複雑・ファジー小説
- Re: 不死鳥の少女 サキュリナ ( No.2 )
- 日時: 2012/07/30 14:07
- 名前: からあげ ◆L/fXxGshUc (ID: v/O9fUEE)
不思議な夢を見たような気がした。どんな内容だったかは、彼自身覚えていない。ただとても心地よく、今までで一番不思議な夢だった。
「んんん……」
青年はこもった声を漏らし、体をわずかに動かした。同時に、少女の体もびくりと驚いた。どうせ眠っているのだと、少女はその青年の寝顔をまじまじと観察していたところだったのだ。
少女は、彼をずっと地面に寝かすわけにもいかないと思い、自分より一回りも大きな青年の体をずるずる引きずって、何とか自分の家に入れていたのだ。
床で眠る彼に毛布をかけてあげたあと、少女はそれまで気にもとめなかった彼の顔つきにいきなり興味を抱きはじめた。彼と歳が近いような気がした。自分の赤い長髪とはまったく違う、茶色い短髪、眉、睫毛……全てが新鮮に見えた。男らしい顔つきと体格は、少女にとって珍しかった。男ものの服でさえ特別なもののように思えた。とにかく、青年を観察するのに夢中になっていた。
少女は青年のそばに座り込むと、のぞきこむように、ジッと男の睫毛を見ていた。すると、濃いまつげがぴくりと震えたので、少女の体もまたびくりと震えた。
「あっ……」
閉じていたまぶたが開かれると、少女は思わず声を漏らした。すぐに首をひっこめ、目覚めたばかりの青年の顔を見つめた。
「ん……あれ? 俺、生きてる……?」
寝ぼけたように呟く。青年の声を耳にした瞬間、少女の胸の中で何かが少し動いた。思わず、もう一度青年の顔をのぞきこんでしまった。
青年のぼやけた視界に入ってきた少女の顔は、意識がはっきりしてくると同時に鮮明に映るようになった。その少女は自分の茶色い瞳に食い入るように見つめてきたのだ。青年も目を細めながら、初めて見る真っ赤な髪とエメラルドの美しい瞳を見つめた。
やがて青年は半笑いで、
「……やあ。俺、夢でも見てるのかい?」
「まだ傷口が傷むかしら」
「傷口……? ああ、やっぱ俺死んだ——」
言いかけて、言葉は止まった。青年は自分の右肩を見た瞬間、目を見開いた! ——傷が、ない!? あれほど自分を苦しめていた傷が、跡形もなく消えていたのだ。青年は勢いよく上半身を起こした。少女は慌てて首をひっこめ、動揺する青年の横顔をただ見つめた。
「なんで!? なんでないの、傷!? 俺、夢見てた!? ていうかここもしかして天国!?」
確かに右肩の部分だけ、服は破けていた。そう、確かにそこにあの痛々しい傷があったはずなのである——青年は少女をよそに、ひたすら困惑していた。
「あ、あの……ちょっと落ち着いてほしいんだけど」
あまりに青年が騒ぐため、少女はどうしていいかわからなかったが、とりあえず声をかけた。すると、青年の騒ぎ声はぴたりと止んだ。
青年は静かに少女のほうを向いた。そして——感嘆した。燃えるような赤い髪と、吸い込まれそうになるエメラルドの瞳。あどけない顔つきは間違いなく美しく、どこか神秘的だった。だから、青年は少女が自分を迎えにきた天使のように思った。
「……君は天使かい?」
「違うわ。普通の人間。ここは私の病院」
「病院?」
青年は家の中を見渡した。普通のリビングだった。木で出来た床と壁に、小さなキッチン、小さな食卓とイス、何の変哲もないタンス……とても病院には見えない部屋だ。
「あー、最近病院を始めたの。でも建てられないから、自分の家でやってる。家の前に一応看板おいてるんだけど、誰も来てくれなくって……だから、あなたが初めての患者さんってわけ」
「なるほど、とんだ重傷人だったな……ってことは俺、生きてるんだな?」
少女は微笑みながら頷いた。
青年は右肩を上げてみたり、足を動かしたり、手を開いたり閉じたりしたあと、にっこりと笑った。
「うん、すっかり治ってる。にしても、すごい名医さんがいるもんなんだなあ。なあ、ちょっとお医者さんを呼んできてくれないかい?」
「私が医者よ」
「嘘だろ? 君は看護師さんじゃないのかい?」
「この病院には私しかいないわ」
青年は笑顔を崩し、首をかしげた。
「君ひとりであの傷を完治させたってのかい?」
「——ええ、そうよ?」
少女は少し言葉を詰まらせたあと、胸を張りながらそう答えた。
——青年は疑問を抱き始めたが、とりあえず自分が生きていることに感動した。少なくとも、この少女も自分のためになにかしてくれたのだろう、そう思うことにした。
「いやあ、それにしても本当にありがとう。もうダメかと思ったよ」
青年はひざの上で毛布をたたむと、それを少女に手渡した。少女も笑顔でそれを受け取ってくれた。
「本当にどうお礼をいったらいいものか——」
「ああ、そのことなら、三百万でいいわよ」
「!?」
再び青年の笑顔は崩れた。青年は眉間にしわをよせながら、口をぽかんと開けて唖然とした。
「さ、三百万!? おいおいおい……無茶いわないでくれ!」
「無茶? 命を救ったのに三百万なら安いほうでしょう?」
お互いしかめっ面になりながら、立ち上がった。
「俺は金持ちじゃない、一般庶民だ! そんな金請求されたって、払えやしない!」
「じゃあ、お礼もせずに帰るっていうの!?」
「さっきお礼は言っただろう!」
「゛ありがとう゛って? ゛ありがとう゛って言っただけで命を救ってもらえるなら病院も医者もいらないわよ!」
二人の声はだんだんと大きくなり、怒りも増していった。さっきまでお互いの顔に見入っていたくせに、そんなことなかったかのように口論を続けた。
「だいたいなあ、俺はあんたに助けてくれなんて頼んでいない!」
「あら? 人の家の玄関の前で情けなく倒れていたのは誰だったかしら?」
「あ、ありゃあ偶然倒れてただけだ。勝手に助けたのはあんただろ!」
「じゃあなに!? あのまま、あなたを見殺しにすればよかったって言うの!?」
青年は一瞬黙り込むと、またすぐに口を開いた。
「いいかい、お嬢さん? 俺はあんたが本当に医者なのか怪しんでるくらいだ。少なくとも、あんな大怪我を一瞬で治すほどの医者なんて存在しないしな」
「でも、実際にあなたの傷は消えてるわよ?」
「確かに、ああ、確かにそれはそうだ……でもな、お嬢さんが治してくれたなんて確信も証拠もない! 俺にはお嬢さんが医者にはとうてい見えないね」
「状況的に私以外あなたを治せる人なんかいないわよ、こんな森の奥なんだから!」
少女は毛布を強くにぎりしめながら、負けじと青年に反論していた。青年も一歩も退かなかった。
「なんだよ、緊急事態だったのはわかってるだろ? お嬢さんも同じ人間なら、命くらいタダで救ってくれてもいいじゃないか!」
「いやよ、絶対にダメ! そんな簡単なことだと思わないで!」
「とにかく! 俺は絶対にそんなお金払えない!」
「私だって絶対にタダで帰らせたりしないんだから!」
それが最後の怒号となった。カーテンのあいた窓からは、朝の太陽の光が射していた。
しばらくの沈黙が流れたあと、青年は自分のアゴを触りながら口を開いた。
「——じゃあ、教えてくれよ。あんた、どうやって俺の傷を治したんだ?」
少女の釣りあがった目が下がり、無意識のうちに青年からそらされた。
「……それは……」
急に声が小さくなった。青年はやっぱりな、と言ったように目を細めると、
「ほら、君は医者じゃないんだろう」
その言葉に、少女は再び眉間にシワを寄せ、青年の顔を見上げた。
「違う、私は本当にあなたを治したの!」
「どうやって?」
「どうせ言ったって信じてくれないんでしょ」
「ああ、そうかもな」