複雑・ファジー小説

Re: The world of cards 09/13更新 ( No.44 )
日時: 2012/09/14 23:49
名前: 柚子 ◆Q0umhKZMOQ (ID: iAb5StCI)

第五話 『右手に法を、左手に裁きを』


 『香住』が次に狙ったのは、この中の誰よりも同じ時間を過ごした月であった。ゆったりとした歩調で、屍たちを踏みながら『香住』は月へと近づいていく。口元に浮かべた笑みには無邪気さの欠片も無く、ただ艶めかしく美しい快楽に溺れていた。

「月、あたしね、月が大好き」

 ——たった一言。
 たった一言だったが、そこには残虐な『香住』ではなく正義感の強かった香住がいた。それを聞き、月の目が見開かれる。その言葉を言った香住が浮かべていたのは、いつもの無邪気な笑顔だった。

「香住、お前……」

 月が保っていた集中力が、ぷつりとそこで切れる。その瞬間、香住は『香住』へと変わり歪んだ笑みを見せた。

「剣舞劇場! 菫さんと月さんを領域の中に!」

 二人は早く中に入ってください! と朔夜は付け足して声を上げた。反応が遅れた月は、菫に背中を押され朔夜が作り上げた領域に入る。傍から見れば、厚みが無く只の鏡のようにさえ見える領域。月が力を抜いた瞬間に、人の倍の速さで突進しようと走り出した『香住』は、途中で減速せざるを得なくなった。
 『香住』は不服そうに領域と朔夜を、同時に睨みつける。その瞳の中には獲物であった月も入っていた。香住の目は、領域の中で心配そうに私を見る月が映し出される。『香住』には、何の感情も生まれない。ただ映し出されるのは、此方を見る男二人と、邪魔をした小賢しい女一人。

 どれも等しく、あたしの獲物だわ。

 『香住』はゆっくりと低姿勢になり、足に力を込め始めた。元々強かった香住の肉体を、トランプ固有保持能力【もう一人の私(バイ・アナザア)】のオプションで、更に強化している。そのお陰で、『香住』の足のバネは、計り知れないほどの力を生み出す凶器と成り代わっていた。

「駆逐する」

 とても音声として拾う事が出来ない、耳に入れることすら困難な音声に『香住』だけが反応した。力を込めた足はすでにパンパンで、今直ぐにでも目の前にいる獲物を喰らう、そんな本能が纏わり付いているようにも見えた。『香住』は力を集中させるのをやめ、スーパーAの屋上などを仰視する。

 『香住』以外の生存者に聞こえたのは、住宅街の中のスーパーには不釣合いの乾いた銃声。
 『香住』が警察官と自衛官の殆どを殺していく最中に、一度もやまなかった音。そして『香住』が一度も掠りすらしなかった銃弾が、『香住』の左胸を貫通した。

「どこ、から……?」

 『香住』が声の主を見つける前に、美しい豊満な胸を非情にも金属が貫通していった。胸の穴からは見惚れるほどに鮮やかな赤が、どぷどぷと流れ出ていく。朔夜はその様子を見て更に警戒心を高め、菫は耐え切れないというように領域から出た。そして真っ直ぐに『香住』の元へと駆け寄る。

「おい! 香住、意識あるか!? 香住!!」

 絶えず心臓の鼓動に合わせて血を吐き出し続ける香住を、香住の意識を戻そうと頬を叩いたりする菫を、月はただ一人領域の中から見つめていた。視界の隅には、喜ぶ警察官と自衛官の姿。銃声を聞きつけたのか、呆れるほど沢山の増援が現れる。ヘルメットの隅から見えた、上へと上がる口角。

「朔夜、あいつ等を俺らを助けたとき見たくコレで逃げられないようにしてくれ」

 ぷつんと、月は自分の中で何かの糸が切れた音を聞いた。

Re: The world of cards 09/14更新 ( No.45 )
日時: 2012/09/15 22:14
名前: 柚子 ◆Q0umhKZMOQ (ID: iAb5StCI)

「コレ……って剣舞劇場で作った領域のことかしら、ってちょっと!」

 朔夜の言葉に耳を傾けずに、月は菫と横たわる香住の脇をすっと通っていく。月の生気の宿らない虚ろな目は、じっと総勢百人以上はいるであろう警察官、自衛官を捕らえていた。頬につうっと一筋の涙を流しながら、月はふらふらと歩いていく。
 
 殺す。香住を殺そうとする奴らを俺の手で。殺す、ころす、殺すころす、殺す殺すコロスころすコロスコロスころ、す殺す。殺すころす、殺す殺すコロスコロスこ、ロスコロス。

「全部お前らが悪い。俺らに殺しをさせたもの、お前らだ。香住が死にそうな目にあってるのも、お前らのせいだ。
 俺らが平和に暮らしたがってるのをぶち壊すのも、お前らだろ、なぁ。
 殺してやるよ。俺が受けた苦痛を全て、【最後の叫び(ラスト・エディクション)】でな」

 ふらふらと覚束無い足取りが、だんだんとスピードを上げる。まるで前方に陣取る警察官らに、タックルをするような風に。反応の早かった警官らの一部は、急いで銃を構える。それを見ても、月は恐れを成した表情を浮かべない。ただ只管(ひたすら)に寂しげな、虚ろんだ表情を浮かべるだけだ。

「剣舞劇場! 香住さんの傷の治癒と、月さんの攻撃対象をそれぞれ領域内へ! 領域内からの攻撃は、無効とします」

 朔夜の手から小さなナイフが前方へと飛んでいく。目視することは不可能に近いスピードで、警官らの周りをぐるりと囲む。同じように、香住の周りにも空中にナイフが止まった上体になっている。そして一瞬の内に、それぞれがナイフで描いた楕円状の領域に、吸い込まれていく。
 その間にも走ることを止めない月が、警官らとの差を狭める。重たい長刀は、右手だけで支えていた。誰を狙っているのでもなく、そこにいる敵と見なした人間に向かって、長刀の先を向ける。先は太陽光を反射して、キラリと光った。

「喜べ、今すぐ、仲間達に合わせてやるからよ」

 虚ろな表情のまま月は言い、ぴたりと足を止める。高々と長刀は天を向いていた。しっかりと足を地面に吸い付かせ、虚ろな目はじっとりと領域内で無意味に銃を乱射する警官らに向く。
 領域内の自衛官と警察官たちは、次に何が起こるのかと恐怖に慄いていた。天にしっかりと向いた、長い長い刀。その刀が薄っすらと根元から赤みを帯びていることに、まだ誰も気づいていなかった。届け、届けと言葉にしながら、銃を持つ官らは、弾丸がなくなるまで、交代で引き金を引いていく。一つも領域外に出てはいなかったが、それでも尚、弾丸が外に出て行くことを祈っていた。

「お前らには……、これで十分だろ。な? あいつの笑顔がこの先見えなくなったら、どうしてくれるんだ。あいつの声がこの先聞けなくなったら、どうしてくれるんだ。
 あいつが死んじまったら、お前らはあいつを笑うんだろ。それなら、今すぐに、俺がお前らを殺してやる」

 ぼそぼそと領域に閉じ込められる彼らにも、後方にいる菫たちにも聞こえない声で月は呟いた。左目から一筋の涙を流す。

 あいつの告白に、まだ返事をしてねぇんだよ。俺は……。

 喉元まで出かかった言葉を、月は必死に飲み込み抑え付ける。その間に、上に掲げた長刀は、鍛冶職人が金槌で打つオレンジ色に光っていた。根元から、先端にかけてのフォルムを映し出すように、長刀が存在感を表す。
 朔夜にはその輝きが、太陽にも見て取れた。温かくも、危険を伴った表面温度六千度の光。昔理科の映像で見た太陽の色、そのままだと朔夜は心の底で感じる。

「二度と、俺とあいつを狙ってくるな。もう、あいつを楽にしてやりたいんだよ……」

 感情が戻ったのか、月は今までで一番悲しげな表情を見せる。最愛の人を奪われた、恋人のような表情で——。
 月は領域内にいる警官らと自衛官達に向け、思い切り長刀を縦に振り抜いた。六千度近い熱風が、瞬間的に消えた領域の中にいた彼ら目掛け、容赦なく進んでいく。

Re: The world of cards 09/15更新 ( No.46 )
日時: 2012/09/18 22:17
名前: 柚子 ◆Q0umhKZMOQ (ID: iAb5StCI)

 轟々と音を立てながら、熱風は彼らを包み込む。一万度には達さなくても、生身の人間にとっては十分過ぎるほどの暑さ。否、焼死しても可笑しくない温度である。
 叫び声を上げ、真っ黒になり倒れていく彼らを、誰よりも冷めた視線で月は見つめる。切なげに見せる後姿が、どうしても菫は目がはなせなかった。月が攻撃を放った瞬間から、香住を朔夜に託し月を見ている。

「……五月蝿い声。気持ち悪い死体。吐き出したくなる内容物。無意味に使った力、か」

 自虐するかのように月は呟き、左手の甲を額につけ笑い出した。あはは、と感情のない虚ろな声が宙を浮かんでは消滅する。目の前で火をあげる死体たちを笑うのか、自分自身を笑っているのか、月は自分でも分かっていない。
 ただただ込み上げてくる苦痛と、虚無感に笑うことしか出来なくなっていたのだ。香住が死にそうなことにも、目の前の黒コゲの死体にも、何かの狂信者のような自分にも。月は興味が無かった。目の前で起きた惨状が、夢としか思えなかった。

「お前、何をしている」

 不意に月から見て右側から、聞きなれない男の声がする。厳格で規律を重んじているような、低く深い声。香住以外の三人は、その声を聞き咄嗟に振り向いた。視線の先に映るのは、一人の男。この場で生きている男の中で、一番の高身長である。
 右手は、ホルスターに近づいたまま男は月の近くへと、歩み寄ろうとしていた。それを見て、月は怪訝そうな表情を浮かべる。同時に月を纏ったものは、重たい重たい悲しみと苦しみであった。

「見れば、分かるしょ。皮膚が焼けるニオイが、充満し始めてるんだ。此処一帯に。住宅街だから、火事とか騒がれると大変かな。
 道狭かったし。消防も救急も、来るの遅れるんだべね」

 ふと下らない世界を見る支配者のように、力なく月が笑った。心の殆どを絶望に染めているかのような、無気力な声色。怪訝そうな表情を浮かべたのは、男も一緒だった。見た限りでは、高校生ともとれる容姿の若い青年が、小さくも大きい絶望に染まりかかっている。
 聞いた方言は、確かにアンダーワールドの方言であった。
 男の脳内で、目の前の青年が全国指名手配をされて間もない者である事が、固まりつつあった。