複雑・ファジー小説
- Re: 夏のおわりの挽歌 ( No.2 )
- 日時: 2013/03/28 22:22
- 名前: 名純有都 (ID: td9e1UNQ)
第二章 命の名前
夏は憂鬱だ。高校生なら、きっと男女で青春を謳歌しているのだろうけど。あいにく、ここは田舎だ。私は、誰かといるのをずいぶん前にやめた。
重い籠を抱えながら、サンダルを引きずって歩く。サンダルの下のアスファルトが熱を持っていて、足の裏が熱い。痛みになってくる。籠の中には冷たい氷と、清流で洗った野菜。一時間くらい置いておいたから、きんきんに冷えている。
アスファルトの向こう側には、逃げ水が見える。
プリズム、蜃気楼、陽炎。
どれでもいいが、本当に水溜りのように見える。
木々が地面に濃い影を落とし、それは細く長く線を引く。私はその上を飛び越えながら、ただひたすらに一本道を歩いて行く。だだっ広い田んぼのあぜ道に抜けると、逃げ水は遥か向こうまで待っていて私が立ち止まればとそれも止まる。
昨日みたいに風が吹くこともない、今日みたいな暑い日にしか見られない「逃げ水」。蒸した空気、突きぬける弓なりに反った空。否が応にも夏だと、そう感じた。
「——こりゃ、もっかい冷やさないと痛むわね」
私は思わずつぶやく。まだまだ家までは遠い。3週間分の食糧だし、相当重い。バイク便はまだ来ない。肉類の痛みやすい食料はまだ見込めないから、里の方まで下りたのだが、やはりこうも暑いと体力を削がれる。
「冬だったら、スノーモービル使えるんだけど」
額から、汗が流れてきて落ちた。そろそろ、この重い荷物を置きたい。もう一度戻るわけにもいかないし、この先にもまだ川はある。
うし、と気合を入れて籠を持つ手に力を込めた。
夏っていう季節は、私に何かを思い出させる。でもさっき思ったことは、子供の頃のことだ、私ももう大人になった。下らないと思う、今では。私も、私を捨てて死んだ親も。母への気持ちはやつ当たりで、父へものは恨みだったと思う。
だから時々、私は自分の手首を掻き切りたくなる。
喉を裂いて、心の臓を突き刺して、この身にある血を全て流してしまいたくなる。
そう思ったのはおかしいことだろうか。憎く思いはしない。もう昔のことだ。私は、割り切った上でこの衝動に耐えているんだから。もう死んでいる。もう風間小夜子は死んだ。風間小枝子の娘は、あのとき永久に死んだ。
今の私は、まるで隠居のように、現世を捨てたただの女。名を捨て、この世を捨て、心を捨てた。捨てようとしなかったのは、命だけだった。
たとえ衝動に負けて命を捨てたとして、あの時に自殺が成功したとしても。現実、今この刹那に私は生きているわけだから。