複雑・ファジー小説

Re: 君を、撃ちます。 ( No.50 )
日時: 2014/01/20 22:01
名前: 柚子 ◆Q0umhKZMOQ (ID: T3.YXFX2)



 流れた涙が乾いた。涙が伝った頬は、少しだけ乾燥している。先生は、まだ来ない。保健室を出て直ぐにある職員用玄関からは、女の人と男の人が話す声がする。一つは聞き覚えがあるから、きっと保健室の先生の声だ。
 私はすこしだけ温かい保健室を、ぐるりと見回す。保健室に来たのは、二年生になるまでに二度しかなかった。一度目は、体育の授業中に転んだ友達をつれてきたこと。二度目は、今だ。泣きすぎて保健室に行った、だなんて担任に知られたら一体何を思われるんだろう。

「ちょっとだけ……こわい、かな」

 誰がいるでもない部屋に、私の声だけが反響した。水溜りに石を落としたときみたく、じんわりと波紋が広がっていく。私の声は、差し詰め石だったのだろう。
 静寂に殺されたままいると、部屋の外の話は終わったらしい。ドアノブを捻る音に顔を向けると、先生がはいってきた。綺麗で優しい人だった記憶だったけれど、その記憶は間違っていなかった。

「あれ? 確か二年生の、椿ちゃんだよね。今日はどうしたの?」

 あまり来たことが無いのに知られているのは、きっと三ヶ月前の事件の所為。答えようと思って口を開き、ふと先生の後ろに隠れるようにしている男の子が目に入った。
 目には光が灯っているようには見えなくて、暗く沈んだ表情。首に包帯を巻いた、とても細くて華奢な男の子だ。

「先生、その子、誰ですか?」

 自分の事を聞かれていても、後ろの男の子は視線を上げようとすらしない。先生は一度その子に視線を移して、また私に視線を向ける。私も、自然に先生と視線を交えた。

「この子は、社木 伊吹くんっていうの。丁度椿ちゃんと同じ年齢の子で、この学校に通ってるんだよ」
「そうなんですか」

 よく見ると男の子は髪が茶色かった。肌は白くて、外に出たらすぐに真っ赤になっちゃいそうなくらい。じっと伊吹くんを見つめていた私に、先生は優しく微笑みかける。
 敢えて何があったのかを深く聞いてこないのは、きっと私の頬にある涙の痕を見ちゃったから。そうじゃないとしても、私はそう考えた。私の隣に伊吹くんは座って、先生は私たちの前に腰掛ける。

「……先生、あの」

 三人いるとは思えないくらいの静かさに、思わず私は言葉を発した。

「どうしたの、椿ちゃん」

 にっこりと微笑みかける先生が、私が小さかった頃のお母さんと重なる。また心がずきんと痛んで、先生を見つめたまま涙が溢れた。嗚咽を伴わずに、静かに涙だけが流れる。
 先生は驚いた顔をして、沢山の本が整理された机の上から箱ティッシュを持ってきた。私の涙を丁寧に拭いて、先生は背中を摩る。ゆっくりと一定の間隔で上下に。

 優しさに包まれなれない私のことを、優しさは容赦なく私を包み込む。大好きだったお母さんに貰うことが出来なかった。大嫌いだったお父さんには貰えるはずがなかった。
 手の届かない幻のような優しさに、また私の涙腺は小さな綻びから決壊を始める。隣に伊吹くんがいる事も気にせずに、私は静かに涙を流し続けた。静かな室内に、私の嗚咽が響く。

「椿ちゃん、少しベッドで休む? これじゃ、二時間目も出れないでしょ」

 心配するような先生の声に、私はゆっくり頷いた。そうして、先生に抱えられながらベッドに入る。視界の端で涙に滲んだ伊吹くんは、ずっと窓の外を眺めていた。
 暖かな布団に包まれ、朝から泣き疲れた私は直ぐに眠りに付いた。忍び足でやってくる可愛らしい睡魔に、全てを委ねた。







「つーばきーっ。だいじょーぶ?」

 鼓膜を震わせる声に、私の意識はだんだんと戻ってくる。聞いたことがある、女子の声。

「こら。まだ椿寝てんだから、大声出すなよ」
「そうだよ美優、真浩の言うとおり。美優だって寝てるときに大声出されたら、機嫌悪くなるしょ?」

 優しく美優を諭すのは、きっと春。ゆっくりと目を開けて、体を起こす。まだ少し頭はぼうっとするが、目を擦りベッドの横にいた三人にピントを合わせた。

「今って、お昼休み……?」

 二校時目と三校時目の間に長い休み時間がないから、私はそう聞く。近くにある高等学校と、休み時間は同じような仕様になっているから。返事を求めて、美優たちを見る。真浩が、少し言い難そうに苦笑いをした。

「もう、放課後なっちった。昼休みきたんだけどさ、すげー寝てたから起こすに起こせなかったんだよ」

 ごめんな、と言った真浩だけど、申し訳なさそうには見えない。

「椿。無理はしたら駄目だからね。君が思っている以上に、体は疲れてるんだろうし」

 そういう春は、もう少し頼って、と言っている様に聞こえて胸が痛んだ。やっぱり大親友の三人は、安心感が違う。そう思って、私は素直に頷いた。