複雑・ファジー小説
- 序話 ( No.1 )
- 日時: 2013/03/06 20:25
- 名前: 聖木澄子 (ID: b5YHse7e)
「……あー、どーっすか、これ……」
学校からの帰宅途中。テスト明けということで最高点に達していたテンションを突き落とすかのように、俺の手の中のたった一枚の紙切れは見事にまっかっかだった。それも悪い意味で。
「32点なんてなぁ……いやこれ絶対殺されるだろ、色々と」
天音 光(アマネ・ヒカル)との名前の隣に大きく死刑宣告するは「32」という数字。そして目に浮かぶ、友人とともに泣く泣く椅子に座らされているであろう俺たちの補習の光景。……まずい、これは母さんに殺られる。
ちらりと目線をやった先の鞄、その中にもまぁ八つ当たり気味にぐしゃっと放り込んだ各種テスト用紙があるわあるわ。そのほとんどが32の数学と大した差異もない点数である。
そんな風に気もそぞろで歩いていたからだろうか。人気もない道と油断していたからかもしれない。その時俺は、己に迫る脅威に気付かなかった。
キィイィッ ドッ
「ッ!? ……!?」
突如背中に襲い来る衝撃。そして鈍痛が遅れてやってきた。ふっ飛ばされ、どさり、と倒れる。何が起きたのかすら満足に把握できない状態で、だがそれでも痛みは意識を少しずつ刈り取っていく。
「……っちゃぁ……やっちまった……医者が人殺してどーすんだって話だよなぁったく……」
その意識の中割り込んでくるのは、視界の端に微かに映る黒の車——の主と思しき、男の声。参った、との男の呟きからして、どうやら俺はその車で思いっきり轢かれたらしい。朧げな思考の中でそう他人事のように結論付ける。
いつの間にか、彼は携帯で誰かと話していたらしい。霞み始めた視界の中で、彼はこちらをつと見——
「仕方ねぇな。まぁ元はといえば俺が撒いた種だ。……おい少年、お前はこのままだと——死ぬ」
死ぬ——死。
今までの18年間の中で、考えてきたことが無いとは言わない——だがそれは、日常という安寧の中ではあまりにも縁遠いものであって、そしてそうでなければならないものだった。
だがそれが、今この時、破られようとしていた。唐突に突きつけられた"死"という現実に、間もなく思考がフリーズする。
「……ぇ?」
指先から喪われていく体温と、腹部から流れ出る血。それら未知の感触に戸惑いながら、視線だけを男へとやる。足元で翻る白衣が見えた。
「だが出会ったのが俺だったお前は幸運だ。ある意味不幸かもしれねぇけどな。いいか、お前は生き返れる」
生き、返れる。その言葉に、俺は痛みすら忘れて目を見開いた。
今、この男は。人類がその叡智を持ってしても決して超えられなかった"死"という壁を、超えてみせると。……そう、言ったのだ。
「だから、俺に従え。そしてある少女に従え。そうすればお前は、生き返ることが出来る——人ならざるモノ、死神(シニガミ)として」
シニガミ——死神。"死"という字は同じだというのに、それはどこかあやふやだが姿かたちを持ったものとして潜在するイメージ。死という概念をカタチへと押し込めた存在。今までの俺の18年とは一線を画する、非日常への扉。
だがそれでも。今までの騒々しくも平穏な日常にはもう戻れないとしても。……それでも俺は、生きたかった。
思いに突き動かされ、いよいよぐるぐると回り始めた思考を押して——頷く。
「いいだろう。生きる意志さえあればどうにでもなる。その先は、自分で切り拓け。
……せいぜい楽しむこったな、死神界(ヘルヘイム)への道程を」
その言葉を最後に、俺の意識は、活動を、停めた。