複雑・ファジー小説
- 君と共に足音を ( No.21 )
- 日時: 2015/08/30 22:23
- 名前: 雷燕 ◆bizc.dLEtA (ID: a6RsoL4B)
君と共に足音を
「突然の死」を悼む言葉を見かけるけど、思うに死なんてものは、ああ、突然訪れるべきものなのだ。足音を響かせながらゆっくりゆっくり近づいてくる死ほど、たちの悪いものはない。
街から外れた道路を行く。途中で曲がってさらに山へ向かい、しばらく坂を登ると目的地に着いた。
木々に囲まれた旅館のような見た目をしたそのきれいな建物は、しかし旅館ではなく、病院だ。診療所ではなく何人もの人が入院しているれっきとした病院なのだけど、大掛かりな治療器具は備えていないため、病院にしてはこぢんまりとしている。
もう治療を諦めた……いや、受けないことに決めた人々が入院している病院。死の足音を聞きながら静かに待つための場所。
アルコール消毒液を手にすりこみながら慣れた足取りで廊下を行く。両側に並ぶ横開きのドアはよく見る病院のそれだが、やさしい茶色をした木の壁は見る人にどちらかというと老人ホームのような印象を与える。
ひとつのドアにノックして、特に返事も待たずに中へ入った。
部屋は簡素な作りの個室で、中央のベッドではミカが上半身だけ起こしてこちらを向いていた。ベッドテーブルには描きかけの絵と色鉛筆、それからパソコンが置かれ、ベッドの向かいにあるテレビでコメンテーターが何かを話している。静かすぎると寂しいのか、彼女は見る気もないテレビをとりあえずつけていることが多い。
「おっす」
そんな挨拶をしてからベッドの横の椅子に座った。彼女は「やっほ」とかそんな言葉を返してきたが、ぜんぜん意識してなかったのでちゃんとは聞き取れなかった。街中の大きな病院からここに移ったのがもう半年ほど前、彼女の声はずいぶんか細くなってしまって、気を抜くと何と言ったのか分からなくなる。
「頼まれてた本買ってきたぜ」
俺がそう言って紙袋の中から何冊かの本を取り出し、
「ありがとう」
彼女はそれを受け取って、俺が座っている側とはベッドをはさんで反対にある引き出しの上に立てた。そのあと引き出しから財布を手にとって「レシートは?」と訊いてくる。俺はもう一度紙袋に手を突っ込んで、底に落ちていた紙を渡す。
プレゼントしたい気持ちは山々なのだけど、両親と並ぶくらい頻繁にここを訪れる俺がこういった「おつかい」をすることは多くて、貧乏大学生にはさすがにつらいのでありがたくお金は頂戴している。彼女は特に読書家でもなかったが、入院し始めてからは暇なのかたくさんの本を読むようになった。
「絵描いてた?」
「うん」
ベッドテーブルの上で放置された紙には鳥が何匹かいて、一匹は頭と翼の途中までしか塗られていなかった。パソコンの画面には絵と同じ鳥の写真が表示されている。聞けばモズという鳥らしく、付近で見かけることもあるのだとか。
彼女は大学では軽音楽サークルに入っていて美術系の活動も特にしていなかった記憶があるが、「絵はいつでも描けると思ってた」のだそうだ。
入学して二年もたたずに退学してしまったけど今でも見舞いに来てくれる大学の連中の近況やら、つけっぱなしのテレビが喋った最近のニュースやら、雑談をする。相手は声を出すのもきつそうなのでなるべく俺が話し続けるようにした。とはいえあまりたくさんの話題も持ち合わせていなかったので、しばらくすると無言の空間になってしまった。なるべく一緒にいたいため帰りたくはないが、絵を描いていたのを中断させておいて無言のまま時間を奪うのも申し訳ない。
「今日他に誰か来る予定ある? ……ここでレポート書いていい?」
「あはは。たぶん誰も来ないよ、どうぞ」
弱々しく笑いながら彼女はそう言ったので、俺が鞄からノートパソコンを取り出してキーボードを打ち始めると、彼女も痩せて血管が浮き出てしまった手で色鉛筆を握り、絵の続きを描き始める。しばらくすると彼女がテレビを消したのか、色鉛筆が紙の上を滑る音とタイピング音だけが部屋に響く時間が続いた。たまに顔を上げて彼女の横顔を眺める。
パソコンの画面で時刻を確認して、そろそろ帰るかと思った頃には窓からオレンジ色の西日が射していた。彼女は最期の鳥を塗り終わって読書に移行していた。
「悪い、長居したな。そろそろ帰る」
「ううん、長くいてくれると嬉しい」
彼女が微笑むと、頬のこけてしまった顔でも愛らしさが溢れる(主観なのは否定しない)。
「じゃあまた。バイバイ」
「うん待ってる。またね」
手を振ってから部屋を出て駐車場に行くと、露出された腕が夕方の肌寒い空気に触れた。初夏なので日が出ているとはいえ時刻は結構遅い。車に乗り込んで家へ向かった。一人暮らしには憧れていたが、親の車がすぐに借りられるので今は自宅通いでよかったと思っている。
本を読んで、絵を描いて、見舞いに来る人と会話をして。ゆっくりとしたそんな日々。彼女が何を思いながら最期を待っているのか、俺には到底わからないんだろう。
*続きます