複雑・ファジー小説

Re: ブラッドエッジ ( No.5 )
日時: 2012/07/16 00:47
名前: 緑川 蓮 ◆vcRbhehpKE (ID: U.L93BRt)

 『クリア』と呼ばれるものがある。それはかつて魔法と呼ばれ、超能力と呼ばれ、サイキックと呼ばれていたものの類を指す。
 口から火を噴き出し、離れた場所から物質を掴み、相手の心中を読み抜き、その他数多。
 いつの頃からか人類は、そのクリアのメカニズムを、極限まで高められた『科学』を駆使することにより解明し、そしてクリアはいまや、未知なる力としてではなく日常生活の一部として浸透しきっていた。地球温暖化は解決に向けての一途を辿り、資源枯渇に関する問題は過去のものへと追いやられ、生身の人間一人一人が何か一つのクリアを持つに至っていた。
 自立行動し感情や意思を持つ機械人形、アンドロイドもまた、このクリアと科学の結晶による産物である。
 しかし彼らは、ただのからくり人形と言い捨てるには、少々進化しすぎたともいえる点が、一部において見て取れた。







 ルージュはビルの屋上の一角に座り、ビル群を眺めていた。体のほとんどを機械で構成されているアンドロイドにも心はある。つまり、意味がなくたってそういう時間や場所が欲しくなることはあるのだ。
 ルージュにとって、そういう時間とは任務の後、そういう場所とはここ『断罪者』本部の屋上だった。ビルディングだらけのこの街を、見据える眼はどこか悲しげで。
 不意に、ルージュの肩に何かが触れる。それは缶カフェオイルだった。

「…ノワール」
「緊急出動、お疲れさん」

 ルージュが振り向くと、そこには缶カフェオイルを二つ持った黒髪のアンドロイドが立っていた。ルージュはノワールの右手の方の缶カフェオイルを無言で受け取る。
 このノワールというアンドロイドは顔の右半分が機械に覆われおり、それ故このアンドロイドは『髪と瞳の色を派手にしなければならない』という義務から逃れることが出来た。
 よっこいせ、と小さく言って、ノワールはルージュの隣に座る。

「…Bランクの暴走、一人で片付けたってな。やるじゃねーか」

 カフェオイルをすするノワール。そのガタイは華奢で小柄なルージュよりも一回り、二回りくらいは大きい。制服をいつも着崩していて、一日一回はローズに注意されているが、おちょくったついでにはぐらかすばかりで一向に正す様子は見えない。
 パキン、とルージュの手元で缶の蓋が鳴るとカフェオイルの湯気が上った。

「知ってたんだ?」
「さっき帰ってきた時にローズから聞いたよ」

 本来、Bランク以上のアンドロイドの暴走の鎮圧には、Sランクでも七、八人程のチームが出動する。そんな危険な任務を、ルージュは毎回一人でやってのけていた。
 第一部隊のメンバーは、彼のみである。『断罪者』のメンバーから見て、彼は『尊敬の的』である。しかし———

「…なあ、ノワール」
「ん?」

カフェオイルの残りを一気に飲み干そうとした手を止め、ノワールはルージュに返事を返す。

「ノワールは、この仕事をしていてどう思う?」
「どう、って……?」
「時々、わからなくなるんだ。ボクは本当に正しいことをしてるのかな、って」

 ノワールはルージュの言葉を聞き、二人の間に僅かな沈黙の時間が流れる。

「人間達の手違いで暴走した僕らの仲間達を、僕ら自身で破壊して、処分して。……ボクらって、何してるんだろうね?」

 ルージュは俯いた。とても悲しげに。ノワールは、無言でルージュを見ていた。
 体のほとんどを機械で構成されている人造人間にも心はある。つまり、意味がなくたって悩む時間や場所が欲しくなることはあるのだ。ルージュにとって、悩む時間とは任務の後、悩む場所とはここ『断罪者』本部の屋上だった。
 カフェオイルの揺れる水面を、見据える眼はどこか悲しげで。
 不意に、ルージュの頭に何かが触れる。それは、ノワールの大きな掌だった。

「難しい事はわからねえよ。俺は戦闘機能特化型だからな。でもよ。お前は人を一人助けたんだろ?」
「それも聞いたんだ?」
「今回だけじゃねえ。お前は今までそうやって、沢山の人を救ってきた。それは誰が何と言おうが正しい事だ。…違うか?」
「……うん、そうだね」

 ルージュの表情は少し柔らかくなって、微笑を浮かべてノワールの方を向く。そして再びビルディングだらけの街の方を向いた。

「『オリハルコン』の刃を持ってるくせして、メンタル弱いでやんの」

 わしわしと、ノワールの手がルージュの髪を掻きまわす。

「一言多い」





   


「やはり今回も電磁波異常……」

 モニターの前で、ローズは呟いた。今回暴走したアンドロイドの調査報告、今はその原因の途中経過の報告を受けていた。こういった報告書などの仕事も、オペレーターである彼女の仕事であり、また彼女が手がける場合は特に、恐ろしく精密、正確である。

 ———最近、この手の暴走のケースが多発していますね。
綺麗に切断された残骸にも、その前の製造段階の報告にも異常は見当たらない。果たして、これはただの偶然なのだろうか…?
 いや。恐らく今回もあの端末が使われている筈。やはり先の一件は、氷山の一角。もしかしたらその前の事件も…?
 アレの製造者が、今回の暴走にも、最近に連なる電磁波暴走に関与している…?
 つまりあの端末の製造者の目的は、アンドロイドの暴走……?

「…一体、何の目的で…?」

———そして、未だ捕まらず、その正体も明かさず、尻尾さえも出さない。あの端末の製造者は、一体何者なのでしょう———?



♪   



「…実験結果としては、上々だ」

 その老人が見ている映像は、暴走したミノタウロスと、ルージュの戦闘。ルージュが左腕の刃でミノタウロスの両腕、胸、頭部を切断する瞬間が余りに速く一瞬に見える。

 ———暫くの間、奴等はこの端末の解析に躍起になる筈だ。だが私の研究は、『彼』のクリアはここで終わりではない。更にその先があり、またこれはその為の時間稼ぎにしか過ぎない。
 さあ勝負だ極東の猿共。貴様らの傲慢、その罪をこの私が神に代わって断罪してくれよう———。

 その老人の長い髪は茶色く縮れていて、顔に合わない大きな丸眼鏡がモニターの光を反射していた。