複雑・ファジー小説

Re: 絵師とワールシュタット ( No.7 )
日時: 2013/06/09 23:18
名前: ryuka ◆wtjNtxaTX2 (ID: P4ybYhOB)

 ……今でもその時を思い出すとぞっとするんだ。

 はじめにお父様、次にお兄様、と次々に毒酒を飲み、苦しそうに血を吐いた後、みんな虚ろな目をしてぐったりとするんだ。僕だけはそれを尻目に、毒杯を床に叩きつけて、着実に生き延びる打算と準備を始めていたというのに。

 王室を出るとき、床に倒れたお母様が、まだ生きていた。そしてそっと僕を見上げると、血で真っ赤になった唇を微かに動かして言うんだ。『みすぼらしいわね、裏切り者。』ってさ。

 実は僕はお母様の子じゃないんだ。十年前に死んだ、第二貴婦人の子なのさ。しかも第二貴婦人は庶民の出だ。あまりにも美人だったから、お父様が勝手に大叔父の養子にさせて、貴族に仕立てあげてしまったらしい。

 ……まぁそれで、お母様はあまり僕を良く思っていなかった。なにせ自分の子じゃないし、それに僕は半分しか貴族の血が流れていないのだからね。嫌われるのも当然だ。

 僕は悪魔だった。
 その時、その一瞬だけ、ひどく冷たい感情が僕を支配したんだ。ひどいことに、僕は半死のお母様を蹴り上げた。これでもか、ってほどに何回も何回も蹴りつけた。そうして言ってやったのさ、『おまえの方がみすぼらしいぞ』ってね。

 ああ、君が僕を軽蔑するのも仕方がないと思う。でもね、聞いて、
 僕はきっと本当に生まれながらの悪魔なんだ。蹴って、罵って、痛めつけて、それで僕は最高に楽しかったし愉快だったんだから。

 生まれて初めて振るってしまった暴力に、快感しか感じなかったのだから。


 
 「……ははぁ」
 赤々とした炎に、バラージュが小枝を投げ込みながら言った。
 「皇子の御乱心だな。話はもういい、十分楽しませてもらった。どうせ今んとこが一番話の盛りなんだろ」

 「ばれちゃった?うん、まぁそうだね。それに僕ももう眠いや」
 
 「俺もだ。眠い」
 バラージュがその大きな体を地面に預けた。
 「そうだ、寝る前に提案がある。あんた俺と一緒に来ねぇか?とりあえず命の保証も衣食住の保証もないけどよ、一人よりはマシだろう」


 「……どこへ」
 揺らぐ眠気の中で、自分の声がやけに小さく聞こえた。

 「この砂漠のずっと向こうにさ、」
 低いバラージュの声は、やけに不思議じみて聞こえた。まだ自分が起きているのか、もう夢を見ているのか、いまいち曖昧だ。
 「—— 国があるらしい。背の高い、黒髪の民族が治めている国だ。そこは誰でも受け入れてくれる国なんだ。漂流した奴も、追われた奴も、行方が知れない奴も、みーんなそこで暮らしてるって話だ」
 穏やかな声がゆっくりと続いた。「そう、きっと居なくなった奴はみーんなそこにいるんだよ」

 「黒髪……」エルネは夢うつつに呟いた。「僕、知ってる。たぶんその国の人」


 「ほんとか!?」
 バラージュが勢いよく身を起こした。「知ってるのか、連絡はつくのか。ああ、やっぱり夢の国は本当にあったんだ!!教えてくれエルネ、その人は今どこにいるんだ!俺も連れて行ってくれ!!」


 しばらく間があった。
 星が、夜空に瞬いていた。

 そしてエルネが話し出すのを、バラージュは息を飲んで待っていた。




 「絵師だ、」

 エルネはもう眠くって眠くって仕方無かった。
 疲れ切ったまぶたの裏では、あの不思議な絵師の、白い横顔が浮かんでいた。



 「たぶん女。綺麗なひとだった」