複雑・ファジー小説

Re: 夏のおわりの挽歌 ( No.7 )
日時: 2013/03/28 22:34
名前: 名純有都 (ID: td9e1UNQ)

第七章 喉元の哀しみ

 夏の風が頬に吹いたのを感じて、眼が覚めた。
 生きている、というのは浅い夢の中でうすうす感づいていた。
 私は布団に寝かされていて、ここが、自分の家ではなくて。そして、やっぱり、夏は嫌だと感じる自分がいる。

 それから、私は当惑し幻滅した。あまりにも相応しくない、眩しすぎた光が照らしていた。
 空がみずみずしく光っていた。生々しいその色と、雲のコントラストが目を焼く。

 あの青年は、自分を殺すほど力を入れていなかったのはわかる。だから致死には至らなかった。
 相変わらずいらいらするくらいに綺麗な青空と、かき氷みたいな入道雲。風鈴がその風景に混ざり込んで、朝顔が花を添える。
 
 虚しい。この自分と反して綺麗な世界が、虚しい。
 人間が虚しい。空虚だ。空っぽで、すかすかの胡瓜の様な。外側だけ大きくなって、中はなにもない。

「この家、チエおばあちゃんの……」
 
 まだだるい体を起こし、周りを確認する。やっぱり、チエおばあちゃんの家だ。

「——さよちゃん!!」
 
 びっくりしたような声で、おばあちゃんが駆けこんでくる。持っているお盆の上には、水が乗っていた。

「チエおばあちゃん、私はなんで、ここに」
「そんなことはいいんだよ、起きてても平気かい?」
 
 私が問うと誤魔化すようにおばあちゃんは言って、私を寝かす。なんだか、その行動は誰かが私を運んできたことを自白しているようで。

「……男のひとが、私を運んできた?」
 
 チエおばあちゃんの背中が跳ねた。肯定の証だった。
 きっと、おばあちゃんには見た瞬間に彼が広太郎君だとわかったのだろう。だからこそ、余計に。辛かったのだろう。

「……そうなんだね。その人が、広太郎君によく似てたんだね」
「さよちゃん、さよちゃんは、わかったのかい」
 
 おばあちゃんの声は、かすかに震えていた。

「——うん。おばあちゃん、あの人は、なんて言ってた?」
「……私にね、何回も謝ってたよ。ごめんなさい、って」

 広太郎君。彼は、何を思って謝ったのだろう。
 チエおばあちゃんは泣きそうに、困ったように下を向き、ふと懐から紙を取り出した。

「……これ、手紙」
「さよちゃんに、渡してくれと。読んであげて、さよちゃん」
 
 チエおばあちゃんは、あとは何も言わずに去った。
 私はその紙を広げ、眼で文字を追った。その走り書きの文字は、私宛てに書かれていた。

『あんたのいう不幸というものは、きっと俺には分かり得ないものなのだと思う。
 あんたの不幸は、死ぬことでしかほどけない、癒されないというのを俺は思い知らされた。
 俺は、死に瀕した瞬間に笑うことなどできない。あんたみたいに、穏やかに笑う事はできない。
 俺が、まだ諦めていないなら、幸せになれる道はあるか?
 でもあんたのことは誰にも元に戻せない気がする。
 気の遠くなるような時間、あんたは待てるか?家のばあちゃんが心のどこかで待っていてくれたように。
 俺はあんたの代わりに、絶望から這い上がって見せる。
 でも、あんたが言ったことにひとつ間違いがあった。
 失うものが無くなったなら、あんたは守るものをつくればいい。そうじゃないか?
 これはばあちゃんの受け売りだけどな。』

 生きていてつらくないか。
 そう聞かれたことはない。つらいという観念と、死にたいという思想、逃げたいという願望は別物で、私の心に一言もつらいという思いはうかんだことさえなかった。
 でも、私は思う。
 目が見えなければよかった。
 そうすれば、この綺麗な世界を見ることなく、人の時折見せる優しい感情に触れることもなく、目にすることもなく。汚い世界と思いこんだまま、憎悪をしっかり抱いたまま私は簡単に逝ったはずだ。全ての優しさは偽善だと悟ったまま。
 でも私は昔から知っている。この世界の色を。色彩を。
 それから、だれかに助けられた時の安堵も、死ぬと感じた時の一抹の寂しさも。
 世界は綺麗過ぎた、私が嫌いになるには。
 生きることは嫌いだ。でも、捨てきれないくらいの愛着は持っている。


「矛盾していない? ねぇ、広太郎君」


別に私は、誰から見たって不幸ではないのに貴方はなぜ私のことを不幸だと言いきれるのだろうね。