複雑・ファジー小説
- Re: 君を探し、夢に囚われる ( No.15 )
- 日時: 2013/09/04 12:34
- 名前: 黒雪 (ID: oQpk3jY4)
「確かに。現実逃避して、理想通りの夢の世界に浸れるんですものねー。息抜きする暇もないって言われているこの社会で流行るのも当たり前か」
サクラが納得したように頷くと、途端に、いつもつけているベルガモットの香水の香りが、フワッと漂う。スイゼンはその香りを深々と吸い込んだ後、テーブルの上にあったカップの中身に目をやった。
「これは……なんの茶葉でしょうか? 見たところ、今年初めてこのサロンに入荷しましたよね?」
「よく分かってるじゃない! これはね『ダージリン・ザ・セカンドフラッシュ』って言うのよ。ダージリンにもいくつか種類があるんだけど、その中でも5月後半から6月に摘んだ夏摘みのものを指すの。瑞々しくてフルーティーな香りと、すっきりしたのど越しから『紅茶のシャンパン』って言われてるぐらいなのよ。後で作ってあげようか?」
客がいないテーブルの片づけを忘れて紅茶について語りだすサクラ。彼女はハーブから知識の輪を広げて紅茶一般にも詳しいのだ。しかし、一回話し出すと止まらないのが困った癖で、誰かが止めなければ何時間でも紅茶やハーブについて語ることが出来るだろう。
「サクラ、語るのはそのぐらいにして片付けなさい。お客様が何回かお呼びでしたよ」
「あら大変。残り片付けておいてー。よろしく!」
誰もが魅了される春のような微笑みをスイゼンに向けると、サクラはエスカレーターに乗って客のところへ行ってしまった。スイゼンは鏡のようなポーカーフェイスでそれを見送る。
語っている間に3回鳴ったサクラの鈴は淡いピンク色だ。『四天王』にはそれぞれシンボルカラーがあり、サクラがピンク、アオイがブルー、キキョウがオレンジ、そしてスイゼンが白だ。
案の定、鈴が鳴ったことを指摘するとサクラは片づけを投げ出して行ってしまった。——最初からそんな予感はしていたが。
手早くテーブルの上を片付け、テーブルを拭き、テーブルクロスを取り替える。所要時間、約30秒。このサロンの中では一番早い。洗練された速さは、お客様のことを待たせないように、という心遣いがあってこそのものだ。
すばやく片づけを終わらせた彼は、急ぎ足で受付へと戻る。誰にも受付の係を交代してもらわなかったので、案の定受付には誰も居らず、客の長蛇が出来ていた。
テキパキと接客をこなし、客の波が一段落着きそうなときに、無線から飛び込んできたのは『灼熱のギムレット』の異名を持つ『四天王』、アオイの声だった。
『今すぐサロンを臨時休業にしてくれ!』
焦ったような大声が無線機から飛び出し、思わずスイゼンは無線のスイッチを切ってしまった。