複雑・ファジー小説

キライ同士 ( No.22 )
日時: 2013/02/28 16:39
名前: ゆかむらさき (ID: E/MH/oGD)
参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode

 ————塾、三日目。


「お母さん……。今日、塾休んでも……いい?」


 玄関で靴を履いたにもかかわらず、そこから重たい腰をなかなか持ち上げる事ができない。
 あたしはずっと座り込んだままで、小さな子供の様にぐずっていた。 
「休む? 何言ってんのよ、あんた。まだ通い始めたばっかりじゃないの!
 ————行きなさい」
 お母さんは、あたしの額に手を当てて首を横に振り、玄関の外に押し出した。
「いきなさい」
 もう一度強く言われ、ドアを閉められ、鍵まで掛けられた。
 外からドアを何度も叩きながら、あたしは半泣きでもう一度お母さんにお願いをした。
「お母さん! あたし、ちゃんと行くから塾まで車で送って!(ちなみに帰りは迎えにきて)」


 ————塾に行く事が嫌なわけではない。
 あたしは……バスに乗る事が嫌だった。


 日も暮れ出し、次第に寂しくなってゆく空の下。カレーや焼き魚など、どこかの家の夕食のメニューの美味しそうな匂いが混じり合ってやってくる。
 あたしのお腹も寂しくなったのか、地味な音を立てて鳴いた。
 塾のある日は中途半端な時間に出て行かなくちゃならないので、学校から帰ってからスナック菓子、もしくは菓子パンを1袋たいらげてから出掛けるのが日課だったが、今日はあまりにも気持ちが沈み過ぎていて何も食べる気にならなかった。
 買い物帰りの主婦、公園から帰ってくる子供達、犬の散歩をしている人……家の前を通り掛かる人達が哀れんだ顔であたしの事をジロジロと見ながら通り過ぎていく。カラスまでもが屋根の上から見下ろして、バカにして笑っている。


 恥ずかしい……。このままここで溶けてなくなってしまいたい————
 あたしは沈みゆく夕日の色に負けないくらいに顔を赤くしてドアの前でうずくまり、しゃがみ込んだ。


「おい! はやく乗れ!」


 無理矢理に涙でも絞り出して、もう一度お母さんに塾を休ませてもらう交渉をしてみようかと考えていたら、後ろから松浦くんに足でお尻を小突かれた。
 バスはすでに家の前でエンジンを掛けたまま停まっている。
 なかなか家から出てこないあたしを先生に『連れてこい』とでも頼まれたのか、彼は面倒臭そうにあたしの両脇に手を入れて立たせ、手首を掴んだ。
「はぁ。……ガキか、おまえは。————来いっ!」
 相手が女の子だというのに……。しかし、そんな事などお構い無しに、松浦くんはあたしの手首を握る手に思いっ切り力を込めて引っ張った。
「い、痛いッ!!
 ちゃっ! ちゃんといくから! お願い! もっとやさしくしてぇっ……!!」
 あたしの返した言葉に、彼は謝って引っ張っている手を離してくれるどころか、逆にさらに力を入れて引っ張った。
「ばっ、バカ!! うるさいぞ、おまえッ!!」
 顔を真っ赤にした松浦くんが小声で怒鳴る。
 ————怒ってる? 
 ちゃんと“いく”って言ってるのに。 
 彼に掴まれている手首が赤くなっている。怒る方の立場はあたしだよ……。


「ヒューヒュー、恋人ですかー?」
 家の門をくぐり抜け、バスの停まっている道路に出ると、近所に住む小学生の男の子達が通りすがりに大きな声であたし達の事を冷やかしてくる。
(冗談じゃ、ないっ!)
 ————こんなのと恋人だなんてまっぴらゴメン!
 あたしは松浦くんの手を振り払ったが、そのまま彼に着ているパーカーのフードを引っ張られて、強引にズルズルとバスの中に引きずり込まれた。


「……座れ」
 窓際のシートに座った悪代……松浦くんが、隣の座席を手の平でトン、と叩いた。
 あたしは仕方なく彼に従い隣の席に座ると、バスが動き出した。
 実はあたしがバスに乗るのがイヤだったわけは、松浦くんに会いたくなかったからだった。
 何故かというと————


「フーン。どうやら昨日の“アレ”が分かった様だな……」
 彼はあたしの反応をニヤニヤしながらうかがっている。
「辞書で……調べたから……」
「ぷぷっ! クックック……」
 松浦くんが隣で笑いを堪えている。絶対こうなるハメになるんだと予想をしていた。もう恥ずかし過ぎて彼の顔を見る事ができない。どうせこれ以上話したって、彼の作ったアリ地獄に飲まれ、沈んでいくだけの様な気がする。いっそこのままバスの窓から飛び降りて逃げ出してしまいたい気持ちだ。
「まさに、おまえの事……だっただろ?」
 彼は鼻で笑って窓の外を見ながら話し出した。


「勉強はできないわ、一般常識もわきまえていないわ、空気も読めない……。
 本当おまえって、ギネス級のバカなんだな。
 おもしろすぎて……昨夜、眠れなかったぞ、俺……」


 何もそこまで言わなくたって……。
 松浦くんの意地悪さこそギネス級だ。まぁ、ソレはあたししか証明できない事なんだけれど。世間に公表したとしても、誰にも信じてもらえなくって余計に馬鹿にされるのが目に見えているから、結局何も言えない情けないあたし……。


「でも……知りすぎちゃってる子よりは……いいでしょ?」
 あたしは膝の上で手の平を擦り合わせながら、松浦くんを見た。
 彼はカバンの中から出したチューイングガムを口の中に入れて窓の外を見た。
「まあな。だけどおまえの事は嫌いだ……」
(あたしだって……!)
 ——悔しい! 先に言われた!


「!」
 突然、松浦くんがあたしの手を握ってきた。
 そして、握った膝の上のあたしの手をひっくり返して親指で撫でている。
 くすぐったくって……気持ち悪い————
 彼の噛んでいるミントのガムのスーッとしたにおいと一緒に、あたしの体もスーッと寒気を感じた。
(さっき、あたしの事キライだって言ってたのに……)
 ————やっぱり、この人は何を考えているのか分からない。
「小せぇ手……。こりゃ、一生チビのままだな。140ねぇだろ」
(えっ?)
 彼は淡々とした顔で、あたしの一番気にしている事を言ってきた。
「あ、あるもんっ」 
 腹が立って……二センチ、サバを読んでしまった。
「何おまえ。俺に好きになって欲しいの?」
 身長の事を言われて動揺してしまった事を、手を触られて動揺したと思われたのか。違うのに————! 
 彼はニヤニヤしながらあたしの顔を覗きこんできた。
「勉強はできない。可愛くもない……。そんなおまえを好きになるには、相当の努力が必要だよな! ハハッ」


「——ッ!」
 あたしは体中の全神経を右足に集中させて、思いっきり松浦くんの足を踏ん付けた。

キライ同士 ( No.23 )
日時: 2013/03/04 16:13
名前: ゆかむらさき (ID: E/MH/oGD)
参照: http://www.kakiko.cc/novel/novel6/index.cgi?mode

     ☆     ★     ☆


「はい、着きましたよ」
 バスは塾の駐車場で停まり、先生がエンジンを止め、振り向いた。
 いつもなら先に降りて早々と逃げていってしまうはずの松浦くんが、何故か今日は動かない。無言でガムを噛みながら腕組みをしてバスの天井をジーッと見つめている。
 ついさっき、あたしをバカにして嘲笑っていた彼が、今は何か考え事をしているかの様に真剣な顔をしている。 
 ————不気味だ。早く逃げよう。


「あたし先に行くね……」
 何か嫌な予感がする。
 早くこの場から……松浦くんの元から逃れて高樹くんに会いたい。
 あたしは席を立ち、松浦くんに背を向けた。
「待てよ。まだ行くなって、“なみこ”」
 パーカーのすそを引っ張られ、強引に再び座らされた。
 昨日の帰りのバスからだろうか。さっきもバスの中でいきなり手を握ってくるし————やっぱり松浦くんの様子がおかしい。
(今まであたしの事、あんな風に下の名前で呼んでくる事なんて無かったのに……)
 ————少し怖くなった。
「俺に、ついてこい……」
「え……?」
 いきなり彼に腕を引っ張られ、あたしは強引にバスから降ろされた。
(痛い……怖いよ……。たすけて高樹くん————!!)


「——なみこちゃんっ!」
 自転車置き場の方から高樹くんが走ってきた。
 彼は手の甲でおでこの汗を一拭きして、松浦くんに掴まれているあたしの腕を見て唇を噛み締めている。
「彼女は僕が連れていく……」
 高樹くんは、普段あたしには見せた事のない険しい顔で松浦くんの前に立った。
 松浦くんは鼻で一息ついてからニヤッと笑い、答えた。


「悪ィな、高樹君……。少し、こいつ借りてくわ。
 あー大丈夫、大丈夫。後でちゃんと返すって。な?」


(“借りる”とか“返す”って……あたしを物扱いしないでよっ!)
 あたしと同じ歳なのに、いつもエラそうに威張ってて、二重人格で、あたしの事をバカにして……大っキライ!
 そんな松浦くんは階段を、またもやあたしの腕をグイグイと引っ張りながら、あたしたちの教室のある2階を越え、3階へと向かって昇っていく。


「誰も見てないから……いいじゃん……」


 ————あの日の夜の事を思い出した。3階の廊下は高樹くんともう少しでキスをしたかもしれなかった思い出の場所。
 松浦くんとなんて————絶対に行きたくない!


「やだッ! あたし行きたくない! ——戻るッ!」
 2階と3階の間のおどり場で、あたしは彼に掴まれている腕を離そうと力を込めた両手を使って必死で抵抗した。しかし男の子の強い力になんて到底敵うワケがない。
「チッ! うるさい女だな」
 舌打ちをして松浦くんはあたしを軽々と持ち上げ、10キログラムの米袋を運ぶ時の様に肩に担いだ。そのまま3階の廊下を、足元に無造作に置かれている段ボール箱を足でかき分けながら、まっすぐ進んでゆく。
 高樹くんとはここまで廊下の奥に来た事は無い。
 日はすでに落ち、電気も点いていない暗い静かな廊下。暗い事だけではない。今、一番怖いと感じるのは、いつもとは明らかに様子の違う松浦くん。あたしをどこに連れて行き、何をしようとしているのか————


 気が付くとあたしは廊下の一番奥にある、怪しげな部屋の前に連れてこられていた。1階と2階のベージュ色の鉄製の塾のドアとは違う、黒いレザー張りの扉が目の前に立ちはだかっている。
 そういえば、ここは塾になる前はパブとか……そういうお店————
 “空”と黒いマジックで手書きで乱雑に書かれた段ボールの切れ端で作った表札がドアの取っ手に掛かっている。松浦くんはそれを裏にひっくり返し、“使用中”に変えてあたしを担いだまま中に入った。


 部屋の中は、見渡してもどのくらいの広さか分からないほど真っ暗で何も見えない。ほこりっぽくて、変な臭いがする。
「——ひゃっ!」
 多分あたしの顔にクモの巣がダイレクトに引っ掛かった。
「ま、松浦くん……。ここ……何の、部屋?」
「…………」
「なんのへやなの!!」
「…………」
 ————何度も聞いているのに返事が返ってこない。
 絶対聞こえているはずなのに!
「……おろして」
 あたしを担いでいる松浦くんの顔が向こう側にあって、彼が今どんな顔をしているのか分からない。
 怖い顔をしているのか。
 バカにした顔をしているのか。
 松浦くんはあたしの様な邪魔者が塾に入ってきた事が気に入らないはず。きっと鬱憤が溜まっておかしくなってるんだ。
 でも! あたしだって好き好んで塾になんて入ったワケじゃないのに。しかも松浦くんと一緒の塾になんて『お金をあげるから行け』って言われたって行きたくないんだから————
(スキを見て逃げよう……)
 あたしは今、その事ばかりを考えている。


 カチャン……。
 松浦くんは何も言わずにドアの鍵を閉めた。
 彼はおそらくこの部屋が何の部屋なのかを知っているのだろう。そして、ここでわたしに何かしようとしている。
 今更気付いたって————もう遅い。
 あたしは、まんまと松浦くんの罠に掛かってしまった。