複雑・ファジー小説

Re: アビスの流れ星 ( No.70 )
日時: 2013/03/08 20:58
名前: 緑川遺 ◆vcRbhehpKE (ID: x6P.sSUj)




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 全世界を震撼させた『ブラック・クリスマス』は、正午を前に収束を迎えた。
 単身アビス本体に乗り込んだ、旧日本支部のシドウ准将——同件の功績により昇進したため、当時は大佐——の活躍によるものであるという話であったが、本人の意向により、その事実は一般には公開されず『ライブラ』内の機密事項となっている。
 同第一部隊のスギサキ少佐は、一連の件で責を問われ、自らライブラを後にした。そのため、以後の消息は一切不明である。
 そして同第一部隊に所属『していた』フミヤ少尉は、アビス内でシドウ准将の手により葬られたとのことであった。その証言には曖昧な点が多いものの、確かめようにも既に一切の証拠は消え去っている。
 そもそも、バハムートの翼で構成された装備を失った彼が、どうやって無事に地上まで帰還したのかも、本人でさえ判らないというのだ。
 ブラック・クリスマスの終わりと同時に、旧日本地域上空に浮かんでいたアビスは跡形も無く消失した。
 レイダーも、まだある程度の数が地上に残り活動しているものの、増えることはなくなった。
 地上各地のライブラ隊員の手により、着々とその数を減らしつつある。
 レイダーの掃討により一般市民の居住区も広がり始め、実に半世紀ぶりの平和が、その姿を垣間見せていた。
 しかし、同時にひとつ奇妙な現象も観測された、という報告が各地の隊員から寄せられている。
 桜だ。
 レイダーの襲来によって荒廃した世界で、桜の樹など殆ど残っていなかった。だが、世界各地の、一定の緯度の地域で、たびたび桜の木が目撃されるというのだ。
 研究者達は誰もがこの、謎の桜の木に釘付けであるという。アビスが消失したことに由来するものだとか、新たな侵略者であるだとか、様々な憶測が飛び交っているが、詳しいことはいまだ判っていない。
 確かにいえることは、一つ目は、この桜の木自体には何ら害はないということ。
 もうひとつは、三月上旬にでも、各地で満開の桜の花が見れるのではないかということであった。



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 剣を鞘に収めた。
 目の前では、私より二倍ほど高い体躯のレイダーが音を立てて崩れ落ちてゆく。
 准将と言う地位に就き、レイダーの活動も比較的収まりはしたものの、私は未だに最前線でレイダーの掃討に加わり続けていた。
 誰かに命令されたわけではなく、自ら志願してそうしているのであった。

 あの後、次に気が付いたとき、私は空を見上げて瓦礫の上に呆然と立っていた。
 驚くべきなのは、私の身体が全くの無傷であったことだ。アビスの攻撃によって受けた傷さえもが、綺麗さっぱりに消えていた。何より、私は確かに地上へ落下していったはずなのに。その後、考察に考察を重ねるも、結局答えは出なかった。

 今、第一部隊のメンバーは、私一人だけである。
 これも、私が自らそう頼んだのだ。力量で言ってもそれで充分だったので、あっさりとまかり通った。
 ただ、どうしてわざわざそんなことをしたのかは、私自身にも判らない。
 或いは、まだ私はあの二人が帰ってくることを期待しているのだろうか。
 我ながら、未練がましいと思う。
 自嘲気味に、ひとつ笑った。
 空を見上げる。あの日と同じ、真っ青な空だった。その空には、もう、アビスの黒い星は無い。


 どこから流れてきたのか、桜の花が風に舞っている。
 その中で私は、しばらく呆然と立ち尽くし、彼女が消えていったあの大空を見上げていた。