複雑・ファジー小説
- Re: アビスの流れ星 ( No.66 )
- 日時: 2013/02/24 13:46
- 名前: 緑川遺 ◆vcRbhehpKE (ID: x6P.sSUj)
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目を疑った。
攻撃を受けたわけでもなく、手入れを怠っていたなど、この私に限ってありえない。どこかに不備があった覚えも無い。
それでも、私の装備はアビスの簡単な挙動ひとつだけで粉砕された。
アビスは口の両端を吊り上げて、嗤った。瞳は吸い込まれそうなほどに深い闇を湛えていた。
突き刺さるほどの悪寒を全身に浴びた。
「フミヤ、避けろ!」
私の声に、フミヤは咄嗟に反応したようであった。私自身も全力でその場から飛び退く。
一瞬前まで自らが立ち尽くしていた場所に、白い槍の雨が殺到する。
右脚に激痛が走った。
避け切れなかった。右脚の裾が避け、肉が深く抉られる。激痛に、思わず少し表情が歪む。
「シドウさんッ!」
「私は良い! 敵から目を逸らすな!」
フミヤの声に応える。
「大丈夫、フミヤを殺すつもりは無いよ」
アビスの声が聞こえた。
「尤も、シドウ。君はあまりに危険だから、死んで貰うけど」
そう言い放って、白い少年は両手を広げた。
凄まじい音が連続して響いて、辺りを埋め尽くす。しかしその音が止んで、辺りが冷え切ったような静けさに包まれるまでは数十秒もかからなかった。
その静寂は、仲間も死に、レイダーも殺し終えた後にやってくるそれに似ていた。
私は、無数の槍に四方八方を囲まれていた。数え切れないほどの穂先が、すべて私に向いている。
避ける事の出来るビジョンが浮かばない。
私はこのとき、きっと『死』というものを漠然と理解した。
フミヤが私の名を呼んだ。絶叫じみたその声が、やけに耳に焼きつく。
アビスが手を振り下ろすと、全ての槍は私に向かって延びた。
目で追うのがやっとなほどの高速であるはずなのに、目に映る光景の隅から隅までがスローモーションに見えた。
数多の鉄骨が重なって落ちるような音と共に、私の感覚は消えていた。
ゆっくりと目を開くと、私はまだ、幾本もの白い槍が辺りを覆う空間に居た。どうやらその中でも、槍の影になっている一角に居るらしい。
どういうコトだ、確かに逃げ場は無かったはず。
「無事みたいですね、よかった……」
掠れた、弱々しい声が聞こえた。声が聞こえたほうに振り向いて、私は心臓を掴まれたような思いを味わった。言葉が出なかった。
横たわるフミヤに、幾本もの槍が突き刺さり、貫通していた。
彼女の口からも、傷口からも、赤い血液が溢れ、流れ出していた。
「……やっぱり、私は人間だ。だって同じですもん、私の血の色も、大佐の血の色も……」
ちょっと嬉しいな、と言って彼女ははにかんだ。
それから一つ咳き込んで、血の塊を吐き出した。
「フミヤ……ッ!」
彼女に駆け寄って、抱きかかえた。
幾ら彼女の身体が頑丈といえど、重傷であるのは明白だった。
「クソッ……待ってろ、何とかすぐに帰還する手段を講ずる」
「……ダメです」
浅い呼吸で、彼女は声を振り絞る。
「大佐なら……解るでしょ? それまで、私の身体は保たない……」
それに、アビスがみすみす逃がすとも思えない、と付け加えた。
「だが、このままでは……!」
「一つだけ、地球も……貴方も、助かる方法が……アビスを倒せるかもしれない方法があります」
彼女は、苦痛に顔をゆがめながらも、なんとか微笑もうとした。逆に、見ていて痛ましかった。
「私は、化けることに特化したレイダーです。だからずっと、ライブラの面々を欺いて人間でいることが出来ました……」
だから、と一息置いて。
「 」
それは、私ですら考えもしなかった、最悪の決断だった。
「……バカか! そんなこと、出来るわけないだろ!」
「私は、っゲホ……」
フミヤは咳き込みながらも、なんとか言葉を絞り出そうとする。その瞳はあまりに真剣で、思わず口を挟むのを躊躇った。
彼女は、ただ語った。
この世界で生きることの苦痛を。仲間達と何度も死に別れた悪夢の日々を。呵責に囚われ続けた牢獄のような毎日を。
その中で、私たちと出会い、そして過ごした日々を。
彼女は途切れ途切れになりながらも語る。それがどれだけ満たされた日々だったか。どれだけ救われたか。どれだけ愛しい時間だったか。
「……私は、充分救われましたから」
彼女の目は、どこかずっと遠くを見据えていた。
そして、その瞳を私に向けた。どこまでも透き通った青空のように、綺麗な、蒼い瞳だった。なんと言う皮肉か、黒目の深い闇は、まるで青空に浮かぶアビスの黒い星に見えた。
「大佐、大好きです。愛しています。だから、貴方が生きるこの世界を、今度は私に救わせてください」
気付けば私の頬を、一筋の雫が伝っていた。
「……やっと、泣かせることが出来た……」
「……五月蝿い」
フミヤは目を細めて、また微笑んだ。
胸が擦り切れて千切れそうなほど、愛しい笑みだった。