複雑・ファジー小説

Re: アビスの流れ星 ( No.25 )
日時: 2013/01/06 13:05
名前: 黒田奏 ◆vcRbhehpKE (ID: u83gKCXU)




   ※



「ここは研究開発室です」

 私たちが今歩いている、鉄臭い匂いが充満して熱がこもる部屋では、多くの研究員と技術屋たちが忙しく行き交っていた。
 ライブラの隊員によって持ち帰られたレイダーの亡骸は、ここで彼らの手によって私たちの武装へと加工される。その為、ちらほらと大きなレイダーの死体があるのが見えた。向こうにあるのは、数日前にシドウ大佐が屠った四足歩行のレイダーのものだろうか。

「そういえば、シドウ大佐の装備って特注なんですか?」
「なぜそう思う?」
「この間、そのコート着たままレイダーを討伐したじゃないですか。コートの下に着込んでいるのかと思っていたけど、それでも違和感があるし……」

 士官にもなると、時折特注の装備を使っている人が居るのだ。元々アメリカ本部に勤務していたアルベルトさんのライフルもそれであったから、シドウ大佐のそれもそうではないかと考えた。
 ふむ、と声を出してシドウ大佐は折り曲げた人差し指を口元に当てた。彼が考え事をするときの癖なのだろうか。

「確かに特注……というか、アメリカ本部の試作品を使っている。とはいえ、性能自体は従来のそれと大して変わらんがな」

 彼が袖をまくると、黒地のインナーに、更に色が濃いラインが入っているのが見えた。
 素材を限界まで圧縮することで、重量と性能は変化ないものの、見た目のスリム化に成功したものであるそうだ。難点は防御力が低いことであるらしい。

「次は軽量化も実現することで、今までのそれよりも強固かつ多機能な装備を作る研究が行われているらしい」

 よく話がわかっていない私は、ほへぇ、と間抜けな声を上げた。シドウ大佐はまたいつものように溜め息をついた。なので「溜め息ばっかりついてると、幸せが逃げちゃいますよ?」と言っておいた。



   ※



 その後も医務室、居住区、トレーニングルーム、書庫などなどと回り、気付けば数時間が経過していた。支部内は広いので、ただ歩いて回るだけでも結構な時間がかかるのだ。だから新しく入ったメンバーは支部内を案内する、なんて習慣がついたらしい。

「でもひとまずは、これで大体といったところでしょうか」
「ああ、感謝する」

 シドウ大佐は相変わらず表情を変えずに言った。どうしてこの人はここまで無愛想なのだろうか。顔は悪くないと思うのに。
 そんなことを考えていると、彼は不意に立ち止まった。数歩遅れて私も止まると、どうやら彼は何か考え事をしているようであった。

「……どうかしたんですか?」

 彼は少し間をおいてから口を開いた。

「あと一箇所行きたい場所がある」




   ※



 風が強かった。
 今は十月、空気が鋭い冷たさを帯び始めてきた頃である。支部の外を見張る役目も持つ天文台には強風が吹きつけていた。スカートでなくてよかったと思う。
 シドウ大佐は黒いコートをなびかせ、広い天文台を、風を気にすることもなく歩いていた。
 天文台から見渡す限り、この支部自体の他には、荒れ果てた大地と瓦礫と廃墟が広がっている。殺伐とした光景だ。彼がここに来たいと言った理由を、私は量りかねている。
 彼は立ち止まって空を見上げた。私も見上げる。日は既に沈んで、夜空には星の地図が広がっていた。ただ一箇所、とても大きな黒い点を除いて。

「……綺麗な星空ですね」

 素直にそう思った。半年ぐらい前のあの日、私の一番古い記憶であるあの日から変わらない夜空。昔の人はあの星と星を繋ぎ合わせて、星座なんてものを考えたそうだ。

「この時期だとペガサスの大四辺形か」

 シドウ大佐がそんなことを言う。
 ずっと昔の神話に出てくる、翼の生えた馬。メドゥーサという怪物の血から生まれたそれになぞらえた星座が、今の時期だとよく見えるのだという。星座に大きな四角形が含まれていることから、それはペガサスの大四辺形というらしい。

「詳しいんですね」
「アビスについて何か解るかと思って、天文学だとかは少しな」

 だけど、結局あの黒い星の正体はわからないのだという。
 周りの星たちをも飲み込んで消してしまいそうなほど真っ黒な星。レイダーと関連がありそうだ、ということ以外、それについてはまだ何も解っていない。
 きっとレイダー達はアビスから来るのだ、とも言われているけれど、それすら定かではないのだ。
 あの星には何があるのだろう。どうして黒いのだろう。そんな疑問すら、すべて飲み込んでしまうような気がして——

「フミヤ少尉」
「わっは、はい」

 奇妙な返事を上げてしまった。
 また、いつもの悪い癖が出ていたらしい。本当にこれ、いつか任務でぼさっとしている最中にあっさりと縊られてしまうんじゃないだろうか、私。
 苦笑いしてなんとか誤魔化そうとする私を見て、シドウ大佐は頭をかきながら溜め息をつく。
 それからいつもの仏頂面に戻った。

「身体を冷やすと良くない。そろそろ戻るぞ」
「はい、シドウ大佐」