複雑・ファジー小説

Re: 死本静樹ノ素敵ナ死ニ方。 ( No.9 )
日時: 2013/02/20 14:18
名前: 紅蓮の流星 ◆vcRbhehpKE (ID: x6P.sSUj)




 本名、来栖信夫(クルスシノブ)。口数が少なく控えめで目立たない性格で、いつも自分の席で一人でお弁当を食べている、という印象があった。私も彼と話したことは一度も無い。
 だけど、少し前に男子のグループに混じってゲームをやっていた時期があった。四人ぐらいでパーティーを組んでモンスターを倒しに行くやつだ。普段全く笑わない彼が、彼らと一緒にゲームしてるときだけは楽しそうに笑っていたからよく覚えている。
 彼に対する風当たりがおかしくなってきたのは、その少し後からだ。
 何があったのか、私はクラスの男子とは殆ど話さないから知らないが、ある日彼がびしょ濡れで教室に戻ってきた。
 メグに聞いてみると、他にも上靴を引き裂かれたり、筆記用具や教科書を捨てられていたり、本人も蹴られたり。エトセトラ。要は『イジメ』を受けているという話だった。それも、かなり酷い類の。
 やってること自体は非常に露骨だが、生徒間は誰も口出ししない。本人もなんとか言い訳を取り繕って、やった本人らは素知らぬ振りをする。

 イジメというのは、やっている本人たちに罪悪感の類は存在しない。『チョットシタ遊ビ』のつもりでやっているからだ。
 イジメを受けている本人は、下手に親や先生に相談したところで『謝ッテ終ワリ』で済まされたらたまったもんじゃないので、或いは言っても無駄なので、誰にも言わない。それどころか次はどんな仕打ちが待っているかわかったもんじゃないから。もしくは、大騒ぎにしたくないから。
 その周りも、自分が巻き込まれたくないから関わり合いになろうとしない。それどころか、自分以外の誰か一人がスケープゴートにされている間は自分は安全だと考える。
 いじめというのはこうして、上手いこと組み上がっている。だからバレないし、バレても、イジメを行っている本人らにとっては『ワケノワカラナイコトデ怒ラレルダケ』。その程度の認識しかない。
 子供の最大の武器は、大人の甘さに付け込んで、まんまと利用するところだ。
 大人の世界でもいじめというものがあるのかどうか、私はまだ知らないけど。
 一方傍観者である私は、反吐が出るとは思うけど、自分が危険に晒されてまで助けたいとは思わなかった。その日までは。

 その日の帰り、私は筆記用具を教室に忘れた。その日は生憎金曜日だったので、学校に取りに戻らなければならなかった。
 したところ、教室の床に破られた紙が散乱しており、その真ん中に男子生徒が座り込んでいた。
 来栖君だ。
 彼は、私が教室の扉を開いた音に過剰なまでに怯えた。彼は泣いていたが、私の姿を見ると慌てて涙を拭って、床に散らばった紙を拾い上げ始めた。

「手伝うよ」

 私もしゃがみこむ。

「いや……いいよ」

 彼の言葉を無視して、破られた原稿用紙を拾い上げる。来栖君は何も言わないまま、黙々と紙を拾う。

「来栖君も小説書いてるんだね」

 私がそれだけ言うと、来栖君は少し目を丸くして顔を上げた。手を動かしたまま、私も書いてるんだと言う。
 彼は適当に相槌を打っただけで、また破られた原稿用紙を拾い上げ始めた。成る程陰気だ。或いはそうならざるを得ない環境に置かれてしまっているのか。
 拾い終わると、彼はおぼつかない足取りで立ち上がった。それから一言だけ小さく、ありがとう、と言った。エナメルのバッグに破れた紙の束を詰め込んで、足を引きずりながら、彼は逃げるように教室を後にした。
 彼が暴行を加えられた後、学校に持ってきていた小説を、彼を虐めているであろう奴等に破かれたのは容易に想像できた。
 私も小説を書いているから、もし自分の作品がそんなことをされたらと思うと死ぬほど胸が痛い。小説に限らず、作品を生み出す人間にとってそれは、いわば『自分ノソレマデノ人生ノ全テ』だ。それをくだらない奴等に踏みにじられたらどんな気分か。どうとも思わなければ、たぶん、壊れてる。
 益してや、途切れ途切れながらも先程目にした彼の文章は、未熟ながらも必死さが伝わってきた。
 自分には、もうこれしか残されていない。ここにしか自分が生きていける場所は無い。文面を通して、字面を通して訴えかけえてきているようだった。
 文字を書くことでしか生きられない少年に、少しだけ共感を覚える。
 そして私にしては本当に珍しく、気が狂いそうなほどに腸が煮えくり返った。
 人が声を振り絞って『生キタイ』と切実に叫んでいる。それを嘲笑って踏み躙るような奴等には、天罰が下ればいい。死んでしまえ。
 胃がムカつくような感覚を一杯に抱えたままで、筆記用具を持って帰路につく。

 翌日、土曜日。休日。私の足は自然と、ある人の元へ向かっていた。
 二月下旬の空気はまだ冷たく、鋭く肌を刺す。昼間だからと言わずもう少し厚着をしてくればよかったと、寒さに震えながらインターホンを押す。返事は無い。
 こりゃ、またやってるな。そんなことを思いながらドアノブに手をかけると、案の定カギはかかっていなかった。お邪魔しますと小さく言いながら、玄関に足を踏み入れる。
 玄関の天井にあった穴は、もう塞がれていた。部屋の中は一切の音が聴こえてこない。
 風呂を覗いてみると、予想通り、そこにあった。



 大量に血を流してぶっ倒れている、華奢な男性の死体が。
 この人こそ、今をときめく時代小説家・死本静樹である。