複雑・ファジー小説

Re: アビスの流れ星 ( No.6 )
日時: 2013/01/04 12:08
名前: 黒田奏 ◆vcRbhehpKE (ID: 9U9OujT6)




「フミヤ」

 私の名を呼ぶ声が聞こえる。まるで男の子みたいな私の名前を。
 この私の名前は、私が『文谷(ふみや)』という地区で保護されたからそう付けられたのだそうだ。語感が柔いので、女の子らしくない点を除けば、私はこの名前をそれなりに気に入っている。
 そう。そういえば、私が保護された……私の記憶の一番最初にあるあの日も、あの黒い星はこうして空に浮かんで——

「フミヤ!」
「ふぁいっ!?」

 思わず、意味のない奇声をあげる。

「ふぁい!?じゃなくて! 倒したのか?」
「え……あ」

 我に返って、周りを見渡す。私は両手にサーベルを掴んで、今しがた自分が倒したレイダーの上に立っていた。
 私の悪い癖だ。時折ぼうっとして、周りの声が聞こえなくなってぼんやり空を見上げていることがあるのだ。戦闘中にそうなった事はさすがにないが、もしそうなったら困るので改善しようとはしている。だけど、一向に治る兆候はない。

「は、はいっ! もうばっちぐーです、かもしてやりましたよ。がっつり」
「まあ、それは見てわかるけどさ。……またいつもの癖か?」

 私の名を呼んでいたのは隊長だった。隊長の後から、同じ隊員である三人がついてくる。
 隊長はアイカワという名前で、私を保護した人の友人でもあるという。

「もしかしてもうボケ始まってんじゃないの?」
「しっ、失礼なっ」

 アイカワさんは意地悪に笑いながら失礼極まりないことを言う。確かに私の灰色の髪は、どこかおばあちゃんみたいだと思ったことはあるけど。だ、誰が若白髪だっ。
 けれどアイカワさんは、すぐに「冗談だよ」といって白い歯を見せて笑う。
 彼は私の隊の隊長を務めており、事実上今現在のライブラ元日本支部のリーダーだ。実力という意味では無論のこと、精神的な柱でもある。
 私もそれがわかっているから、彼の意地悪を「まったく」とため息をついて許すのだ。

「一先ず今回の目的は達成したようですね、隊長」

 後から来たマツヤマさんが、長い髪を揺らして隊長に言った。相変わらずの無表情だった。
 彼女は表情を変えることが滅多にない。だから冷たい人だと思われがちだけど、実際はそうじゃないことを私は知っている。なぜなら彼女は時折、隊長の顔をじっと見つめているからだ。
 ごく最近聞いたのだけど、アイカワさんの補佐も彼女が自ら志願したらしい。
 ……だというのに、ぜんぜん気づかないアイカワさんの鈍感さときたら。

「ん、そうだな。ここまでの経路の安全は確保してあるし、回収班呼んで待機しておくべ」

 マツヤマさんの視線に気づかずに、隊長は簡単な指示を下す。
 マツヤマさんが支部と連絡をとっている横で、アルベルトさんとミズハラさんが、私の足元のレイダーの死骸を観察していた。

「……コイツに限った話じゃないけど、やっぱりレイダーって気持ち悪い……」

 ミズハラさんが言う。レイダーは気持ち悪い、それには同意する。あまり下手にかわいくっても、殺すときに躊躇いが生まれてしまうから困るけれど。
 ただ、基本的に内気である彼の口からそういった言葉が出るのが珍しいと思った。……何か、レイダーにまつわる嫌な過去でもあるのだろうか。

「汚いなさすがレイダーきたない」

 アルベルトさんがサーベルでレイダーの死骸を突っつきながらつぶやく。
 「せっかくの素材が傷むからやめれ」と隊長に注意を受けて、彼は「フヒヒ、サーセン」と言いながらサーベルを引っ込める。
 私も一応、レイダーの死骸から降りておいた。
 アルベルトさんは日本語が下手というわけではないのだけれど、時々不思議な話し方をする。やっぱり外国人だからだろうか。
 外国人といえば、私もそれなりに日本人らしくない目の色と髪の色をしている。……私も、日本人ではないのだろうか?
 自分に問いかけても、自身の出生に関するような記憶は一切ない。
 もっぱらの私の目標は、自分の記憶を取り戻すことである。

「まあ一仕事終えた訳だし、一服どうだい」
「隊長、任務は帰るまでが任務です」
「マツヤマっつぁんよ、お前は俺のおっ母さんか何かかい……」

 隊長がポケットから取り出したタバコを、マツヤマさんが取り上げる。今でこそ高価なタバコだが、昔……レイダーが現れるより以前は、誰でも気軽に買えるものだったらしい。きっとそれは、タバコに限らないのだろうけど。

「ミズハラ、お前吸ってみるかい?」
「隊長、僕はまだ18ですよ……」
「冗談だよ」

 それは隊長の口癖である。
 軽口を叩いて、冗談、と言って、周りは呆れたように笑う。それが私の隊の日常である。



 ——今日までの。



 隊長がミズハラさんの方を見たまま、目を見開いた。
 ミズハラさんは珍しくきょとんとした表情をしていたが、隊長が凍りついた理由がすぐに私にもわかった。

「ミズハラ、後ろッ!!」

 え、と小さく短い声。
 ミズハラさんが振り返ったときにはもう遅かった。
 巨大なタコのような頭部を持ったレイダーは音もなく立ち上がり。その前足を大きく振り上げて。
 そのまま振りぬいて、ミズハラさんの首から上を吹っ飛ばした。