでいったかも知れない。
 ガタッ!! と、飛雄馬は立ち上がった。思いっきり立ち上がったので、椅子が倒れたが、そんなことは気にしない。



「やるかぁ!? 俺の方が六歳ぐらいちげえんだぞぉ!?」
「望むところ。返り討ちにしてやる」





 とある世界の、とある国の、とある町の、とある警察署。
 その一室で、十歳の少女と取っ組み合いになっていた大人気ない高校一年生が居た。
 ——というか、飛雄馬だった。