複雑・ファジー小説
- Re: 不死鳥の少女 サキュリナ ( No.6 )
- 日時: 2012/07/31 13:55
- 名前: からあげ ◆L/fXxGshUc (ID: v/O9fUEE)
アップルパイを六等分に切り分けて、そのうちの一つを一皿に盛った。ケヴィンとサキュリナはそれぞれ自分の分の皿を手に持つと、家の外に出た。ケヴィンはここに来るまで必死だったので、この家の外見や森の様子などまったく気にしていなかったが、改めてみてみると、なかなかいいものだった。相変わらず家は小さいが、おとぎ話の絵本に出てくる家のような可愛らしさがあった。
サキュリナは家のすぐ隣にある切り株に座った。そこでアップルパイを食べたいらしい。その切り株の隣にもまた同じような切り株があった。ケヴィンはそこに腰を下ろした。
「なかなかいいところじゃないか」
「でしょう? テーブルの切り株もあったらよかったんだけどね」
サキュリナは皿を手で持ちながら、アップルパイをフォークで切り分けた。そして、一口食べた。
「どうだい?」
ケヴィンが自慢気な笑みを浮かべながら尋ねた。
「——これ、とっても美味しい」
サキュリナは一瞬の間をおいてから、すぐに満面の笑みを浮かべてそう返した。本当に美味しそうな表情だった。
「ははっ、そりゃあよかったよ。いいリンゴだったしね」
「でも、普通の男の人なのに料理がこんなに美味しいなんて」
「俺は隣の国の料理屋で働いてるんだ……っていっても雇われてるだけなんだけど」
照れくさそうにケヴィンは笑った。彼も自分で作ったアップルパイを食べて、「おいしい」と笑いながら言った。
そのアップルパイは甘いが決して嫌じゃないまろやかな味だった。カスタードクリームと熟したリンゴが混ざり合い、シナモンの粉と中和していた。サクサクのパイ生地は文句のつけようがないほどに上手に焼けていた。
「俺、夢があるんだ——いつか絶対、自分の店を開く」
「自分の店を?」
「ああ、そうさ。初めは小さい店なんだ。でも、その店の料理の美味しさはどんどん国中で噂になって、いつの間にか大繁盛! 店もどんどん大きくなっていって、ウェイトレスもたくさん増えて、いつか国で一番っていわれるくらいの店になるんだ!」
スピーチをする政治家のようにケヴィンは力強くそう言った。言い終えてから、彼は少し元気がなくなった。
「……ま、そんな簡単にはいかないけどな。店を建てるために貯金もしてるんだけど、なかなかうまくいかない。森にきのこ狩りにきたら、熊に襲われちまうしな」
サキュリナはケヴィンの右肩を見た。そこだけ服は破れたままだった。男モノの服が彼女の家になかったので、どうすることも出来なかった。
「そういえば、その傷は熊にやられたの?」
「ああ、きのこ狩りをしていたら、いきなり熊にガリッとね——よけようとしたのに少しかすったんだ。そんなに深い傷じゃないと思ったのに、どんどん苦しくなってさ」
そう話すケヴィンに、サキュリナはすぐに疑問を感じた。彼は確かにいった——熊にひっかかれたのだと。熊の爪に毒はないはずだ、と世間知らずの彼女でも思った。サキュリナが彼の傷を見つけたとき、そこは確かに毒で侵されていた。ケヴィンは、気づいてないのだろうか。
「——なあ、サキュリナはこんな熊が出るような森の中で暮らしていて大丈夫なのか? 怖くないのか?」
それまで、何となく聞きづらかったことをケヴィンは尋ねてみた。サキュリナは考えるのをやめ、疑問を口にすることもなかった。これ以上傷の話をしてしまうと、さっきのように口論になってしまうのではないかと恐れたからだ。
アップルパイを一口食べると、サキュリナは素直に質問に答えた。
「この森に熊が出るなんてめったにないし、全然大丈夫よ」
「ほんと? じゃあ久しぶりにこの森に来て熊に襲われた俺ってよっぽど不運?」
「そうかもね」
愛らしい微笑みが、ケヴィンの心臓の鼓動を鳴らした。サキュリナが笑う度に、ケヴィンはときめいていた。それが彼女の美しさによるものなのかどうかわからない。
ケヴィンは最後の一口を飲み込むと、ぎこちない笑みを浮かべた。
「……サキュリナ、家族はどうしたんだい?」
一番聞いてはいけない質問だったのかもしれない。彼はそうわかっていたが、聞かずにはいられなかった。
サキュリナは笑みを崩すことなく、依然と口を開いた。
「三ヶ月前に、私をずっと育ててくれたおばあちゃんが死んじゃってね。おばあちゃんが私と血がつながってたのかどうかは知らないけど、とても優しくしてくれた……両親の顔すら覚えていない私の、親代わりだった」
サキュリナは森の木々のほうに目をやった。そびえたつ何本もの木々たちは鮮やかな緑で覆われていた。あの葉っぱの一つ一つが、この澄み切った空気を作ってくれているのだ。
「私、小さい頃からずっとこの家に住んでいるの。森の外には出たことがないわ。
だから、あなたみたいな人と話すのもほとんど初めて」
「この森から出たことがない? なんで?」
「……おばあちゃんから出てはダメって言いつけられてたの。危ないから絶対に行ってはいけないって」
「俺はこの森のほうが危ないと思うけどなぁ」
「私にとっては、おばあちゃんが私の世界の全てだったから。おばあちゃんが言うことは全部正しいと思ってたの。
でも……死ぬ間際におばあちゃんに言われたの。゛もう外に出なさい゛って」
サキュリナは小さく溜息をついた。
「おばあちゃんがお金や食料をかなり置いてくれたから当分の間は大丈夫だけど……いつか尽きる。
だからまず、お金を稼ごうと思って、病院を始めたんだけど……やっぱり誰もこなくって」
「外の世界には行かないのかい?」
「——なんだか、こわくって。外の世界は散々危ないところだって教え込まれてたから……
まだ自分の中で決心がつくまで、行かないつもり」
ケヴィンはサキュリナを不憫に思った。そして、こんなに美しくまだ若い少女が森の奥で暮らしているのには、危険だしもったいないと考えた。同時に、この少女が今外の世界に出たところで、なにも上手くいかないような気がした。
赤くて長い睫毛が伏せられた。サキュリナは美しい顔をうつむかせると、また小さく溜息をついた。
「さっきは本当に、治療代を請求したりしてごめんなさい……あれは、おばあちゃんの言いつけだったの」
「おばあちゃんの?」
サキュリナは頷くと、
「人の命を簡単に助けてはいけない。助けられることに慣れてしまった人間は、簡単に何かを傷つけてしまう。
癒されることのありがたみを忘れてしまった人間は、傷つけることの痛みも、傷つけられることの痛みすらも忘れる」
その言葉は確かに説得力があった。ケヴィンも納得した。もし、命が無料で救われる世の中だったら——彼は頭の中で想像して、ぞっとした。そんな世の中じゃ、戦争が勃発し、決して平和じゃなくなる。゛命が簡単に助かる゛というのは、案外、平和を招くようなことではないのかもしれない。
そんなことを考えてから、ケヴィンが口を開いた。
「治療代のことなんだけど」
サキュリナは俯けていた顔を上げた。ケヴィンは白い歯を見せながら笑っていた。
「毎日、俺、この家に来る。そんで……晩飯を作る! ってのはどうだ?」