複雑・ファジー小説

Re: 【短編集】日常とは何なのかと申しますと【1話完結型です】 ( No.15 )
日時: 2012/11/30 22:17
名前: 稲荷 ◆6RQCIAKXwE (ID: HFyTdTQr)

『赤とんぼが帰る頃』

 夕日が川に落ちている。
 橋の下で緩やかに流れている川は、その中心にきらめく太陽を浮かべているように見えた。
 寒さが厳しくなってきたように感じる今の季節、空肉も一つ浮かばない日も少なくない。今日もそんな日だったようで、今見えている夕日の前には遮る物が一つもない。私は鉄橋の手すりに腕を乗せ、手の甲に顎をおく。吐いた息が白い。お腹に張ってあるカイロの温もりを感じながら、しばらくの間光が反射する河川を眺めていた。

「ゆうや〜けこやけ〜の、あかとーんーぼ〜」

 ふいに、聞き慣れた唄が聞こえた。子供の声だ。
 聞こえた方を見ると、片方の手を母親に引かれ、猫じゃらしを振り回す男の子がいた。子供特有の舌足らずな声で歌いながら、河川敷を楽しげに歩いている。

「おわれーてみたの〜は〜、いつのーひーかー」

 哀愁を誘うメロディ委が、日の沈む夕方を流れていく。ほおづえをついた私は、やけに寂しさを感じた。
 足下に置いた学生鞄を、軽く蹴る。5教科分の教科書を詰め込んだ鞄は、そんな衝撃にびくともしなかい。
 この鞄を持つのも、あとわずかとなった。そう考えると、当初は「ダサいデザインだなぁ」と友達でバカにしていたこの鞄も、今となってはどこか愛着がわいてくる。

「あとわずか、か……」
 
 その前にも試験がいくつかあり、それらをこなしていくうちにあっという間に時が過ぎていくのだろう。そして、気づいたときには学校を卒業し、新しい生活に目を向けている。このように感慨深げにしているのも、きっと、今だけだろう。
 初めて迎える人生の岐路。今まではずっと同じ道を歩んできた仲間達と離れ、それぞれ別の道に進むことになる。

「……はぁ」

 拳でこつんと鉄橋を叩く。ひんやりとした感触が伝わり、思わず頬に手を当てた。まだ、熱い。

 ——♪♪

 制服のポケットに入れた携帯が音を立てた。メールの着信を告げるその音色は、友人と一緒に見に行った映画の主題歌だ。
 開いてみると、この着信が初めてではないらしく、すでに何件かのメールが入っていた。

「……気づかなかった」

 友人からのかもしれない。かすかにかじかむ手で携帯を操作し、受信ボックスを開く。
 瞬時に後悔した。
 
『テスト結果返ってきたらしいけれど、どうして見せなかったの?』
『今どこにいるの? メールぐらいすぐ返信しなさいよ』
『塾は行ってるの?』
『さっき塾から電話かかってきたわよ。ねぇ、今何処にいるのよ』
『何で塾行かなかったの』

 絵文字も顔文字もない、母からのメール。それらの内容はほとんどお節介のようなもので、私を余計に苛立たせた。

「……うっさいよ」

 絞り出すような声が喉から漏れる。携帯を持つ手がわずかに震え、携帯につけたストラップがかちゃかちゃと音を立てた。
 うっさいよ。
 何でもかんでも干渉して。何でもかんでも口を挟んできて。

「……あぁぁあああああ!!!」

 うなるような声をお腹から出し、空を仰ぐ。赤紫色の雲一つ無い空が、余計にむなしい。ぐちゃぐちゃな、そんな色。ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ。心の中がごった返して、全てをぶちまけたい。
 夕日はまだ沈まない。あと、ちょっとだけ。夕日が沈むあと数分間だけ此処にいよう。
 頬を流れた熱い雫は鉄橋の外に落ちた。