複雑・ファジー小説
- Re: 絵師とワールシュタット ( No.24 )
- 日時: 2014/03/01 22:06
- 名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: KE0ZVzN7)
「ははあ、」
それでも絵師は優しく笑う。
巻き上げた砂埃に、少しだけ目を細める。
「大正解だ。エルネ。でもね、」
絵師は意識の遠くなっていくエルネの黄土色の瞳を覗き込む。それからもっとかがんで、耳もとで優しく話しかける。
「—— 私たち砂漠の悪魔は、人を喰う。そして、人の目にはその人の最愛の者の姿として映る。あのエジプト人の話を聞いただろう。彼だって、あの時最愛の女の姿を私の中に見た。……綺麗な女だったな」
くすくすと、絵師が悪戯めいて笑う。それはまるで幼い子供のようでもあり、若い女のようでもあった。
「ああ、でも嬉しいなエルネ。嬉しくって、笑ってしまうよ全く。お前は私の本当の姿を見てくれた。たった一度だけ、あの食堂で出会っただけなのに。あんたはずっと私のことを覚えていてくれたんだね」
「……だから、もうすぐお前が死んでしまうのはとても惜しい。たった一度でも、私を愛してくれた奴はお前だけだ」
エルネは、もう、言葉が分からなかった。
脇腹から溢れ出る血潮と一緒に、二十年間守ってきた命も少しずつ流れ出てゆく。見ていたコバルト色の空が真っ白になって、そして視界が完全に死んだ。
絵師は、黄土色の砂地に滲むエルネの赤潮のなかに、その白い指先をうっとりと浸した。ルビーよりも鮮やかな色が、太陽の光を浴びてキラキラと踊る。
「ああ、エルネ。私の愛しいエルネ」
その唇に、深紅の液体がつうっと伝う。
ほくそ笑んだ顔は、どんな女よりも、どんな男よりも、ずっと綺麗だった。きらりと光る翡翠の目の色は、どんな宝石よりも美しい。
「 あなたがすきよ 」
絵師が、そばに置いてあった鞄をそっとあける。
どうしてか、とても幸せな夢を見るような、そんな優しい表情のままで。
大きな鞄の中は漆黒。どんな闇よりも濃い黒がひっそりと広がっている。そしてそこから、多数の黒い腕が、何本も、何本も、うねうねと這い出してきた。その一つが、絵師の長いマントを掴むと、とたんに数十本もの黒い腕が次から次へと絵師の姿を飲み込んで—— 鞄の中に引きずり込んでいった。
最期にみたのは青。
青い、あおい砂漠のそら。
ああ、この色を、わたしは、何百年と見飽きたことだろう。
それから。
絵師が飲み込まれた後には、砂嵐が何事も無かったかのように吹き荒れた。
あとには、ただただ荒涼とした砂漠が広がっているだけだ。
青い空の色は、昔からずっと変わらないままで。