複雑・ファジー小説

Re: ついそう ( No.50 )
日時: 2013/01/12 11:29
名前: 揶揄菟唖 ◆bTJCy2BVLc (ID: KRYGERxe)



+47+


「秋、好き」

虚ろな声だったので寝言かと思った。でも違った。
ちゃんと目は開いてはいない。でもしっかりと僕を見て言った。僕を見ていた。
三春の肩に毛布をしっかりと掛けた。そうするとまるで安心したかのように三春が目を閉じた。
三春は夜中にずっと吐いていたらしく眠たそうだった。体力も使っただろうからとりあえずもう一度眠らせることにした。

僕は三春が穏やかにいてくれればいい。
僕は結構いっぱいいっぱいなんだ。これでも余裕がない。
三春が無事でいてくれるなら、僕は正気でいることができる。不安で仕方がないのは変わっていないよ。
だって僕には何もないのだから。僕には何もできない。
三春が居てくれるから、僕は記憶喪失の坂本秋でいることができる。三春が居なかったら僕は坂本秋ですらいられない。

僕は三春の寝顔を眺めてみた。
三春は穏やかに眠っている。静かな寝息は女の子らしくてかわいい。
僕はそっと頬を撫でてみた。その頬がすごく冷たかった。ごはんも食べてお風呂にも入ったのに、こんなに冷たい。
僕は両手で三春の頬を包んでみた。
少しでも温めてあげたい。でも僕はその両手をすぐに離した。
テーブルの上に置いてあるメモ帳をちぎって、ペンを走らせる。鍵を取ってジョーパンのポケットに入れて、三春を最後に見つめてから部屋を出る。

いつまでも三春に頼ってはいられない。
三春が休んでいるうちに、あの神社にもう一度行ってみよう。
早く記憶を取り戻したい。
僕の婚約指輪はどこにあるんだろうか。僕はやらなくちゃいけないんだ。
三春を早く安心させてあげたい。
三春は僕を責めたりはしないけれど、僕の記憶が戻るのを待っているはずなんだ。昨日行った神社を目指した。服を勝手に着てしまった。でも三春なら許してくれる。許してくれる三春にずっと頼ってるばかりじゃいけないことも本当は分かっているんだ。

昨日の記憶をたどりながらついた神社は昨日よりも生気がないように思えた。僕が一人なのもあるかもしれない。
僕は覚悟を決めて神社の中に入る。
裏に回って僕が居たという場所に経ってみる。気が避けて空がちゃんと見えるこの場所。
僕はここで何を見ていたんだろう。今の僕には昔の僕のことなんかわからない。
青い空を見上げてみる。寒い。もっと厚着をしてくればよかった。
しゃがんでみようと身をかがめた時、後ろで木の枝が折れる音がした。

「っ! 聖さんっ」

慌てて振り返るとそこには最初合った時よりも険しい表情をしている聖さんが立っていた。
聖さんはコートのポケットに両手を入れて、真っ黒な髪の毛の中の赤い唇を薄く開いた。

「君は、坂本秋か?」