複雑・ファジー小説

幻と再会 ( No.15 )
日時: 2013/01/13 07:26
名前: 雷燕 ◆bizc.dLEtA (ID: jroS/ibH)

幻と再会


 栗色の髪を肩まで下ろした彼女は、俺が小学校に上がるころに、俺の部屋の隣にある物置にやってきた。
 素っ裸で。
 そして彼女はこんなことをぬかしたのだ。
「ねえ、なんであなた裸なの?」
「いやおまえこそ!」

 彼女の姿は、俺以外には見えないらしかった。彼女にも、俺以外は見えていないらしかった。しかも彼女は、俺が宙に座っていると言う。俺は真新しい学習机に座っていたというのに。かく言う彼女は、床に散らかされた絵本の上に立っていた。正確には、絵本どころか床の存在も無視したように宙に浮いていた。俺がそう言うと、彼女は床に立っているじゃないと言った。彼女が俺に近づいてきて腕を伸ばすと、彼女の手は俺の胸を通り抜けた。
 俺たちには訳が分からなかった。
 彼女の部屋は、俺の家では物置にあたる場所にあるらしい。俺の部屋のすぐ隣である。俺の部屋は、彼女の家の外側だと言われた。ちょうど彼女の部屋からカーテンを開けて見える位置だと。
 自分の部屋にいるとき常に誰かに見られているというのはぞっとしないから、この微妙なズレは丁度良かったんじゃないだろうか。
 彼女は幽霊でもなさそうだったが、確実に同じ世界を生きている人間ではなかった。他人に見えないものが見えるなんてただ気味が悪いだけだ。小さかった俺はそれを察知して黙っておく、ということができなかったから、変な奴だと言われて育ってきた。馬鹿正直な俺は小学校も高学年になるまで主張を曲げなかった。もちろん友達は少なかった。そんな時の相談相手は、いつも真っ裸な彼女だった。
 彼女は俺よりも少し年上で、どこか達観した雰囲気を持っていた。俺が餓鬼すぎたからそう見えただけかもしれないが。俺が彼女のことを話しても誰も信じてくれないと言うと、彼女は冷たい人たちなのねと言った。彼女の母親は信じてくれたと。母親には俺が見えるのかと訊くと、見えてはいないようだと言った。それでも娘のことを信じるなんて、なんていい母親なんだと思った。それに比べて俺のは、なんて思ったりもした。
 俺は彼女と話すのが大好きだった。彼女の世界の様子は、俺の世界とはだいぶ違った。科学技術はまだ俺の周りのように発達していないらしい。誰もが自然に敬意を払い、戦うときは剣を使うというゲームとか小説にありそうな世界観。文化が違うのだから非科学的なものに対する信仰具合も違って当たり前かと納得した。
 彼女は学校には通っておらず、よく家の手伝いをしているらしい。家は喫茶店を営んでいるそうで、俺の家の一階部分でよく忙しそうにしている。接客をしている時の彼女はとても楽しそうだ。
 俺もこちらの世界のことをよく話した。あちらの世界の人からすると、俺の身の回りに溢れている科学技術は魔法並みに不思議らしい。それが嬉しくって俺は理科の授業で習ったことを自慢げに話したが、彼女が理解しているようには見えなかった。歴史についても話したし、もっとくだらない、クラスメートの話なんかもよくした。
 中学生にもなるとお互い裸というのはだいぶ気恥ずかしかったが、毎日見ていた光景だったし、何より彼女が全く気にしなかった。今更になって何を隠す必要があるのよと笑われた。
 それから楽しいことばかりでもなかった。お互い常に機嫌がいいわけでもないし、悪かったとしてもその原因が全く分からない。喧嘩だってよくした。先に謝ってきたのはいつも彼女だった。
 また、俺たちはお互いしかみえないしお互いの声しか聞こえないので、周りから強い刺激を受けた時にそれを共有するのが極端に困難だった。凄い絵を見ても、彼女にはそれが見えない。劇的なサッカーの試合を見たら、サッカーのルールから説明しなければならない。もどかしかった。伝えられるものといえば、読んだ本の内容やダンス、それから歌くらいだった。
 彼女は歌が上手だった。

「今日ね、ツォンに告白されたんだ」
 俺が家で音楽を聴きながら学校の宿題をしていると、彼女が言った。流行のロックバンドの音を小さくする。
「ツォンって誰だよ」
 このような報告は初めてではなかった。彼女は美人だし性格もはつらつとしていて魅力的だし、近所でも評判の娘のようだ。しかし男がよってきたからと言って簡単にひょいひょいと受け入れないところがまた彼女の美点だと思う。しかしツォンという名前は、今までの彼女の話で出てきた覚えが無い。彼女の身近な人間の名前なら、殆ど覚えているはずなのだが……。
「だから私に告白した人」 答えになっていない。「でも彼、いい人すぎると思うのよね。気を使われすぎてこっちまで疲れそう」
「贅沢な悩みだこと」
「あんたは全然そういう話がないわよね」 そして話を聞いていない。「学校にはたくさん女子がいるんでしょう? いい人いないの?」
「俺はお前と違ってモテないからな」
 決して嘘ではないのだが、本当の理由ではなかった。告白されたことがないわけではないのだ。それも一回ではない。しかし、俺にとって一番身近な女性は彼女だったから、どうしてもそれ以上の人格を求めてしまい、そんな女はそうそういなかった。
「そう」
 彼女の返事を聞いて、どうも様子がいつもと違うな、と思った。テンションが低い。
「何かあったのか?」
「もー、どうしてすぐ分かるのよ」
「十年も毎日毎日一緒にいりゃあデフォルトなんて完全に記憶しちまうさ」
「私、来月結婚するの」
 また彼女は俺の話を聞いてんだか分からない調子で言った。俺は数学のプリントの上を走らせていたシャーペンを止める。
「——は?」
 結婚だって?
 彼女は今まで男に告白されても断り続けてきて、付き合った男などいないはずだ。彼女が母親と話しているであろう時もそのような話題は一切耳にしなかったから、隠していた訳でもないはずだ。それなのに、どうして、こんないきなり。
 その理由も気にはなったが、俺にはそれよりも相手がどんな男かということが問題だった。彼女の目にかなった男が、いや、彼女とつりあう男がそんじょそこらにいるのか? 彼女の町の話や喫茶店に来る客の話はいつも聞いていたが、彼女が好意を持っていそうな男の話など聞いたことが無い。だとすれば、旅の途中に寄った旅人なんかに一目惚れしてしまったのだろうか。彼女の町は港町への一般的な経路での休息地だから、ないこともない。
 俺は、見ず知らずの良く分からない人間に、彼女を奪われる気がして、胸の奥で憤りを感じた。彼女のことは俺が一番知っているんだ。あ、いや彼女の母親の次に、と言っておこう。
「だ、誰とだよ」
「だから、ツォン」
「いやお前さっき、いい人過ぎるって言ってたじゃないか」
「うん、嫌いではないけど特別好きにもなれないかもね」
「じゃあどうしてだよ」 つい口調が荒くなる。「そっちではお前くらいの年齢になると皆が皆身を固めようとするものなのか? そうだとしても、お前は必要ないだろう。好きでもない相手と結婚して養ってもらう必要は無いだろう。ちゃんと説明してくれよ」
 彼女は自分の意思をしっかりと持っている芯の強い女だ。それなのに、好きでもない男と結婚なんて!
 俺は話しながら椅子から立ち上がり、扉を開けて隣の物置まで行った。彼女はいつものダンボールの上にこちらを向いて座っていた。彼女の椅子があるらしい位置においたダンボールである。俺もまたいつもの椅子に座る。彼女はここに棚を置いているらしい。見た目が気持ち悪くならないための工夫である。
「断れないの。ツォンは一ヶ月前にも一度来た貴族さ」
 ツォンという男は、国の都に住む貴族だそうだ。本来なら彼女の住む町に来ることはまず無い。そんな男が彼女とであったのは、やはり、男が港町を目指して移動中に彼女の町に寄ったからであったそうだ。そして例によって彼女の喫茶店に出向き、彼女と出会った。
 男はまず彼女の美貌に惚れ、次に接客の温かさに惚れ、酔っ払って他の客に迷惑をかけ始めた男を店から追い出した強さに惚れ、最後に喫茶店名物のワンマンコンサートで美しい歌声に惚れた、らしい。今日そう言って愛の告白を、プロポーズをしたそうだ。
 彼女の世界で貴族の存在というのは大きい。貴族が一般の人間と結婚するなど常識では考えられない。それでも男は彼女との結婚を望んだというのだから、男の思いも並みのものではないのだろう。しようとおもえば、金に物を言わせて彼女の喫茶店くらいどうとでも出来る。さらに言えば、町ひとつに大きな影響を及ぼすことだって可能だ。
 しかしツォンは優しい男だった。彼女が断れば、大人しく引き下がるつもりだったらしい。鞭を使うつもりはなかった。だから飴を使った。彼女が結婚してくれるなら、町と彼女の母親のために力を貸すと言ったのだ。
 彼女は断れなくなった。
「母さん、病気なのに無理してずっと働いてるのよ! 薬を買って、休ませてあげなきゃ! でも、私が手伝ってるのなんて接客とかせいぜい調理とか、ほんの上っ面で、仕入れすらしたことが無いの。母さんを休ませて薬代と生活費を稼ぐなんて……。そもそもまともにやっていけるかどうか怪しいわ! だから、だから、これしかないのよ」
 彼女は優しい。しかも彼女にとって母親はこの世界で何よりも大切なものだ。ここへ来たときには既に彼女は父親を亡くしていて、母と二人で常に支え合いながら暮らしてきた。俺にとって一番の心の支えは多分彼女だが、彼女にとっては母親だ。彼女の母親の前では、俺の存在なんて蟻に等しい。
 まだずっと一緒にいたいとかいう願望は、俺だけが胸の奥でぐるぐるさせておけばいい。
「自分の力の無さが怨めしいわ……」
 彼女は、顔を隠して泣き始めてしまった。俺は椅子から立って彼女の横に座る。彼女の泣き顔を見るたびに、お互いの温もりを感じることが出来ないというのはこんなに虚しい事なのかと痛感する。彼女に触れることが出来たらどんなにいいだろう。抱きしめて、少しでも苦しみを分け合えたらどんなにいいだろう。
「だから、貴方といられるのもあと少しね。都は遠いわ。馬車で五日間もかかるもの」
「それって、電車で行けばどれくらいなんだろう。二時間くらいかな?」
「分からない。そっちの交通手段は発達しすぎだわ」
 その通りだ。そして通信技術も発達しすぎた。人との別れの意味が薄くなってしまっている。仲のいい友達が引っ越してしまったところで、電波を使っていつでも意思の疎通が出来る。国内ならどこだって、年に一度の帰郷くらいわけはない。
 おれ自身そんな薄っぺらな別れしかしたことが無かったから、彼女が遠くに行ってしまうというのは受け入れがたい事実だった。
「離れてしまったら、もう一度見つけるのは不可能に近いわね。方向が分かったところで、探すには人や建物がたくさんありすぎるんだったっけ? ——私には見えもしない触れられもしないのに、ある、なんて不思議なものね」
「今までも散々話したな。お互いが幻聴を見て幻覚を聞いてるわけでもなさそうだ。それぞれがそれぞれの社会の中で生きてるのに、何故か俺たちだけはお互いが見えるし聞こえる」
「何かの手違いね。恐らく、どちらもちゃんとそこに存在するんでしょうね。でも、自分には自分の住む世界しか見えない。普通はそれぞれの世界が交わることなんて無いんだけど、ここで何かのミスが起こった。あるいは、人は皆自分の世界を持っていて、お互いを見ることは出来るんだけど、自分の世界が広すぎてすれ違ってばかり」
「おれは、同じ座標軸にいくつもの世界が重なって存在してるんだと思うけどなあ」
「座標って、誰が決めた基準なのよー」
「知らねえよ。そっちこそ世界を作る人間とその世界にいる人間の違いってなんだよ」
「知らないわよそんなこと」
 俺達はお互いに見詰め合って、それから笑った。
 その時彼女は目を赤くしながらも涙は乾いていたから、俺は安心した。彼女は疲れたから寝るわね、と言って荷物の中に寝転がった。積まれた漫画の塔と塔の間から、彼女の鎖骨が見えた。

 それからも、俺達は今までと同じ様に過ごした。見かけは、ね。俺は彼女の話ひとつひとつに今までにないくらい注意を傾けていたし、彼女も今まで以上に話が詳しかったような気がする。ひとりひとりの人間の説明をいちいちするから、なかなか進まない。
 そうこうして、彼女はある朝に「この町を出発するの、今日なのよね」と言った。一階で彼女が母親と会話している内容から想像は出来ていたから、驚かなかった。彼女の髪型もいつもより派手でしゃれていたし。彼女のいない生活とは一体どんなものなんだろうとぼんやり思った。
 学校は仮病で休んだ。彼女の知り合いたちが集まって家から少し離れた場所で、別れの挨拶をするらしい。俺は彼女について行った。彼女が立ち止まった場所は、住宅地の隙間を縫う通路だった。こんなところで一人で話していたら、俺は完全におかしい人だ。
 彼女は、見送りに来た人ひとりひとりに声をかけていった。
「リーシャ、私がいなくても泣いてばかりいちゃ駄目よ。死別じゃないんだから、絶対また会えるから。ヒューグ、捻くれてるのもかわいいけど、少しは素直になりなさいよ。そんなんじゃ……。あはは! 大丈夫、言いやしないわよ。ルーフェル、将来のために勉強をするのはいいけど、たまには日の光を浴びないと体によくないわよ。偉くなって都まで会いに来てね。ミフィア、あなたはもう少し女らしくするのをお勧めするけど、まあそんなあなたを好きな人もいるから……あはは、ごめんなさい。ゴーグ、私たちがこの町で平和に暮らせているのはあなたたちが警備してくれているおかげよ。ありがとう、これからも仕事に誇りを持って。キーマおじさん、おじさんが薦める本はどれも面白いから、つい夜更かししちゃって美容の敵だったわ。向こうに行ってもたくさん本を読んで、おじさんみたいに博識になれるよう頑張るわね。スクリアおばさん、おばさんのパンはもう、最高! 向こうに行っても無理言って頼んじゃうかもしれないわ。グリフィルおじいさん、私が生まれたときからずっと見守ってくれてありがとう。この町がまたちょっと変わるけど、おじいさんはずっと変わらず元気でいてね。それから……おかあさん」
 彼女の目が潤んでいるのが分かった。彼女は一点を真剣に見つめて、言葉を紡ぐ。
「本当にありがとう。ありがとう。何度言っても足りないわ。嫁ぐくらいしかできない親不孝な娘でゴメンね。ずっと迷惑ばかりかけてきたけど、たまには喧嘩もしたけど、大好きよ。私が変な事を言っても信じてくれて……。ごめん、もう何言ったらいいかわからないわ。本当にありがとう。元気でね。体には気を付けてね。絶対に無理しないでね。またいつか帰ってくるから」
 彼女はぼろぼろと泣きながら母親に感謝の言葉を述べる。そんな彼女を見ていると、こちらまで目頭が熱くなってしまう。彼女は本当にいい町に恵まれたと思う。国の都ってのはどんなところなのか知らないが、この町にかなわないことだけは確かだろう。向こうでもどうか変わらず幸せでいてほしい。
 周りに慰められながら(雰囲気から推測するに、だが)ひとしきり泣いた後、彼女はその場にいる人たちを見渡してこう言った。
「最後に、歌を歌っていいかしら。多分みんなが知らない歌だと思うわ」
 そんなにぐはぐしゃに泣いてて歌が歌えるのか、と茶化してやりたくなった。しかし最後の別れに彼女の歌を聴くというのはいい。とってもいい。彼女の周りには先程名前があげられた彼女の知り合いがいるのだろうが、俺にとっては、彼女の歌は俺だけのリサイタルなのだ。
 そして彼女が歌い始めると、俺は呆気にとられてしまった。
 その歌はいつも彼女が歌っている、つまり向こうの世界で作られた歌ではなく、幾分か前に俺が彼女に教えた歌だったのだ。
 彼女がよく歌っているから俺はそれを覚えてしまって、何気なしに鼻歌で歌っていたときだった。そっちの歌も何か教ええてよと言われて、恥ずかしながら俺も彼女の前で歌を歌ったのだ。それも全てフルバージョンで。流行の曲とか、メジャーじゃないけど好きな曲とかを、いくつか教えた。
 彼女が歌っている曲は、「いい歌ね」と言われたのは覚えている。しかしその後彼女がこれを歌っているところなど耳にしなかったから別に覚えていないだろうと思っていたしそれでもよかったのだが……。しかし彼女の歌は堂に入っていた。まさか、俺のいないときに練習していたのだろうか? そんな都合のいいことも思ってしまう。
「君に出会えてよかった。切ないけれどよかった」
 彼女が奏でる言葉はそのまま今の俺の心境を表していて、強く胸を締め付けた。
 彼女と出会わなければ、こんな切なさも、悲しさも、味わうことは無かったのだろう。しかし同時に、あの楽しさも、温かさも、幸せも、知ることは無かった。彼女に出会うことができて本当によかった。今では彼女のいない人生がどんなものだったろうかなんて、想像もつかない。何の偶然かはたまた手違いか知らないけど、感謝したい。
「どうか君だけに届いてほしい、永遠に」
 彼女は歌を終えて、また大粒の涙を流しだした。
 永遠の愛、か。
 陳腐でそのくせ不確かで、決して存在なんてしないんじゃないかと思えるものだけど、それはどこかにあってほしいと思った。できればここに、あってほしいと思った。歌っている間に何度も目があったと思うのは、俺の自意識過剰だろうか?
 俺は耐えられなくなった。
「リサーナ!」
 彼女が、リサーナが驚いたように俺の方を見る。
「お前、嫁になりに行くんだからそんなにぼろぼろ泣いてばかりいるなよ! でも、気が強いくせに人前で泣けるのはいいところだからな。つらいときは人を頼れよ。でも、今は笑え! お前は今から幸せになるんだから、泣いて出て行くな。それから」
 俺は矢継ぎ早に続けた。
「好きだ」
「——私も」
 彼女は頬に伝う涙はそのままに、こちらをまっすぐ見て笑顔で言った。そしてすぐに周りに「ううん何でもない」と言って、涙を拭う。じゃあそろそろ行くね、と言って空中に座った。俺からは空気椅子にしか見えないが、馬車か何かに座っているのだろう。手を振った後にドアを閉める仕草をした後に、俺の方を見つめて「じゃあね」と口を動かした。
 彼女は上下に揺れながら、住宅地の向こうへ消えていった。


「最後の別れが、そんな感じだったっけ?」
「そうそう。永遠の愛。あの歌、実は気に入ってたの」
「あんなこと言っておいて、俺も今は結婚して子供までいるがな」
「私のほうが先に嫁いで行ったじゃないの。子供も元気に育ってるわ。お互い顔に皺も増えたわねえ」
「大学に行ってからは、俺も中々こっちに帰ってこなかったからな」
「私が帰ってくるのも不定期だしすぐ都に行っちゃうから、また会えたなんて奇跡に近いわね」
「奇跡なんて今更じゃないか。そもそも始めの出会いが奇跡だし、言葉が通じたことだって、一日の周期が同じだったことだって、お前がそんなに魅力的な女だったことだって奇跡だ」
「あんた年食ってキザになったんじゃないの? 奥さんとは幸せにやってる?」
「ああ。優しくていい奴だよ。そっちこそツォンとはどうだ?」
「相変わらずいい人過ぎるくらい。若いより今くらいの年齢のほうが似合ってるかもね」
「そうかよかった。他に変わったことは無いか?」
「数年前、母さんが死んだよ。まあ寿命だろうね」
「……そうか」
「なーにシケないでよ。もう平気。つらいときは人に甘えてるから」
「それがいい。ちょっと、飯食いに行ってくる。積もる話は夜にしよう」
「そうね。いつが最後の別れになっちゃうか分からないから、話したいことはじっくり全部話さなきゃね——」




『おめでとう そしてこれから 待っている素敵な日々
 お二人で過ごす日々に笑顔あれ』