複雑・ファジー小説

OUTLAW 【参照2000ありがとうございますっ!!】 ( No.231 )
日時: 2013/08/10 23:59
名前: Cheshire (ID: f7CwLTqa)

「そしてここに」

 パレットを俺のほうへ向けたまま、彼は黒の絵の具のチューブを取り出し蓋を開けた。

「違う色を加えたら」

 白と同じくらいの量を出し、近くに置いてあった筆で手馴れた手つきで混ぜる。

「当然、色が変わります」

 灰色の出来上がりだった。どこかのコンクリートのような、不安を掻き立てる色だった。

「白は凄く、色を変えられやすいんです」

 自分で作った灰色を見つめ・・・というより睨みながら、視線を向けずに俺に言葉を投げかける。

「ですが、性質上、色を変えられた白は」

 パレットをパタンと閉じた。

「元の色に戻すことができません」

 眼鏡の奥の瞳が俺を捉えた。

 どんなに絵に関心がなくても、絵の具を扱ったことくらいは一応ある。

 白は色を薄める色。白い紙にそのまま使うことはそうそうない。

 それくらいの認識でしかなかった。

 だから、違う色を「白」にしようとなんて思ったことさえない。

 けれど言われてみればそうだ。

 白を他の色に染めるのは容易い。

 でも、他の色を白に染めることは難しい。

「灯ちゃんは白いんです」

 今までの物静かな雰囲気とは一変し、彼は酷く冷たい印象だった。

「だから簡単に染められて、それでいて元に戻るのは困難なんです。それこそ今の何倍もの量の白を混ぜないと、元の色には戻れないんです」

 どこか儚げに切なげに、彼は目を伏せた。

「それが、灯ちゃんなんです」

 俺は何て声をかけていいのか分かんなくて、黙ってしまう。

 本音を言ってしまえば、そんなことを言われても杵島を白いとは思えない。

 だって俺は白い杵島なんて見たことがない。あの夥しいほどのどす黒いオーラを纏ってる杵島しか見たことがない。

 そんなんで信じろというほうが無理な話だ。

 確かに彼は、彼の言う白い杵島を見たことがあるのかもしれない。が、俺はないのだから仕方がない。

 だけど多分、それを彼に言うのは間違っている。

 俺はそこまで、杵島を知らない。親しくない。何も知らない。

 彼のほうがよっぽど、杵島を理解していることだろう。

 だったら、俺に杵島について何か言う権利はほとんどない。

「・・・ごめんなさい、話が逸れてしまいましたね」

 自重気味に笑った彼は、さっきまでと同じ物静かな少年だった。

 今までの彼と今の彼、どちらが本当の彼なのかは、分かりかねるけど。

 でもだとしたら、さっきの話題には触れないほうがいいのだろう。

「平気。つーか、よくあいつが許したよな。絵に描かれるとか写真とか嫌いそうなのに」

 俺は描かれてても全然平気だったけど。・・・皐だけかな?まぁ、何でもいいか。

「あぁ。あれは勝手に描いたんです。そしたらあんな賞取っちゃって、半ば無理矢理美術部に・・・」

 ・・・え?

 今さらっと、凄いこと言わなかったか?

「勝手に、って、大丈夫だったのか?」

「え?駄目に決まってるじゃないですか。おかげで毎日悲惨な状況です」

 にこやかに言われるからか、全く現実味がない。

 どちらかというと、満足しているように見える・・・。マゾヒストなのだろうか。

 机の上の備品も大分片付いてきたようだ。あとは細かいものしかないように見える。

 そろそろ俺も帰ってみんなと捜査に入ったほうがいいかな。

 とか思った瞬間、俺の視界の中に思わぬものが入ってきた。

 小さなビニール袋の中。


 堅そうなイメージがある角ばったパン。


 そのパンに見覚えがあった俺は、すぐさま凄い勢いで机に近づきそのパンを凝視した。

 3回目の犯行。如月美羽のときに、プール更衣室に落ちていたのは、如月美羽のストラップと

 一欠けらの、パン。

 形、色、質感・・・それら全てがよく似ていた。

「おい」

「なんでしょう?」

 声をかければすぐに返事が帰ってきて、彼は作業をやめて俺のほうを向いてくれた。

 1度唾を飲み込んでから、気持ちを落ち着かせる。心臓の動きが早いのだけは止まらなかったけど、この際どうでもいい。

「このパン、なに?」

 袋の中のパンを指差しながら、できるだけ普通に聞く。・・・聞いたつもりだ。

 彼は俺が指差すものを少し背伸びして確認したあと、すぐにあぁ、と声をあげた。


「それは消しパンです」


「消しパン?」

「はい。デッサンとかやるときに、消しゴムより紙を傷めずに消せるんです。確かそれは熊谷先生の所持品だと思いますよ」

 その言葉に驚き、袋を見ると小さく「くま」と書かれている。熊谷と書くより遥かに楽そうだし、そう書いても不思議ではない。

 彼の話しは続いた。

「この間まで使ってたやつをなくしちゃったみたいで、別のを家から持ってきたそうです。まぁ、絵に集中してると結構消しパンって袖の中とか服の隙間とかに入りこんじゃうことがよくあるんです。だからどこかに落としてきちゃったのかも・・・」

 辻褄が合う。

 第三の犯行の際にプール更衣室に落ちていたパンが、これと同じだとすれば熊谷信之があの場にいた証拠になる。

「悪い。これ借りてもいいか?」

 つい掴んでしまったパンの入った袋を彼に見せると、にっこり笑って「もちろん」と返された。

 如月美羽と、天内の犯行現場に熊谷信之がいたことが証明された。

 現在の段階でこれほど有力な情報はない。早くみんなに伝えないと、と思って俺はポケットの中から携帯を取り出し、メールを作成し始める。

「熊谷先生この頃様子が変なんですよね」

「どういうことだ?」

「何か、疲れてるというか焦っているというか・・・製作中の絵が残ってて、早く続きを書いて欲しいんですけど・・・」

 パンの所持者が熊谷だったためか、彼が不意に熊谷のことを話し始める。今の状況においてはどうでもいいことではないので、とりあえず相槌を打つことにした。ただ、集中しているのは携帯だ。

「絵?」

「はい。今までの画風と180度違うので、いろいろ教わろうと思っていたのですが・・・。見ますか?」

「いいのか?」

「知られなきゃ大丈夫でしょう」

 案外融通が利くことに驚きながら、歩いていく彼についていく。

 奥へと進んで準備室をくぐる。どうやら美術部の作成途中作品を保存する場所も兼ねているらしい。彼は生徒たちの作品だと思われる絵や彫刻の中の1枚を俺に見えやすくなるように移動させた。

 ・・・思考が止まった。息を呑んだ。

 美術の感性は俺にはよく分からない。ただ俺はこの絵を上手いとは思えなかった。だったら皐の絵はもう神の領域だし、彼のあの杵島の絵のほうがよっぽど上手い。だが、ピカソのよく分からない絵を天才と称するような美術の世界だ。もしかしたら上手いのかもしれない。

 多分、女の子・・・なんだと思う。いや、少女といったほうが妥当だろうか。多分俺らと同い年くらいの・・・15,6歳ほどの女だ。

 髪の色も長さもばらばら。顔の部品たちはお世辞にも整っているとはいえない。もともと人の顔は左右対称ではないけれど、これは度を越えている。全てが曲がって、場所もばらばらだ。昔の遊びでよくある副笑いの、少し成功してるけどやっぱり違うやつ、に似てる。肌の色も所々違うし、身体だって歪んでいる。手足なんか長さも違う。・・・とにかく何が何だか分からない。幼稚園児の絵とそう変わらない。

 俺には何が書きたいのかよく分からなかった。