複雑・ファジー小説
- Re: 君を探し、夢に囚われる 最新話保留解禁 ( No.33 )
- 日時: 2013/12/01 20:46
- 名前: 黒雪 (ID: uqhwXtKf)
ア・ラ・カルト
——1夜限りの御遊びを。
『Take Out』
「アオイさぁーん。レストランでの食事、とぉーっても美味しかったですぅ」
派手な格好をしている女が媚びるような甘ったるい声で、隣を歩くアオイに話しかけている。
アオイはチラッと視線を女に遣り微笑むと、そのまま夜空へと目を移してゆく。歓楽街の隙間から覗く暗い空には、少ししか星が映らない。隣の女も、彼の視線につられて上を見上げた。
ビルから看板から車から。街の放つ光に、自然が放つ光は太陽を除いて負けてしまうのだ。
しかし、見たものを感動させるのは自然の光。どんな思いを持つ人間でもココロヲヒラク——。
「アオイさん。私、今日は家に帰りたくないんです。だから……今夜はずっと一緒に居てくれますか?」
「やれやれ、ですね。貴方もそれが目当てですか? 私だったら周りにいる男性とは違って、客と従業員という関係だから要望が通るとでも、本気でそう思っているのですか。馬鹿馬鹿しい。泉美様も結局は人と同じではないですか」
1夜を共にしたいと口にした女性の要望を、彼は冷淡に切り捨てる。しかし口はそう言っていても、顔ではまるで期待を持たせるような笑みを浮かべていた。
道を歩く人々の流れを切るように立ち止まっている2人。泉美様、と呼ばれた女性が、ゆっくりとアオイに近づく——顔には期待と揺らめきを、その瞳にはアオイただ1人を映して。そんな彼女をアオイは、彼はどんな思いで見ているのだろうか。
口角を吊り上げて薄ら笑いを浮かべた彼は美しく、妖しい。鋭く研ぎ澄まされた刃のように、触れるだけで身体にも心にも傷をつける。彼と触れ合うたびに、心が血を流しているのを知っているのだろうか。
「泉美様。私は貴方を抱くことに何の躊躇いもございません。しかし、今一度心に問うて下さいませ。本当に良いのか、と。自分の心が分からないのでしたら、それは泉美様がどうしようもない馬鹿だということですよ。自分に都合が良い様に心を偽る我が侭な人でございます」
「そんなことは無いわ! 私は自分の意思であなたを指名した。本心以外の何物でもない。私は、アオイさん、あなたじゃなくちゃ嫌なんです」
先ほどまでの、媚びるような甘い声はどうしたのだろうか。所詮は彼の好意を得るための道具。それを見抜かれていたことを、言外に悟ったからやめたのだろう。
「やれやれ、ですね。では、何故。何故故に、泉美様は涙を流して居られるのですか? 私は知っております。泉美様に、彼氏が居られることを」
泉美がハッと息を呑み、顔に手を当てる。その指先には確かに、儚げな輝きを放つ光が存在した。
「あんな人のことは知らない。私は、客よ! こっちがお金を払っているの! あなたは私の言うことを聞いていればいいのよ」
「客、でございますか。なら、貴方はどうして客と従業員という柵を捨てて恋愛関係を築こうとなさるのでしょう」
そのことを指摘されて、彼女の顔が怒りと羞恥で赤く染まる。それを尻目に、アオイは止めの言葉を発した。
「私は、確かにサロンの従業員でございます。しかし一方で、私は神楽家の跡取りでもあります。そして貴方は、私に財産を期待した。愚かな事を」
鼻で笑う彼は、誰もが振り返るほど美しい。それはさながら天使のように。しかし、口から流れ出る言葉は鎖のように相手の自由を奪い、破滅へと追い込む。
天使の姿を纏った悪魔。彼を説明するのにはこの一言で十分だ。そして、いくら天使のようでも、悪魔は悪魔。ひとたび本性を現せば、天使の姿は無残に砕け去る。
「何をしているのですか? 貴方が今、出来ることはここから立ち去り、私の前に二度と姿を見せないことだけでございます」
泉美は鬼のような形相でアオイを睨むと、踵を返して街の風景へと一瞬で溶け込む。その様子を見届けて、彼は笑う。
さよなら、と。
「また客が1人減ったのね」
サロンに戻ったアオイは、サクラから嫌味とも取れる言葉をかけられた。軽くため息をついたアオイは、切り返すべく言葉を紡ぐ。
「それはサクラも同じじゃないのか? 『Take Out』はメニューに載っている以上、お前らもオーダーを受けると思うが」
しかしサクラは、ペロッと舌を出して悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「『Take Out』はアオイ専用のメニューだって言っているからね。他の2人も同じ事を客に言っているわ」
その言葉には答えず、妖艶な笑みを湛えて立ち去るアオイ。
——触れるだけで火傷以上。彼の名は『灼熱のギムレット』。