複雑・ファジー小説

Re: 死本静樹ノ素敵ナ死ニ方。 ( No.12 )
日時: 2013/02/27 11:01
名前: 紅蓮の流星 ◆vcRbhehpKE (ID: x6P.sSUj)




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「静樹さん、また玄関の鍵開けっ放しでしたよ」

 私が声をかけると、流血してぶっ倒れている彼は何かを呻きながら、イモムシのようにもぞもぞと蠢いた。それから、ごろんと仰向けになる。綺麗で整った顔の口の端から伝っている、一筋の血が白い肌に映えている。
 彼は寝起きのように呆然とした様子で、どこか空中の一点を見つめていた。

「……ろ」
「は?」

 彼が不意に何かを呟いた。小さな声でよく聞き取れなかったので聞き返す。

「白」

 よくよく見れば、彼の視線の先は私のスカートの中にあった。
 スカートの裾を押さえて、その頭部を思い切り蹴り飛ばす。

「痛って! 痛ってぇ! おまっ、バカじゃねぇの!? そんなとこに立ってる方が悪いんだろが!」
「見るほうが悪いです」
「バッカじゃねぇぇの!?」

 彼は頭頂部を抑えて、小学生のように猛抗議する。彼が普段やっていることの痛みに比べればこの程度屁でもないくせに。
 思わずため息が出た。そしたら、溜め息を吐きたいのはこっちだよと言われた。

「……それで、今回は何を試したんですか?」
「ん、アー……割腹自殺」

 彼の手にあるナイフを一瞥する。刃渡りの長いナイフは、根元まで真っ赤に濡れていた。

「横じゃなくてさ、縦に垂直にやってみたんだけどダメっぽい」

 そう言いながらシャツの裾をたくし上げる。これでもかと血に汚れたシャツとは裏腹に、その腹部には傷の一つも無かった。
 彼はナイフを空中でくるくると回して、キャッチする。それから自分の頬を、ナイフで浅く切り裂いた。彼が手の甲で頬を拭うと、傷はどこにもなかった。
 これが死本静樹(シニモトシズキ)だ。
 一ヶ月前、私は同じマンションに住んでいる、有名な小説家である彼の部屋に来た。そこで見たものは、首吊り死体。そして、その首吊り死体こそが彼である。
 彼の話によれば、彼は、400年前に『ヒョンナコトデ』大抵の傷はすぐに治る、何をやっても死ねない、老いを知らない身体になってしまったらしい。
 以降、数世紀にわたって彼は『自分ガ死ネル方法』を探しているのだそうだ。
 こうやって、古今東西の自殺を試すことで。

「っつか、来るなっつってんだろ、いつも」
「静樹さんが不老不死で、毎日のように自殺を試しているって誰彼構わず言いふらしても構わないならそうしますけど?」

 静樹さんは舌打ちをして、悪態をつく。彼は誰かに自殺現場を見られるたびに、名前も住む場所も職業も変えている。面倒なことになるのを避けるためだ。
 ここで私が誰かに彼の正体を話せば、彼はまた名前を変え、新たな職業と住居を探さなければならない。
 だから私は彼の秘密を黙秘する。その代わり彼は私に、小説を書くための知識などを伝授する。江戸時代創設期からずっと歴史の変遷を直に見てきた彼は、時代小説家としては一流だ。
 利害は一致していた。
 彼はバスルームを出ると、血まみれのシャツを無造作に投げ捨てて洗濯機の中に投げた。

「うわちょ、いきなり脱がないでくださいよ!」
「ウルセーな、そっちが勝手に上がってきたんだろが。つぅかさっさと出てけ」
「言いふらしても良いんなら……」
「シャワー浴びたいから風呂場から出ろっつってんだよバカヤロー」 

 小さく謝ってそそくさと脱衣所を後にする。
 とりあえずはリビングに腰を落ち着けた。彼の部屋は相変わらず綺麗に片付いており、生活に必要最低限のものしか置かれていない。いつでも引っ越せるようにしているのだろうか。
 そういえば、縄とかナイフとかワイヤーとかギロチンとか安楽死装置とかモーニングスターとか、彼は自殺に使うための道具を、普段どこにしまっているのだろう。
 縄とかナイフならまだともかく、モーニングスターとギロチンと安楽死装置はそもそもどこから仕入れたんだそんなもん。
 ……そんな大仰なものまで持ち出したり、角度を変えて首を吊ってみたり、腹を切ってみたり、そんなことを400年もの間繰り返しても、未だに彼は死んでいない。だとしたら、彼が本当に死ぬための条件とは一体何なのだろう。
 そして、400年もの間、自分を殺し続ける理由とは何なのだろう。
 彼の作品は江戸時代の前期から後期までを題材にしている。だけど、江戸時代の最初期、つまり彼が不老不死になったであろう時期の作品はまだ存在しない。
 彼自身にそれを尋ねても、その話題になると彼は上手い具合に話を逸らすのだ。
 聞かれたくないのは明白だった。だから私も、それ以上踏み込めずにいた。
 それに今日私がここへ来たのは、それとは別に相談したいことがあったからだ。
 リビングの扉が開いた。考えごとしている間に、彼はシャワーから上がったようだ。まだ彼の髪は濡れていて、バスタオルで拭いている。

「そんで、今日は何だよ。推敲か?」

 彼はテーブルを挟んで、私と向かい合って胡坐をかく。
 めんどくさいだの何だのと言いはするが、基本的に仕事や頼まれたことはきちんとこなすタイプであるようだ。

「いえ、今日は相談したいことがあって」

 ふむ、と彼は相槌を打った。彼の髪の先を伝って、水滴がひとつ落ちる。

「私のクラスメイトの男子の話なんですが」

 私は、だいたいのことの顛末を話した。来栖君のこと、彼が虐めに苛まれているということ、昨日のこと。
 一通り私の話が終わると、静樹さんはなるほどね、とひとつ頷いてから言った。



「ほっとけば?」