複雑・ファジー小説

Re: アビスの流れ星 ( No.64 )
日時: 2013/02/13 23:01
名前: 緑川遺 ◆vcRbhehpKE (ID: u83gKCXU)




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 次に意識を取り戻すと、アビスが私の顔を覗き込んでいた。どうやら私は彼或いは彼女に膝枕されているらしい。アビスは目を細めて柔らかく微笑んだ。
 どうやら、今まで気を失っていたようだ。

「アビス、私はどのくらいの間気を失っていたの?」
「そんなに長くはないよ」

 アビスは穏やかな声で答えた。どういうわけだか、とても落ち着く声だった。

「アビス」

 彼、或いは彼女の名前を呼ぶ。私の声も、自分でも驚くほど落ち着いた声だった。
 彼、或いは彼女が私の生みの親だからだろうか。

「なぁに?」
「アビスは、これから何をするの?」
「地球を食べる」
「……地球を、食べる……」

 ゆっくりと反芻して口に出す。ニュアンスは伝わった。彼或いは彼女にとって、惑星は食べ物であり、エネルギー源なのだ。

「ニンゲンのみんなが、ずっとレイダー……僕の分身を殺し続けたお陰で食べるのに手間取っちゃって」

 そっと、アビスは私の頬に優しく手を添えた。

「そろそろ何か食べないと、本当にもう、死んじゃいそう」

 アビスは焦っているらしかった。彼は、多くの星を食べて宇宙を放浪してきた。だけどこのままでは彼は、他の惑星に飛び移ることも出来ないのだそうだ。
 だから、食べようとしている。彼或いは彼女の話では、今外では、見る見るうちにアビスの黒い星が広がって空を覆っていっているらしい。黒い雲が完璧に地球を覆ったとき、地球はアビスに取り込まれてしまうのだそうだ。
 当然、みんな死ぬ。死んでアビスの一部になる。

「大丈夫、フミヤは生かしておいてあげる。ずっと一緒だよ」
「……アビス」
「なぁに、フミヤ?」



 アビスを押し倒して、その細い首を思い切り絞める。



 だけどアビスは涼しい顔をして、だけど無表情で、静かに私に問いかけた。

「……フミヤ、何のつもり?」
「ごめんねアビス、私、今から裏切る」

 ぽん、とアビスが軽く床をはたいた。嫌な予感がしたので考えるより先に全力で飛び退く。案の定、先程まで私が居た場所貫くように白い槍が床から生えた。
 アビスはゆっくり立ち上がった。それから真っ黒な瞳で私を見据える。彼或いは彼女はそのまま私から目を逸らさずに指を鳴らした。
 鉄が鉄を打つような音が幾つも重なって響くと同時に、周りの景色が一変した。白い槍が縦横無尽に足元も、壁も上の方も走り回って辺りを覆って、アビスが立っていた場所が大きく隆起する。
 アビスは静かに私を見下ろして、私もまたその視線に応じる。

「アビス、私は君を殺すよ」

 軽く念じると私の右腕は、銀色の刃が生えた、化け物の腕に変わった。
 確かに私は、レイダー……化け物で、悪魔なのだろう。私のせいでたくさんのヒトが死んでしまったのも事実なのだろう。私は沢山の不幸を振り撒いてきたのだろう。
 だけど。

「地球を守りたいの?」

 眉一つ動かさずに繰り出されたアビスの問いに、私は黙って頷いた。

「どうして? フミヤはレイダーなのに。何でニンゲンの味方をするの?」
「違うっ!」

 アビスは、目を丸くした。
 確かに私はアイツから生まれたレイダーだ。化け物だ。
 でも。
 アイカワさん達と過ごしたあの日の私は。シドウさんとスギサキと空を眺めたあの日の私は。
 シドウさんとスギサキのじゃれ合いを苦笑いしながら見守っていたあの日の私は。一緒にご飯を食べて、シドウさんの食べる量に呆然としていた私は。スギサキと一緒にシドウさんにイタズラしてやろうと企んでいたあの日の私は。実行直前にバレて結局スギサキと一緒にこってりしぼられたあの日の私は。シドウさんのハードすぎるトレーニングに音を上げていたあの日の私は。三人で空を見上げて、ずっと一緒に居られますようにと流れ星に祈ったあの日の私は。数え切れない、沢山の思い出の数々を日記に記した私は。あの二人を、あの居場所をこんなにも愛おしく思っている私は。あの二人から、たくさんの大切なものを貰った私は。
 沢山の思い出をくれたあの場所を守りたいと思っている私は、誰に何と呼ばれたって!



「——私は『人間』だ! フミヤっていう、一人の人間なんだ!」



 白い槍が埋め尽くす空間の中で、私は叩きつけるように思いを吐き出した。
 アビスは、笑いも驚きもしなかった。ただ私の叫びを静かに聞いた。少し寂しそうな表情を浮かべて。ただ一言。

「そう」

 白い槍の海が蠢く。

「——でも、僕も死にたくないから」

 それから、足元が爆発した。
 正確には違う。大量の槍が足元から飛び出したのだ。幸い、咄嗟に飛び退いて直撃は免れた。しかし衝撃で吹っ飛ぶ。宙に浮いた私の体を、もう一本の槍が勢い良くしなって鞭のように叩く。壁まで吹っ飛ばされて叩きつけられる。
 呼吸が、一瞬止まった。内臓が喉元までせりあがってきたような感覚。
 見開かれた視界に、槍が鋭く迫る。私を仕留めようと。
 おそらく槍が私を貫くのは一瞬。
 身体は動かない。
 しまった、と思ったとき。



 視界の端の壁が砕けて穴が空く。横合いから、回転を加えた漆黒と真紅の何かが飛び出して槍の束を弾いた。



 真紅の何かは頭髪。漆黒の何かはコート。そして、大きな翼が生えている。
 その顔は見覚えがある。その顔を見ただけで、胸の奥に熱いものが走った。

「おや、足場があるのか。これは好都合だ」

 シドウさんは、にやりと口の端を歪めて言った。