複雑・ファジー小説

Re: この話、内密につき ( No.4 )
日時: 2013/01/03 12:34
名前: 卵白 (ID: UVjUraNP)

 私は、大得意な国語を先に終らせてしまった事をひどく後悔しながら英語の宿題に取り掛かっていた。こういうとき、好きなものを先に食べてしまう性格というのは損をするんだろうとしみじみと感じる。
 国語なら作者の意図なんて出題者のこじつけなんだから問題文の端からそれを読み取ればいいし、社会は歴史は大好きだし地理は得意だから難なくこなせる。数学は苦手だけどきちんと式がどうやって成り立っているのかを理解して計算ミスをなくせばいい。理科は……苦手、だけど、幸いノートを真面目にとっていたおかげでなんとかこなせた。
 つまり、好物から順番に食べていった結果がこれだ。日本で暮らす分には英語なんて必要無いだろ。単語なんてわっかんねぇよ不規則動詞なんて知るかクソッタレ。
 ぶつぶつと呟きながら勉強していたら、姉が冷たい眼で私のことを見ながら「キモイよ?」と辛辣な一言を投げかけてきた。「うるせぇバカ姉貴」そう返してお互いに中指を立てあうのが私達の間での日常会話になってきている。
 姉の凍葉こごはは頭が良く、私と同じで英語の成績は悪いけどそれ以外の実技、筆記科目は、姉が高校生の頃に見た通知表の記憶なので定かではないが、五段階評価で4と5しか見かけなかった。しかも、美術は必ず5と来たもんだ。そのうえ水泳が得意で、高二の夏なんて水泳部を抑えてクラス一位だった。なのに水泳部にも美術部にも入らず文芸部に所属していたなんて……癪だ。しかも才能もあって校内ではちょっとした顔だった。
 私だって文芸部がよかったし、中学に入るまで文芸部に入るつもりだったのだけれど、文芸部なんてクソオタクの集まりだろ? お前もオタクなの?と周りに言われて、仲間はずれに為るのが嫌だった私はバドミントン部に入部した。
 つまり、英語の宿題が溜まっている事の言い訳はさっき言った事柄……簡単に纏めると、英語嫌い、バカ凍葉ウザイ、部活の練習キツい。この三つである。
 それに凍葉がパソコン弄っていると良くわからない単語を呟き身振り手振りをつけて踊りだすし叫びだすから、宿題に集中できない。
 この前なんてしゃばどぅび? なんたらとか発狂して、その後にヒーヒー笑い出した。親に話したら困った顔をしてから、私に勉強をリビングでする様に言った。
 ……気に食わない。私が必死に宿題を片付けてるのに、姉は自由にパソコンを、快適な子供部屋で出来るなんて。まぁ、英語だけ夏休み最終日にためておいた私も悪いけど、それでもどうしても気に食わないのだ。
 まぁ、そんな感じで普段は顔を合わせると悪口の応酬をして、滅多に話しかけてこない姉が、今日はやけに興奮した調子で話しかけてきた。

「ねぇ! ねぇもえ!」
「何?」
「もー、冷たいなぁ! ね、ね、時間あるならさ、ちょっと買い物付き合って!」
「ハァ!? 荷物持ちにする気!?」
「そうともいう! だってアンタ運動部っしょー? それに、重いものでなければ自分で持つし!」
「あのさぁ……」

 凍葉はいっつもそうだ。こうやって無駄に優しく話しかけてくるときは何かしらの陰謀がある。私は知らないうちに丸め込まれてつき合わされているのだ。だけど、今回はそうさせてたまるか!

「嫌だ、宿題が終わんない」
「後で手伝ってあげるし! ご隠居の代わりのノーパソ、欲しいでしょ? でもお金たまってるのに電気店遠いし車じゃないといけないんだよね?」
「……だから?」
「車出してあげて電気店に一緒に買いに行ってあげる! だから買い物付き合って!」
「乗った」

 今此処に、協定が誕生した。
 姉の買い物に付き合うだけでご隠居の代わりのノーパソと正答率100%の家庭教師を得られるなんて美味しい話だ、うん。……姉が何を買うのかなんて考えてはいけない。考えたら私は、きっと腐海に沈む。比喩ではなく、割と本気で。
 ……また本棚に濃い肌色の表紙がどんどん増えていくのかと思うと目頭を押さえたくなってきた。

「よーし。あぁ、本当に免許取っておいてよかった……それに、持つべきものは理解ある妹ね」

 私はその時は笑って誤魔化したけれど、姉の趣味を理解する気なんて毛頭ない! 今度コスプレしようね、とかいう恐ろしい声が聞こえたような気がしたけれど私は何も聞こえない、聞いていない。

「じゃ、着替えとメイクしてくる。もえも支度してきな。貯めたお小遣いも持っておいで、私はノーパソにお金出さないよ」
「わかってる」

 ぶっきらぼうに返すと、可愛くないと膨れっ面で文句を言われた。私みたいなチビデブスが可愛い仕草なんて気持ち悪いだろうに、姉は私に何を見ているのだろうか。
 早足で子供部屋へと戻る姉に、私も支度をするために、着替えが電子ピアノの上に乱雑に積み上げられているであろう(別に着た物を積み重ねている訳ではなく、服を仕舞うスペースがなくて、丁度いいからと言って親が壊れたピアノを唯の台扱いしているから)リビングに足を進めた。

 ——この時私は、買い物に行かなきゃよかったなんて後悔する事になるなんて微塵も思ってなかった。


@@@@


相変わらず、姉はよくわからない。
 え、そこ大丈夫なの? 法律的に怪しい商売とかしてる店とかじゃないよね? マジで大丈夫なの? と、姉のハチャメチャに昔から付き合わされてたいていのコトとはスルーするようになっているこの私が二度見する程にボロい店に入ったと思いきやほくほく顔で出てきて。
 すぐにそこそこ派手なアパレルショップに入っていって、やっぱあんなのでも女子なんだな、と思った次には電器屋に入って某機動戦士に見とれてたりする。
 お前は小学生男子かよ。なんて思っていたら、姉が私の方を見て手招きをしてきた。一体何だって言うんだ。
 のったり歩み寄ると、姉はにやにやしながらいきなり私の手を引っ張ってきた。驚いて抵抗するどころじゃない私は「あ」とか「え」とか意味を持たない言葉を漏らすだけで。こういう時、引きこもり気質だと苦労する。
そうこうするうちにあっという間に売り場に連れて行かれた。……何って、パソコンの売り場に。

「ほら、ご隠居……だっけ? の、代わり探すんでしょ?」
「ん。ありがと、姉貴」
「アンタが素直に礼言うなんて気持ち悪ッ! いいからさっさと行ってきなさいよ」
「……はいはい」

 全く、一言多い姉だ。相棒に話したらツンデレだろう! とか叫んだ挙句萌え要素だよねぇ、とか言い出した。
 だけどあのガサツな姉の何処に萌えるというのだろうか、思長いこと付き合ってはいるが、いまだにアイツの考回路がどうなってるのかわからない。まぁ、男子だしわからないのは当然だろう。
 とりあえず、あちこち見て回る。
 ……全く分からん。どれがいいものでどれが安いものかなんて判断がつかない。いや、安いものは値札があるからわかるけれど。そういうことではなくて。
 もし性能のいいものを安売りしているんだったらそれを買いたいし、もし安いとしても本来ボロなものを値段を釣り上げているんだったらそれは買いたくない。
やっぱり姉に来てもらったほうがよかったかな、なんて思って視線を遠くにやったら、ふと一台のノートパソコンに目が留まった。なぜかわからないけど、魅かれる。
 足早にそのパソコンへ近寄り、値札を確認する……安い。これなら今までためてきた私の小遣いでも買える。

「ん? 決まったの?」

 まさかこんな早く決まるなんて思ってなかったんだろう。驚いたようにこっちをみてくる姉に無言で頷いてから、そのまま付き添ってもらって、会計をした。

Re: この話、内密につき ( No.5 )
日時: 2013/01/24 09:04
名前: 卵白 (ID: /LylQYeE)

 早速家に帰って、パソコンの入ったダンボールを開けようとしたけれど背後から姉に「宿題まだ残ってるんじゃなかったっけ?」と呆れたように声をかけられた所為で現実に戻ってしまった。俺の背後に立つんじゃねぇ……と某スナイパーみたいなセリフが頭をよぎる。
 いや、戻らなきゃいけないんだけど。後で困るんだけど。感謝しなきゃいけないのだけど。とりあえず心の中でクソッタレと罵っておくことにした。
 とりあえずパソコンは涙を呑んで安全そうなリビングに放置し、子供部屋兼勉強部屋に駆け込む。……おっぴろげたまんまに放置しっぱなしだった英語の宿題を見るだけで頭が痛くなってきた。これは絶対に末期だ。
 後からついてきた姉が眉を顰めて私の机の上の埃を払いだす。私の机は無駄に広いため、私が普段勉強のときに使う一部分しか埃が払われていない。つまり、姉の座る部分は埃まみれだったわけだ。
 私だって掃除しなければと思っているのだけれど、面倒だからいつも後回しにしてきてこの有様。いつか虫がわくんじゃないかと心配している。いや、もうわいているのかもしれない!
 姉がフカフカ低反発座布団が敷いてあった私専用イスを奪い取って座ったので、仕方なく傍に立てかけてあったパイプ椅子に座る。直に伝わる、冷房によって冷えた金属の冷たさに少し鳥肌が立った。
 ちらりと姉を伺うように見ると、行ってしまった手前仕方なく付き合ってやる、といった顔だった。目が合ったついでに、目線で早くしろといわんばかりに睨まれた。
 大げさに肩を竦めてシャーペンを持ち、ラスボス、ニュークラ○ンのイングリッシュ・ワークに立ち向かうべく、気合を溜める。気分は勇者……なんて気取ってみるが、憂鬱なのは変わらない。
 姉がくるり、と指先で赤ボールペンをペン回しするのを横目に見ながら、私は流暢に英語を話すタナカクミやカトウケンを睨みつけ、問題の読解を開始した。


@@@@


「何だよワケわかんねーよイングッシュなんていらねーんだよイエスとノーとアイキャンノットスピークイングリッシュで世の中渡れんだろコノヤロォォオオオオ!!」
「っるせえ付き合ってやってんだからさっさと宿題済ませろや馬鹿ァァアア!」
「理不尽ッ!?」

 英語に対する理不尽な怒りをぶちまけたら姉による理不尽な暴力が私を襲った。相変わらずキレると口が悪い。大人しく元ヤンだという事を認めればいいのにこの姉は……。
 ちらりとページ数を見れば残り二ページちょいだった。そのちょい、を終わらせる。後一ページ……後半分……よし、これで終わる!
 歓喜に打ち震えながら、最後の問題に目をやると、私にとっては衝撃的な一文が飛び込んできて思わず停止してしまった。

「何……だと……」
「え、なになに?」

 不審に思って覗き込んできた姉も、私の事情を知っている為か眉を顰める。
 問題は、『あなたの将来の夢を教えてください』と英文で訪ねて来ていて、それに英語で答えよ、というものだった。
 将来の夢。将来の夢は、小説家になること……とか、一瞬手が迷った。学校では仲間はずれにされたくないから、まだ決まってないよ、とか言っている。嘘を書けばいい話なんだろうけど、その瞬間に夢が潰えそうで怖かった。
 ふっと横を向くと、姉が、珍しく真剣な目でこっちを見ていた。

「どうするの」
「私は……」

 ぐっと唇を噛む。ここで書かなきゃ女が廃るってモンよ! どうせ、誰にも見られないんだから、叶わなくったって、夢を書いたっていいじゃないか。

「My future dream is a novelist!」
「これで終わり、ね」
「わっ」

 声に出しながら英文を書きなぐったところで、姉貴に、頭を撫でられた。っていうか、髪の毛をかき混ぜられた。あーもう。こんなふうに笑ってれば美人なのにもったいないなぁ。なんで姉はこんな美人なのに、私はチビデブスなんだろう。恨むぞお母さん。
 だが、そんな綺麗な姉の笑顔も一瞬で消え失せて、普段の真顔で姉は悪魔の言葉を吐いた。

「じゃ、また出かけるから。お母さんとお父さんもいなくなるけど、夕飯は自分でカップラーメンでも食べててね」
「……………え、冗談でしょ?」

 私の言葉を完全スルーして、じゃあ! と、爽やかな笑顔で退出していった姉の背中を呆然と見送るしかなかった。
 そして、薄っぺらい部屋の扉を通して、姉の携帯の着信音が鳴り響くのが聞こえる。
 いつもよりも一オクターブくらい高い上ずった声で、姉は乙女のように(いや、性別は女だし間違ってはいないんだけど、だけど……!)キャッキャウフフな、それこそ口にするのも憚られるようなバカな会話を繰り広げ始めた。
 それが段々遠ざかって、姉の声が完全に聞こえなくなったところで、私は怨嗟の叫び声をあげる。

「リア充爆発しろォォオオオオ!!」

Re: この話、内密につき ( No.6 )
日時: 2013/02/07 21:20
名前: 卵白 (ID: bMBSwVLq)

 リア充なんか、リア充なんか嫌いだ。
 今まさに始まろうとしている親、姉不在というパラダイスを目の前に私の心は一足早く朽ち果てる枯葉のように萎びていた。もう夏休みが終わるとはいえまだ秋には早いぜセニョリータ。
 私は熱湯を注いだカップラーメンを涙目で凝視しながら、子供部屋にある新しいPCを思い浮かべた。
 ご隠居は長年使ってきて、壊れたときには茫然自失という言葉が似合うほどに泣きじゃくったものだ。
 だが、新しいPCとの出会いはそれを吹き飛ばすような慶事なのだ。
 私の趣味が創作活動ということは、学校の子達に知られれば私の内心等知らずに『キモオタ』扱いされて倦厭されるので、今まで誰にも創作活動について話したことがなかった。
 皆に囲まれてニコニコしながら、順風満帆な学生生活……俗に言う青春というやつだ。それを送っているのだから文句言うなとか言われそうだけど私はどうしても、趣味について一緒に語り合える友達が欲しかった。
 だから勉強も出来て運動もできるのに、俗に言われる腐女子やオタクといった分類に入っても語り合ってくれる仲間がいる姉が、羨ましくて憎らしかった。いや、姉のことは尊敬している……けどさ。
 私は子供部屋の本棚に隠すことなく押し込められた、表紙を見せるだけで厳重注意されかねない薄い本を思い浮かべ、それを自費出版して全国各地のコミケで散財し、家族や友人に見せたらドン引きされかねない笑いを浮かべている姉の姿を思い出す。
 ……あぁは、なりたくないかな。
 だが、姉に連れて行かれたイベントでは作家さんたちのアンソロジーとかも売られていてすごく勉強になった。そこからスカウトされた人もいるというのだから、私もそういったのを目指してもいいかもしれない。
 それに、私は一次創作から入ったとはいえ二次創作に走ったこともある。けれど、キャラが掴めなくてやめた。
 ちらりと時計を見やると既に三分経って……いや、少し過ぎていた。ぐだぐだ考えているうちに経過していたようだ。
 割り箸とカップラーメンを引っつかんで階段を駆け上がる。子供部屋にたどり着き、自分の机にカップラーメンを置いてPCの開封をしようとして……私の机に貼られたメモが目にとまって、高速で目をそらした。
 えぇい、でも現実逃避してちゃ始まらないよね! と気合いを入れ直して直視する。

『もえ へ
 ちょっと本棚に収まりきらなくなった本、そのPCのダンボール空いたら入れておいてくれない?
 やっておいてくれないとアンタの大切にしてるマンガ切り刻むぞっ☆』

 総毛立った。
 嘘だろう、と思うかもしれない。姉もマンガが好きだからしないだろう、と思って見逃したときがあった。
 でも、やりやがった。
 姉が中学生の時に、同じようなメモを残されて、その時はスルーしたのだが、その次の日に起きたときに見た悪夢は忘れられない。
 その当時私はガンプラにはまってて、一体一体丁寧に組み立てた作品を十体ほど机に並べていたのだ。
 それが、分解されていた。
 粉々に。
 パーツを分解しそのパーツをさらに半分にするという念の入れようで、嬉々として分解する姉の姿が容易に想像できた。
 それ以来、姉には逆らわないようにしている。
 逆らわなければ、たまに、今日みたいにいいことをしてくれるからだ。
 割り箸を割、すっかり伸びてしまったカップラーメンをガツガツと掻き込む。好みの醤油味ではなく味噌味の為、普段より美味しくないと感じてしまう。
 スープまで飲み干してから、容器と割り箸をそのままゴミ箱へ放る。若干汁を飛ばしながら、容器と割り箸は放物線を描いてゴミ箱へとホールインした。後で拭かなきゃ……。

「ったく、凍葉もなんでこんな事するかなぁ」

 新しいPCをどっこいせ、と持ち上げると入口付近まで移動させる。なぜかとう言うと、姉の机が入口と対局に存在して、姉の机の前に本棚に収まりきらなくなったBLでR18な本が山積みになっているからだ。
 そっと一番上の本を見ると、表紙は肌色まみれだった。可能な限り触れたくもなければ表紙も見たくない品である。
 しかし脅されてしまっている以上はしっかり移行させねばならない、と涙を飲んで我慢した。
 早く終わらせてしまおう。
 決意して十分後に、私は拳を握った。全部詰め終わったから、あとはダンボールを外に出せばパーフェクト!
 例え残り少ない夏休みといえども、だらだらゲームをして、ほぼ姉のいいなりになって過ごした大半よりも、残りをすべて新PCに注ぎ込めばその充実感は跳ね上がる。
 明るい未来がすぐそこにみえて、私は精神的にも肉体的にも疲れた体に鞭を打って、ダンボールを持ち上げる。
 しかし、一歩踏み出したところで、自業自得としか言えない罠が私を襲った。

 つるっ。

 ダンボール越しで視界が塞がれていたが、何か液体を踏んだような感覚を足元に感じた。

「えっ」

 紙類は散乱していないし、そもそも飲み物類を、姉も私もこの役五時間の間に飲んでいない。
 嘘だろ、とか思いながらせっかく詰めたのにまた散乱していくBL本を見て絶望に陥り、そして命の危険を感じた。
 ——この後ろ、ご隠居じゃね?
 頭から一気に血の気が引いた。
 頭が角にぶつかれば即死するだろうな。
 体勢を立て直そうにも既に間に合わない体勢になっている。それなのに悠長に考えているのは……走馬灯ってヤツか、それともマンガとかでよくあるピンチの時だけスローモーションになるアレか。
 とどめをさすような痛みが腹部にはしった時に見えたのは茶色の液体。
 ……味噌ラーメンスープの、汁。
 私はそれを加速した思考でぼんやりと眺めていることしかできなかった。
 走馬灯として脳裏に浮かんだのが、今までの思い出とかではなく書きかけの小説であることは、墓場まで持っていける唯一の秘密になった。

 五十嵐萌奈、13歳。
 滑って転び、PCの角に頭をぶつけた事により死亡。




 彼女から吹き出した血液に塗れた同人誌が散乱した部屋。
 彼女の死因となったパソコン——ご隠居が、蜂の大群のように鈍い音を立てて起動した。
 青い背景に白文字で、何かが表示される。



The program is found and prevents the damage to your computer.
When I ignore this, your computer is destroyed.
When I destroy a computer, I can change memory for the USB.

—— The computer discovered a memory device.
A memory person's name: "Moena Igarashi"

Enter: Continuation

I continue it
I continue it
I continue it

I download it. Please wait for a while.

...

An error occurred.
There is not the reaction of the memory device.
I cancel the shift of data and finish a PC forcibly.

Enter...


 ばつん、とPCの画面が黒一色に塗りつぶされる。
 起動音の止んだ部屋は、再び静寂に満たされた。


Re: この話、内密につき ( No.7 )
日時: 2013/02/10 11:23
名前: 卵白 (ID: bMBSwVLq)

 睡魔から開放された場所は、真っ暗闇だった。
 しかし、唯の闇では無く、懐かしいような泣きたくなるような感情に襲われる、暖かい闇。耳をすませば、音が聞こえてきた。
 これは、海のさざ波……? テレビの砂嵐にも似てるような音。よく耳を澄ませば太鼓みたいな音と、洞窟の中のエコーをもう少し柔らかくしたような、くぐもった話し声……のようなもの。
 ええっと、この状況は何なんだろう。
 再び睡魔に攫われそうにになったけど、現状把握しようと思考を始める。
 私の名前は五十嵐もえな。ごく普通の中学一年生で……やたらハイスペックな姉と母を持つ。彼氏いない歴イコール年齢……いや、別に気にしてないけどね! ってか、それはどうでもよくないけどどうでもいいんだよ。
 私は、死んだはずだ。
 しかも、味噌スープで滑って、ご隠居に頭を打ち付けるという間抜けな死に方で、そのうえ新しいPCを買った当日という、最悪なタイミングに。
 どこまで運がないんだよ私は。
 でも、そう考えるとおかしな点が一つ。
 なんで私は意志を持ってこんな暗闇にいるのか、という事。
 とりあえず歩いてみようと足を動かすけど、自分の手足すら見れないなんてどういう事? どんだけ真っ暗なの?
 地面を蹴ろうとすると、ふにょん、とした感触の暖かい何かに触れた。えっ、と驚いて手を伸ばすと、すぐに表面が濡れた、滑らかな壁のようなものが当たる。

「あら……? この子、今動きましたわ」
「そうか? 私も見……いや、触れたいのだが」

 聞こえにくいが、確かに聞こえた言葉に硬直した。最初が女の人の声みたいで、次が男の人の声みたいだった。女の人の声は、自分の中に響く感じがするような……太鼓が刻むリズムが少しだけ早くなる。砂嵐も同じように早く。
 砂嵐にも聞こえるけど、この音どっかで聞いたような……。
 そう考えてからはたと気がつく。ビニール袋をガサガサする音に似ているんだ。
 そういえば赤ちゃんがビニール袋のガサガサ音で落ち着くのは、子宮の中の音に似ているからだっていうのを聞いたことがあるなぁ……。って、ちょっとまって。
 ここ、子宮だったりするの? まさか、地面だと思ってたのは胎盤?
 とりあえずお腹のあたりを探ってみると、何かがヘソのあたりから伸びている……おそらく、へその緒だろう。さっきから聞こえるビニール袋のガサガサ音のような、砂嵐のような音はきっと血流で……太鼓のような音は、きっと『お母さん』の鼓動だろう。
 母さんがまだ生きているのに、お母さんが新しく出来てしまった。なんて奇妙な体験だろう。
 慌てていると、暗闇が僅かに明るく、赤みを増した。緋、と表現するのが正しいような色合いの壁から、黒い影が近づいて来る。某名探偵の犯人みたいだ、とか思ったのは内緒。

「父様、このような所では寒うございますわ。この子も驚いて暴れだしたようですよ」
「私の子だぞ、それくらいは大丈夫だろう。……元気な子を産めよ、リーベ」
「素敵な男性に育つような、立派な男子を産みますわ。期待していてくださいませ」
「それは嬉しいな。ミサも喜ぶだろう」

 穏やかな会話な後に、優しい笑い声が響いた。夫婦仲は良いようだ。ひとまず安心した。
 ……母さんも、こうやって私を産んでくれたのかな。
 じわりと涙が生まれて、周囲の水——おそらく羊水——に溶けて消えた。
 お母さんは、女手一つで私達を育ててくれた。家族のために仕事を頑張るお母さんだったけど、どうしようもなくそれが寂しかった。
 凍葉は我慢しなさい、って言って平然としていたから、余計に。
 シングルマザーだからって小学校では虐められて、そんなの気にせずに支えてくれた人達がいなければ、私は中学校で不登校になって、中卒でどこにも就職できず、部屋の中に閉じこもったまま一生を終えていただろう。
 仕事のストレスが溜まっているのか、男みたいに乱暴な口調の母さんは、いっつも出来のいい凍葉ばっかり褒めて、私には「もっと頑張れ」って言うだけだった。
 私はもう頑張っているのに、これ以上何をがんばれっていうの!? ってキレて、反発したことも何度もあった。
 普段、母親がいることが当たり前になってて、母さんは私みたいに出来の悪い子じゃなくて凍葉みたいに出来のいい娘がもうひとりいたほうがいいんだ、なんて思うようになってた。
 だから、忘れてたんだ。子供が親に望まれて生まれてくることを。
 母さん、親不孝な娘だったね、ごめんね。もっということ聞いて、イイ子にしてればよかったね。
 お母さん、まだ顔も見てないけどさ、精一杯親孝行するね。
 今度は、後悔しないように、一生懸命……自分の道を生きて、お母さんを大事にするから。
 あぁ、こんなことになるんだったら育児関係の本とか読んでおけばよかった。でも夜泣きをしないようにってことはわかるから、頑張ろう。
 まず、最優先事項は……からだの向きを変えることだな。逆子で難産とか、イヤだしね。