複雑・ファジー小説

Re: 死本静樹ノ素敵ナ死ニ方。 ( No.1 )
日時: 2013/02/17 13:16
名前: 紅蓮の流星 ◆vcRbhehpKE (ID: x6P.sSUj)




   ◇◆◇◆◇



序章【縊死】
(縊死《イシ》トハ、首吊リニヨッテ死ヌコトデアル。紐ヤ縄ナドヲ首ニカケテ圧迫シ、結果的ニ死ニ至ル事ヲ縊死ト呼ブ)



 同じマンションに、時代小説家・死本静樹(シニモトシズキ)が住んでいるという話を聞いた。
 死本静樹といえば、今をときめく有名な作家だ。まるで実際に体験したかのようにリアリティ溢れる、それで居て残酷で鮮烈な描写とストーリーが彼の作品の持ち味である。特に若い人達からの強い支持を受け、人気を博している。
 かくいう私も彼のファンであり、彼の影響というわけではないが、趣味で小説を書いている人間だ。
 そんな私は、小説を書くにあたって何か参考になる話が聞けるだろうか、あわよくば彼の仕事を見学したいと思って彼の部屋を訪れた。
 インターホンを鳴らす。しかし、反応は返ってこない。もう一回鳴らしてみる。それでも返事が無いので、留守だろうかと少し落胆しながらドアノブに手をかけてみる。
 するとドアノブはすんなりと回って、ドアは奥に開く。意外にも鍵はかかっていないようだった。もしかして居るのだろうか。一応こんにちは、と小さく呟きながら、おそるおそる一歩入ってみた。
 中は薄暗くて、どこからか強い異臭がする。何かが目の前にぶら下がっているようだが、良く見えないので電気を付ける。

 したところ、若い男のヒトが首を吊ってぶら下がっていた。

 ジーンズの股間は濡れていて、ぶらんと垂れた足の先から液体が滴り落ちている。排泄物のキツい臭いが鼻をつく。口はだらしなく開いて唾液を流し、舌が出ている。涙が頬を伝っている。目玉は真っ赤に充血して、中途半端に飛び出している。左右それぞれの目が別々の方向を向いたまま、瞬きすらしない。若い男は天井からロープでぶら下がったまま微動だにしない。
 私は声を上げることも出来ず、力なく尻餅をついた。こんなの私だって分かる。もうこのヒトは死んでると。
 異臭と目の前の光景の悲惨さに込み上げる、胸の奥の激痛と吐き気を必死で抑えて、なんとか冷静を取り戻そうと努める。こういうときどうすりゃいいのよ。救急車呼べばいいの? いや、でももう死んでるでしょう、これは。警察を呼べばいいんですか? ショルダーバッグから携帯を取り出す。ガラケーである。あ、手震えてる。上手くボタン押せない。
 ……本当に死んでるよね? 少しだけ不安になって、もう一回首吊り死体を見る。正直言って、見るに耐えない有様だ。死体の目玉は相変わらず中途半端に飛び出していて、左右別々にあらぬ方向を見ている。



 その目玉が、ぎょろんとこっちを見た。



「……ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああっ!?」

 大絶叫。
 座ったまま飛び退こうとして後頭部を強打する。激痛が走る。目の前に星が散る。
 もう一回顔を上げると、やっぱり死体は私をガン見している。
 かと思えば、今度は、宙ぶらりんのままじたばたと暴れだした。

「っぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああ!!」

 メチャクチャ怖い。
 と、いうか何これ、何これ、何コレ!? 何が起こってるの!?
 男の身体はブランコのように揺れて、天井から伸びて彼の首に巻きついている縄はギッシギッシと音を立てて軋む。飛び出た目玉で私を凝視しながら。
 何やら水のようなものが数滴こちらへ飛んでくる。
 怖すぎてとうとう涙が出てきた。
 あわあわ、と間抜けな声を出すことしか出来ない私を他所に暴れまわる首吊り死体は何を思ったのか、天井を勢いよくぶん殴ってぶち抜いた。天井に穴が空いたことで、金具のようなもので縄が括り付けられていた辺りが丸ごと剥がれる。
 首吊り死体は、縄を首につけたまま、べしょっと床にうつ伏せで落ちた。それから何度も大きく咳き込んで、しまいには、自分の排泄物がぶちまけられていた上から嘔吐する。男は吐いても尚、何度か小さく咳き込んでいた。

「……アーア。また今回もダメだったかぁ……」

 割合高めで乾いた声で、男は独りごとを言った。
 それから顔を上げて、また私と目を合わせる。涙と唾液と胃液で汚れた男の顔は青白く、中性的で整っていた。目はまだ少し充血してはいるものの、もう飛び出してはいない。
 彼は、腰が抜けてしまって動けない私をまじまじと見つめている。何で生きてるの、このヒト。てか何が起こってるの。何、コレ。コレどういうことなの。どうなってんの。

「そんで、君は誰よ?」
「あ、へ?」

 我ながら奇妙な声が出た。略して奇声。つまり私は奇声を上げたのである。

「あへじゃなくてさ」
「あ、わわぁわた、わたっ……」

 震えて声も上手く出ない。落ち着け、落ち着け、落ち着け私。
 そうだ、深呼吸だ、ゆっくり、ゆっくり。

「死本さん、何事だぁっ!? 女の叫び声と何か凄い音聴こえたぞ!?」

 いきなり背後のドアの向こうから男の声が聞こえてひっくり返りそうになる。

「アー、大丈夫っす! ちょっとDVD見てたんですけど、間違って音量最大にしちゃって!」
「んだよ、またかよ。吃驚させないでくれよ……」
「ご迷惑かけてすみませぇん!」

 彼が咄嗟についた嘘を聞くと、ドアの外の男はうんざりした口調で何かを呟きながらどこかへ行ったようだった。
 ちょっと、待って。さっきの人、確かに『シニモトサン』って言った?
 まさかとは思う。だけど。

「そんで、話は戻るけど、君、だれ?」
「あ……わ、私は……音無澪(オトナシミオ)っていいます……」

 淡々とした、目の前の彼の口調に多少気圧されながらも、なんとかゆっくり自分の名前を言う。

「知り合いじゃないよね?」
「あ、はい……私、死本静樹っていう小説家のファンで……同じマンションに、死本さんが住んでるっていう話を聞いて……お話を聞きたいなって思って、来た、んですけど……」

 顔面が汚物で汚れた美青年の目を、改めて見据える。
 あわよくば、部屋を間違っていたとか、そんなくだらない結末であって欲しい。そんなことを祈りながら、恐る恐る訊く。

「あの、もしかして……あなたが死本静樹先生……ですか?」
「そうだけど」

 首から縄をぶら下げたまま、唾液やら胃液やらにまみれた黒いシャツの男は——死本静樹は即答した。