複雑・ファジー小説
- Re: アビスの流れ星 ( No.9 )
- 日時: 2012/11/24 05:23
- 名前: 黒田奏 ◆vcRbhehpKE (ID: SLKx/CAW)
時間が凍りついた。
私たちの誰もが動きを止める中で、首から上を失ったミズハラさんが倒れる。コップが横倒しになる様を連想した。彼の体は地面に伏すと、断面から赤いものを噴き出した。
倒れたミズハラさんの体は微動だにしない。悲鳴ひとつあげることなく、彼は屍と化した。あれはもう死んでいる。
「——総員、戦闘態勢をとれッ!!」
隊長の声を受けて我に返る。途端に意識へ飛び込んできたのは、目の前の大きな化け物。レイダー。
先ほど確かに私が殺したはずの、しかし現に、引き裂かれた頭部から灰色の体液を流しながらも四足で立っている怪物。
「なん……で、立ってるの……?」
私の問いかけは、異形の生物には届かないらしい。
私は腰に差していた二本のサーベルを再び掴んで構える。他の皆はすでに戦闘態勢に入っているようだった。
固唾を飲んで、怪物の次の動作を待つ。まだだいぶ混乱している。まずは落ち着かなきゃ。
レイダーは前足でミズハラさんの頭を飛ばしたきり、隙間風がもれるような呼吸音と灰色の体液が落ちる音を鳴らすばかりで、立ったまま動かない。しかし少なくとも、瀕死ではないように思えた。
レイダーの首がゆっくりと動き始める。思わず全身の筋肉を張り詰めて身構えする。
だが、そいつは私ではなく足元のミズハラさんの死体に首をもたげた。それから触手の奥にあった、恐ろしい牙が並んだ口をがぱと開いて、ミズハラさんの死体を食べ始めた。
水っぽい、濡れた音が静かに響く。さっきまでミズハラさんだったものが、目の前でどんどん形を崩していった。腕の部分を引き裂かれてから、お腹を食い破られて、吐寫物のように色黒い内臓が零れ出た。
見ていて、形容しがたい妙な気分を味わった。
「アルベルト、撃て!!」
同時に撃鉄を引く音と爆音。それから多少の、肉らしきものが爆ぜて飛び散る音。
化け物の大きな頭部が狙い撃たれ、開いた傷口が更にぐずぐずになった。
レイダーは衝撃を受けて少しよろめいたものの、倒れずにすぐアルベルトさんの方へと向き直った。
「……どうしてこうなった」
アルベルトさんは次の弾を装填しながらレイダーを見据える。
「頭部をいくら攻撃しても意味ないのか? アルベルト、次は奴の脚を狙え。動きを封じてから全身をずたずたに切り裂く」
「素材はいいのか?」
「この際そうも言ってられない。こいつはちょっと、異常だ」
「おけぇ」
アルベルトさんが返事しながら、もう一発銃声。
ライフルから放たれた弾丸は狂い無く、レイダーの前脚を的確に貫いた。
これは効いたらしい、レイダーは聞くに堪えない絶叫をあげて巨体を仰け反らせた。
それからもう一度、大きな前脚で地面をつく。その拍子にミズハラさんだった肉の塊は、完全に潰された。
「まだ俺のターンは終了してない、ぜ……」
アルベルトさんが言うと同時、彼の上半身と下半身が分断された。
下半身が倒れるよりも、上半身が無造作に転がるほうが早かった。大きなライフルが彼の手から離れて、重い金属音を立てて落ちた。
「アルベルトッ!!」
彼の死体をゆっくり眺めるより先に、レイダーがもう一体居たという事実に気づく。
彼が立っていた場所のすぐ後ろに、二本足で立つ化け物の姿があった。化け物は灰色で、両腕が鋭い鉤爪になっている。顔は無く、代わりに頭部を水晶体のようなものが覆っていた。
「糞が……嘘だろ、もう一体!? 反応は無かったはずだ!」
隊長がうろたえた様子など初めて目にした。
鉤爪を血で濡らしたレイダーは、腕を振って血を払い落とす。そして、その姿は文字通り空気に溶けるように消えた。おおよそ見たことのない現象だった。
理屈はわからないけど、どうやら奴は姿も反応も消せるということらしい。
「……撤退だ! 退いて態勢を立て直す——」
「——隊長、危ないッ!!」
隊長が撤退の指示を下すより早く、マツヤマさんの絶叫がとんだ。
先ほどの姿を消せるレイダーに気を取られた隙に、四足歩行のレイダーが彼との距離を詰め、大きな口を開いていたところだった。
飛び込んだマツヤマさんが隊長の体を弾き飛ばして、隊長は間一髪のところでレイダーの牙から逃れ、地面に転がる。
だけど。
「マツヤマぁっ!!」
マツヤマさんの体は、下半身と左腕をレイダーの牙に囚われた。牙の一本が腹部を貫通しており、だらんと下がった左腕は肘から先が失せていた。下半身が口の中でどうなっているかは想像もつかない。
彼女は口から血を吐いて、しばらくは愕然と目を見開いて隊長の顔を見ていたが、それからゆっくりと微笑んで口を開く。
「隊長、私、貴方のことが……」
言葉が最後まで紡がれる前に、レイダーが彼女の身体を噛み砕いた。牙から外に出ていた彼女の胸から上が、滴る血液と一緒に地面に転がる。
隊長は何も言わなかった。言えなかった。ただ尻餅をついて、呆然とマツヤマさんを噛み砕いたレイダーを見ていた。
そんな隊長を両断するのは、先ほど姿を消した、鉤爪を持つレイダーにとって容易いことだった。——
——次に気付いたころ、私は空を見上げていた。
綿を裂いたような雲が浮かんでいるオレンジ色の空の真ん中に、大きな黒い星がぽっかりと口を開けている。
私の周りには、今日まで仲間だったものの骸が無残に転がっている。
私たちは『ライブラ』。『アビス』の出現と共に現れた、『レイダー』という化け物を倒すのが仕事。
そして、これが私の日常である。