複雑・ファジー小説

Re: ついそう ( No.2 )
日時: 2012/09/17 11:42
名前: 揶揄菟唖 ◆bTJCy2BVLc (ID: w93.1umH)
参照: https://



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地面の中。そこにずっと居たかった。
押しつぶされそうな、感覚。音の無い世界。何も見ないで良い世界。
そこにずっと身をひそめて、誰にも気が付かれないように生活したかった。

固い空気の中に居たはずなのに、僕の体はいつの間にか柔らかい空気に包まれていた。
それに落ち着いてしまっているのが何だか怖くて、目を開く。
ずっと目を閉じていたようだ。そう思うくらい、瞼は重くて、開くのが億劫だった。久しぶりに感じた光に、思わず手をかざす。
喉がひりひりする。体が重い。見た事の無い天井。僕の体の上に乗って居るのは、花柄の布団だ。
なんで、僕がこんなところに。
無理矢理に体を起こして、部屋を見渡す。
整頓された、女の子の部屋。
だから、なんで僕がこんなところに。
布団とは違う花柄のカーテンを軽く開いて、外を見る。曇りだった。

自分の手を、見る。汚かった。
伸びた爪と、土とか垢とかが付いていて臭いも酷い。慌てて布団をめくって体全体を見ても全部同じような感じだった。
首に下がっている指輪のついたネックレスの金も、くすんでいる。前のはだけた白いシャツも汚れていた。
唯一綺麗なのは、足だ。靴下を履いていない足だけは、垢も何もついていなくて綺麗だった。

「……起きた?」

鼓膜が震える。
驚いた。声じゃなくて、人が居たということではなくて、ただ、音に。音が。音。鼓膜を揺らす、声。音。心臓がきゅってなって、喉が締め付けられた。頭が揺さぶられるような、痛み。それに、驚いた。耳を塞ぎたかった。
音の方に顔を向ければ、部屋のドアの所に女の人が立っていた。
短く切った髪に、優しそうな顔。フワフワした服。
その女の子らしさを全て消してしまう、片手に握られた包丁。
なんでか、怖くなかった。その人が包丁を持っていても、怖くなかった。
僕が怖いのは、この人がまた声を発すること。僕の鼓膜を揺らす声を出すこと。
それを阻止したくて、先に僕が喉を震わせた。

「ここは、どこですか。あなたは、誰ですか」

自分の声が、鼓膜を叩く。それは恐くない。
そのことに安心して、僕は女の人を見つめた。
女の人は驚いたように目を丸くして、側のテーブルに包丁を置いた。僕に近づいて来る。
音が近くなる。足音だ。足音が近付いてくる。耐えられない。足音が。人が、僕の側に来る。
僕は耳を塞いだ。膝を立てた。その間に顔を埋めた。
聞きたくない、見たくない。なんで、僕はこんなことをしているんだろう。
誰に聞けば、この問いの答えを返してくれるだろう。

「ここは、私のアパート。私は、荻野目三春」

ご丁寧に、フルネームで答えてくれた。簡潔に答えてくれて、助かる。必要以上に音を長く聞いていたくない。

僕は、言った。消えるような声で言った。起きてからずっと、分からなかったこと。それを言った。この人なら、分かると思った。答えてくれると思った。

だから。

「僕は、誰ですか」