複雑・ファジー小説
- 嘘 ( No.9 )
- 日時: 2012/10/19 23:40
- 名前: 雷燕03 ◆bizc.dLEtA (ID: VnoP1T29)
嘘
季節はずれの海に、勿論人気はない。秋もだいぶ深まってきて、海風にうたれると肌寒く感じる。
そんな中そいつは、金色の髪から水を滴らせ、水着姿の上半身だけを海から出し、また下半身では鱗を綺麗に光らせながら、俺の方を見据えていた。
「……どちら様?」
俺は尋ねた。
「見りゃ分かるでしょ」
そいつは、気が強そうな喋り方で答えた。
「……半魚人」
「人魚って言いなさい!」
この海岸は道路沿いの浜辺からは少し外れていて、まず地元の人しか知らなくて、したがって人があまり来ない。だからこいつも来てたのかも知らないけど。
「こんな時期に海って寒くないん?」
「あんた馬鹿? 水は温まりにくくて冷めにくいの。このくらいの時期だったらずっと水の中にいたほうが暖かいわよ」
「それを知らない人を馬鹿と呼ぶなら俺は馬鹿やな」
「はっ馬鹿が」
高飛車な半漁人……もとい人魚だなあ。
「なあ」
「何よ」
「水中で息できるん?」
「できるわよ。当たり前じゃない水中で暮らしてるんだから」
「えらはどこに付いとるん」
「ここ」
そいつは腰のちょうど下辺り、人間の肌から人間のものでない鱗に変わった所を指差した。
「ふーん……。変な所にあるのな」
「あんたが人魚をよく知らないだけでしょ」
「何食べよんの?」
「魚とか、貝とか、海草とか。海の中は高級食料の宝庫よ。おかげでいくつになっても肌はぴちぴちだし。触ってみる?」
「遠慮します」
「遠慮して断った言い方じゃないわよ。ま、結構食べ物は人間に近いから出てくるものも近いわよ。魚の肛門ってね——」
「ストーップ! これ以上聞いたら俺の中の大事な何かが崩壊する気がする」
「常識に縛られて生きてんのねえ」
そいつが笑ったその時、少し強い風が吹いた。俺は肩をすくませる。そいつは身震いをした。
「……寒いんじゃねえの?」
「空気中に体を出してると気化熱で寒いの! 気化熱って分かるお馬鹿さん?」
「ああそれは分かる。別に潜ってていいのに」
「あんたがここにいるからでしょうが! そもそも! 夏の間は我慢してもう人はいないだろうなと思って来たのに、何でこんな時期にこんな浜辺に来てたのよ!?」
「今日ここに来たら誰かに会える気がしたから」
「はい?」
「俺の勘は外れたことがないんだ」
俺の勘は当たる。最早超能力を言って良いレベルに。こっちの道を通ったら何かある、と思えば知り合いのおばちゃんに会ってアイスを貰った。ちょっと危険を感じで立ち止まると目の前に鳥のフンが落ちた。その他諸々。
本当にどうでもいいくらい小さな事なんだけれども。それでも、そうなる気がしてならなかったことは無かった。
「何それ嘘臭いわね」
「別に信じてもらえなかったら大変なレベルのことは分からない」
「下らない能力ね」
「俺もそう思う」
数秒、沈黙に包まれた。上空では太陽が傾き始め、地上と海面を照らしている。ぽかぽかして暖かい。
俺は沈黙を破った。
「何で浜辺に来とったん」
そいつは暫く答えなかった。応答なのか独り言なのかよく分からないような頃、ぼそっと呟きが聞こえた。
「……人に会いたかったのよ」
「…………へぇ」
「ええ矛盾してるわよ! さっき『もう人はいないだろうなと思って』って言ったものねっ」
そいつは突然饒舌になった。「だってもし人間に会ったら取材とかいっぱい来るでしょ? 捕獲しようとか考える大馬鹿連中が現れるかもしれないでしょ? でもやっぱり憧れってあるのよ! みんないっぱい友達がいて、いっぱい恋愛して、いっぱいお洒落して、いっぱいいっぱい人生を楽しんで……! 夢見たって良いじゃない、あたしだって人間だったら女子高生だもの! あたしだってもっとたくさん友達がほしい、もっとたくさん恋したい、もっとたくさんの服が着たいの!!」
そして、彼女の叫びは唐突に終わった。最後の方は声がちょっとかすれていた。顔を隠しているので、どんな表情をしているのかは分からない。
「色々あるんだな」
「だって人魚って絶対的に数が少ないもの」
「——だから人間を引きずり込むんだ?」
そいつは声もなく顔を上げてこちらを向いた。見開かれた目からは、涙が流れていた。
「ど……どういうこと?」
そいつの唇は震えながら動いた。
「夏とか海岸に人が集まる時期に浅瀬へ来て、気に入った人間を海に引きずり込んで殺してたんだろ? 一人目は7月5日に大学生川口栄太。二人目は7月18日、高校生上田陸斗。そして三人目が、8月26日高校生の加藤美沙。殺して何になるのか俺には分からないけどさ」
「な、何でそんなところまで」
青い顔をしながらも、そいつは否定をしてこなかった。……少しだけ期待してたんだけどな。
「そんな気がしたんだ」
「気がした、って……」
「言ったろ? 俺の勘は外れない」
「……そうだったわね。——でもあたし、あなたのことも結構気に入っちゃったのよね」
そいつの顔つきが変わった。「そういうそっけない態度も良いし、よく見りゃ顔も整ってるじゃない」
そいつは驚くべき速さで俺の足首を掴んで海へ飛び込んだ。しまった。もっと早く海から遠ざかってないと悪かった。
大きく息を吸い込む暇も無い。人魚の尾ビレが水をかく力は凄まじく、とても俺なんかが太刀打ちできるものではなかった。息が苦しい。このままでは死んでしまう。でも、何故か助かる気がした。俺の人生はこんなところで終わらない気がする。
俺の勘は外れない。
『あんた何また馬鹿なことやってんの!』
女性の声がした。それと同時に細い日焼けした足が見えて、その足が俺を引っ張る腕を蹴る。手は足首から外れた。
今度は手首をぐいと掴まれて、海岸の方へと引っ張られる。勢いよく海面に顔を出して、空気を肺へ送りこんだ。
「早く海から離れて!」
その声に急かされて砂浜を走る。声は、海の中で聞こえてきた声と同じだった。
波打ち際から離れて海を振り向くと、一人の女性が立っていた。
「えっと……」
「こんにちは。私、加藤美沙。大丈夫だった?」
加藤美沙は、自分を殺した相手のことを笑顔で語ってくれた。多少無理がある笑い方ではあったけど。
「あの子、寂しがり屋なんよ。人間は海の中までは一緒にいられんけど、幽霊やったら別やろ?」
「そんな自分勝手な」
「うん。やけんあの子は私が見張っとるけん。今日はもう帰っていいよ」
兄の元クラスメートである彼女は、自分は殺されたにもかかわらず他人のことを考えている。
「助けてくれてありがとう。でもごめん、まだ用があるんだ」
俺は自ら海へ飛び込んだ。後ろで加藤美沙の声がする。
少し泳ぐと、眼の周りを赤くしたそいつが驚いた顔をして俺を見ていた。俺はそいつへ近づいて、右手をそいつの右の頬、左手をそいつの左の頬に添えた。そしてそいつの口に俺の口を近づけて、同時に目を閉じる。目は閉じていたし海の中だったけれど、そいつがまた泣いているのが分かった。
右手と左手とそして唇の感触は、だんだん無くなっていった。
浜辺へ上がると、加藤美沙が待っていた。
「わお。大胆やなあ」
「あいつ、多分恋愛ができないまま死んだのが一番の後悔やけん、キスのひとつでもすれば成仏するやろうって斑猫婆さんも言ってた」
「だからって中学生ができるか普通。顔もやけど、その淡々とした性格まで兄ちゃんに似てんのね」
分かってたのか。彼女の笑顔は、さっきと違って明るい。
「……あんたは成仏せんの? あいつを止めるために幽霊になったんやないん?」
「うーん、だってあの子成仏したわけじゃないけんな」
「嘘っ。死にかけた上あそこまでしたのに」
心臓が大きくなったのが分かった。これで終わったと一安心したところなのに。
「だって別にあんたあの子が好きなわけじゃなかろ? どこか遠くに行ったみたいやし大分効果あったと思うけど、完全には多分無理だよ」
「マジか……。やけんまだ残るん?」
「うーん、それもあるけど彼氏からのプレゼント貰いそびれたからかも」
「なんだそのリア充な理由」
「あ、笑った」
俺も彼女の笑顔につられたのだと思う。魅力的な女子高生だな。友達も多かったことだろう。だからこそあいつのターゲットにされてしまったのかも知れない。
「じゃあ俺は帰るよ。助けてくれて本当にありがとう」
「いいって。こっちも楽になったし。風邪引くなよ!」
「おう」
加藤美沙に手を振って、家に帰った。早くシャワーを浴びて着替えよう。
「おお、竜也か」
住宅街の外れにある古い平屋。60歳くらいの女性に小学6年の少女と、そして老いた斑猫が住んでいる。俺がそこを訪ねると、縁側にいて日向ぼっこをしていた斑猫婆さんにまず気づかれた。その横に腰掛ける。この家の縁側は勝手に使っても咎められない。
「浜辺の幽霊人魚、会って来ましたよ」
「ありがとよ。何日も通ってもらってすまんね。わざわざ新聞であそこの水難事故を調べてくれたりもして」
「いえ、毎日あの浜辺に現れるって分かってましたから、時間帯をあわせるだけでそう大変じゃありませんでしたよ」
「そうかい。これ以上人を殺されても困るんでの。助かったわい」
斑猫ばあさんはいつも目を細めているので、笑っているのか眩しいのかよく分からない。怒ったようなところは見たことがない。
「……あの」
「なんじゃ?」
「実際、人魚っているんですか?」
「どうじゃろうなあ。いるかも知れんし、いないかも知れん。海を探し回れば見つかるかも知れんぞ」
知ってるくせに。斑猫婆さんは何でも知ってるんだ。
「あ、竜也先パイ」
後ろから、斑猫婆さんよりずっと若い声がした。ここに住む少女だ。
「来てるんなら言って下さいよぉ。今お茶用意しますね」
「あ、いやいいよ。すぐ帰るから」
「えー帰っちゃうんですかぁ」
「特に用もないのに長居するのも悪いし。じゃあね真理ちゃん。さようなら、斑猫婆さん」
俺は平屋を後にした。
俺はふと、多分明日も明後日もその先も、あの浜辺に行ったところでもう彼女には会えないなと思った。根拠のない確信が持てた。
俺の勘は、外れない。
*
風猫様の企画に参加させて頂いたもの改訂版です。め、迷走……(- -;
こうして読み返してると、結構リンクが強いなあって思いました。