複雑・ファジー小説
- Re: 【短編集】日常とは何なのかと申しますと ( No.7 )
- 日時: 2012/08/25 18:50
- 名前: 稲荷 ◆6RQCIAKXwE (ID: 5oJbC9FU)
『この世界は誰トクなのだろうかと問う日曜日の午後3時』
ヘッドフォンから流れる軽快な音楽に合わせ、テーブルを指先でリズムを打つ。アップテンポなその曲は歌詞も早口であり、聞き取れなかったフレーズがすでに何個もある。あとでもう一度ゆっくり聞こうと頭の片隅で重いながら、私はすでに冷め切ったコーヒーに手を伸ばした。
日曜日の午後特有の、どこか気だるげな空気を含ませた喫茶店。決して繁盛しているとは言い難く、いつ来ても人の気配がぽつりとしかない。今もカウンター席に一人と、上品そうなおば様×3。おば様達は一杯のコーヒーで、すでに2時間は居座っている。話の内容が耳に入ったときは、どうしてその程度の情報でわいわい出来るのだろうかと不思議に思ったものだ。
カウンター席に座っているのは、難しそうな顔をしたおじいさん。背筋が伸びた体を包む、チャコールグレーのスーツ。新聞を広げ、時折「ふぅむ」 などと声を上げている。このおじいさんは常連さんで、同じく週に5日ほど通っている私とは顔なじみである。長年勤めていた会社で先月定年を迎えたらしい。
外の世界とは切り離されたような、この空間。窓の外でうごめく人の波が、ビデオを早送りしているような錯覚を覚える。
「…………ふぅ」
そんな光景をずっと見ていただろうか、ふいに目眩に似た感覚が襲った。小さく息を吐き、頭を数度軽く振る。
タオルで汗を拭く人、スマホをいじりながら歩く人、隣を歩く友人とのおしゃべりにこうじる人——。全てが別世界のように思え、私はすっかり傍観者だ。
全てが別々の行動をする人々でも、せわしない動きは共通していた。きっと、限られた時間をなるべく有意義にすごそうと必死なのだろうか。
「……そっか」
何かに追われるように歩く人たちは、きっと時間に追われているのだ。
私はポケットに入れていた音楽プレーヤーの電源を切ると、ヘッドフォンを首にかけた。とたんに耳に入ってくる音が減り、代わりにマスターお気に入りのジャズが入ってきた。
「おかわりは、どうですか」
「ぁ……。いただきます」
いつの間にマスターが来ていたのだろうか。蓄えひげが自慢のマスターは、にっこりとしながら上品な手つきでコーヒーを注いだ。ほのかな香りが鼻腔をくすぐる。
「外に、何かあるんですか」
「え? ……いや、何もないです」
「そうですか? では、何かを考察していた」
「当ててみますか?」
「そうですね……」
こういった応答が好きなマスターは、楽しそうに手を顎に持って行った。
しばらく顔を伏せた後に、マスターは実に晴れやかな顔で言う。
「ずばり、この世界は誰のものだろうか」
「その心は?」
「今流れている曲をもとに」
その答えに思わず苦笑する。どうやらマスターのお気に入りの曲は、その思考すらも支配するらしい。
私はいたずらっ子のような笑みで言った。
「残念。今まで軽快なJ-POPを聞いてました」
「なんともったいない。このすばらしき世界には、すばらしいジャズという捨てがたいものがあるというのに。それをのけ者にしてまで聞くなんて」
「のけ者にした覚えはないですよ?」
マスターはやれやれといった風に肩をすくめると、カウンターの中に入っていった。
——この世界は誰のものだろうか。
神様? 天皇? 総理大臣? 大統領? 私の? それとも、名も知らない誰かの?
それを考え出したら、きりがなかった。けれど、果てのない思考は私の脳を支配し、コーヒーの香りという情報さえも遮断する。
この世界があって利益を得るのは誰? ——私たち人類。
この世界があって良かったと思うのは誰? ——私たち人類。
この世界がなくなると困るのは誰? ——私たち人類。
「この世界は誰のためにあるの?」
——私たち人類。
どこかでそんな声が聞こえた気がした。
しかし、それは脳内にいるもう一人の自分かどうかは知らない。私自身の声だったかもしれないし、他の誰かだった気がする。
その声を合図に思考が戻り、割れんばかりの蝉の声が入れ違いに入ってくる。何事かと思い、その進入経路のドアを見た。おば様達が帰って行く。
時計を見ると、すでに4時を回っていた。空にはまだ輝き足りないと思わしき太陽が姿を見せている。
「世界は、あなたのためにあるの?」
私の呟きに返ってくる答えは————。
