複雑・ファジー小説
- Re: 【短編集】日常とは何なのかと申しますと ( No.5 )
- 日時: 2012/08/10 15:20
- 名前: 稲荷 ◆6RQCIAKXwE (ID: SGJxjeZv)
『無感状態』
何も感じない。心の中にぽっかりと穴が開いてしまったように、私は底知れない虚無感に覆われていた。目は何を見るわけでもなく虚空を映し、乾いた上下の唇は合わさることなく開いている。暗いリビングの中央に置かれたソファの上で、私はただ息をするだけの人形に成り果てていた。
——ボーン。ボーン。ボーン。
廊下に置かれた大時計が音を立てた。低い、鐘の音。そのとき私は、初めて今の時刻を知った。
「…………」
12回鳴った後、再び静寂に包まれる。この時間帯ならば、外は漆黒の闇が広がっているのだろう。確認するまでもない。
一体いつからこうしているのだろう。四肢をだらしなく下げ、生きる気力もなくなった私。つい最近までは、生活する上で必要最低限のことはしていた。食事や入浴などなど。けれど、それをしなくなったのがいつだったかは定かではない。一日だけかもしれないし、三日かもしれない。それほど、今の私は時間の感覚を失っていた。
「…………」
一体いつまでこうしているのだろう。
お腹が空いた——かもしれない。頭がかゆい——かもしれない。トイレに行きたい——かもしれない。あぁ、ダメだ。五感も失われてゆく。
「…………っ」
乾いた笑い声は声にならずに虚空へ消えた。ついで、喉に痰が絡んで咳き込む。
——せっかく、向こう側に行けるかと思ったのに。
残念があるうちは、こちらに踏みとどまらなければならないのだろうか。だとしたらおかしい。私は、この世に残念などないのだから。
視覚、聴覚、嗅覚、触覚、痛覚。全てが肉体から消え失せたなら、そこに残るのはなんなのだろうか。魂は何処に行くのだろうか。肉体はどう滅びるのか。
そんなことを考えながら、また、私は私でなくなっていく。
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ちょっと短すぎましたでしょうか。シリアスを目指して書いてみました。
やはり難しい。いまいちリアリティに欠ける描写でした。
川上稔先生の「境界線上のホライゾン」という作品で、主人公が亡くなった友達がいる“向こう側”に行こうとした。という話があるのですが、
そのときに思いついたのがこの「無感状態」でした。全ての感覚が肉体から切り離された後、魂だけが残ったその体は屍同然なのではないだろうか。と、そんな風に思いました。
