複雑・ファジー小説
- Re: 君を探し、夢に囚われる ( No.17 )
- 日時: 2013/09/04 12:36
- 名前: 黒雪 (ID: oQpk3jY4)
一章 第三遍
『臨時休業』
入り口のドアの金色の取っ手に掛けられた白い文字はあまりにも冷たい。
咲月は、目の前が真っ暗になるのを止められなかった。
——年中無休じゃなかったの?
そう、このサロンは1年中、年中無休なのが売りでもある。癒しを求めている人がいつでも利用できるように、というモットーの基、営業は行われる。だから、『臨時休業』の札は滅多に人の眼に触れることは無く、新品同然なのだ。
ガラスで出来たドアから中の様子を窺うと、利用客はまだ大勢残っていた。その様子から察するに、『臨時休業』の札が出されたのは、つい先ほどのようである。
——教授に呼び止められなければ間に合っていたかもしれないのに。でも、『Traum Morgen』が使えないと作品はおそらく書けないだろうし、かといって作品を書かないというわけにもいかない。
全部構想を変えて、一から書き直すという手もある。でも、咲月は今考えている設定でどうしても書きたかったのだ。
はぁ、と大きく溜息をつくとサロンのドアに背を向け、ゆっくりと歩き出す。ペールトーンの、淡いピンク色のスカートが風でふわりとなびいた——。
「お待ちくださいませ!」
風に乗ってどこかで聞いたような声が届く。黒のストレートヘアーを華麗になびかせ、咲月が振り向いた先には、スイゼンがどこか氷を思わせる微笑を浮かべて立っていた。
「急に臨時休業にしてしまい、大変申し訳ございませんでした、咲月様。営業再開いたしましたが、ご利用になりますか?」
スッと手を差し出し、スイゼンは咲月のことをサロンへと誘う。その姿はどこか執事を思い起こさせた。
ほっとしたような表情を咲月はすると、躊躇無くその手を取りサロンへと再び向かった。
「ところでどうして臨時休業にしていたんですか? 年中無休でしたよね」
「『Traum Morgen』の調子がおかしくなりまして。調子が悪いままお客様がご利用になられて問題でも起きたら大変ですからね。少しばかり点検のため店を閉じていました」
「そうだったんですか。なんとも無かったんですよね? 営業再開したって事は」
咲月が少しばかり、念を押すように聞いた。
「ええ。その口調からすると、以前お渡しした特別割引券を本日は御使用に?」
「そうなんです、よく分かりましたね! 作品の提出期限が来週なんですけど、うまいこと書き出しが思いつかなくて」
何気ない会話でもスイゼンは咲月の常に一歩先をゆく。彼が接客をしたとき、客が彼に対して飲み物のお代わりやサービスを要求することは決してない。常に相手の観察を怠らず、相手が欲しいと思ったサービスを口にする前に提供する。
スイゼンの特技の一つだ。
そして、招待券や割引券などが渡されている常連客も忘れたことはない。咲月もその1人であり、まだ券を未使用であることも、彼の頭にはしっかりと記憶されていた。
「どうぞ」
スイゼンは金色のドアの取っ手を持ち、ガラスで出来た扉を開けて咲月を中へと導いた。