複雑・ファジー小説

Re: ケイオズミックス・ホラーズ(短編詰め合わせ予定) ( No.1 )
日時: 2013/04/05 11:49
名前: たろす@ ◆kAcZqygfUg (ID: RnkmdEze)
参照: 嗚呼、来ないでおくれ。


【第一幕:黄印を追うモノ】

1-1

 弟が死んだ。
 それだけでも私にとっては大変な事だが、死に際に弟が寄越した言葉は、更に私を困惑させた。

「兄さん、僕はもうすぐ死ぬが、僕が死んでも書斎の本棚には触っちゃ駄目だ。」

 医者に聞かされた弟の死亡推定時刻とほとんど重なる時刻に録音された私の家の留守番電話のメッセージは、無機質な、だが決して死に際の人間の声ではない声で繰り返し私に申し立てた。 何処か無機質な中に恍惚と酔いしれる風がなくもない。
 少なくとも私は困っていた。 仕事から帰ってそのメッセージを聞いてから直ぐに弟の家に電話を掛けたが音信は不通。
 警察へメッセージのことを話すと、弟の家からは二つの死体が見付かった。 弟と、その辺りを回るゴミの回収社の制服を着た男。
 なぜ弟の家にそんな男が居たのかは不明だが、更に不可解なのは弟を発見したと言う警察官の呟きだった。

「あの男の腐乱具合、少なくとも二か月は経ってるな。」

 彼の呟きを信じるならば、二か月前に死んでいるのは制服の男で(弟は電話を掛けてきたわけなので)、そんな腐乱死体と二か月も弟は一緒に住んでいたのか。 それは大層不可解なことだが、弟の不可解な遺言も可笑しな話だった。
 理由は何であれ自分が死ぬと気付いて、蔵書に触れないでくれと言う。
 それは考えれば考えるほどに不可解な話だった。

*  *  *  *

 ふたつ隣の街、弟の住んでいた街まで弟の遺体を引き取りに来た私は、またひとつ不可解な事実を知った。
 弟の死を調査していると言う刑事が言うには、弟の死因はショック死らしい。
病死や外傷ではない。 弟が自分の死を予見するのは、ましてや死の直前にその旨を私に伝えるのは到底不可能な話だったと。
 私は聴かれるまま弟について彼に話をしたが、弟は病気らしい病気もしていなければ、アレルギーや持病も持っていなかった。 それはきっとカルテを見てもわかるだろう。
 こうして、弟の死にはいくつかの大きな謎が孕まれていることがわかった。
 そして、共に安置所に向かって歩きながら、刑事が死亡時の弟の所持品は警察が保管してる旨を伝えた。 同時に、司法解剖も終えている事を。
 弟の死の解明必要ならば、私はそれで構わなかった。今は弟の死だけで頭が破裂しそうだ。
 そんな私に、刑事はポケットから何かを取り出して差し出しす。

「データのコピーだけさせてもらった。 葬儀をするならこれが必要だろう。」

 そう言った刑事の手に握られていたのは見覚えのある弟の携帯電話だった。 何年か前に会った時に「新型だ」とやたらに自慢していた黄色い携帯電話。 所々塗装が剥げてはいるが、確かに私はその携帯電話に見覚えがあった。
 刑事の言葉で、私は弟の友人や同僚にも彼の死を伝えねばならない事に思い至った。 刑事の配慮に感謝しながら受けとると、彼は礼の言葉も待たずに道を変える。
目深にかぶっていた帽子の鍔に僅かに手をやったのは別れの挨拶だろうか。
 少なくとも私はこれが彼なりの気遣いだと解釈したし、私は彼に終始不快な印象を受けなかった。 近年稀に見る、不思議な紳士だった。
 そのまま足を進め、遺体安置所に辿り着いた私を、まだ若い眼鏡の女性が迎えた。
 恐らく安置所に勤めているのであろう彼女は、何処か朧気な、寒々とした空気を纏っていた。 そんな彼女の小さな「ご愁傷さまです。」と言う言葉を僅かに脳裏に留めて、私は必要な記帳を済ませる。
 安置所の中は彼女の雰囲気に極親い物があった。
恐れや哀しみを逸脱した虚無感、寒々とした、"何もない"感覚。 人間の含む温かみから切り離された、寂しげな空気。
 そんな場所で、私は彼女の案内を頼りに、弟と約一年ぶりの再開を果たした。
 人一人が余裕をもって入れる、横に長い冷蔵庫。 担架にのせられた弟。

「きっと、とても恐ろしい思いをしたのね。」

 隣で一緒に弟の死相を眺めた彼女がそんなことを呟いた。 確かに彼女の言う通り、弟表情は恐怖に目を見開いている。
 見てはいけないもの、触れてはいけない片鱗に触れてしまった様な恐怖の形相。
 ……だが、私はその中に確かな恍惚を感じ取った。
常人は目にしてはいけない、背徳的な世界へ足を踏み入れてしまった人間特有の、歪んだ満足感の様なものを。
 いったい弟が何を見たのか、私はとても、不謹慎ではあるがとても興味が湧いた。
 しかしそんな私の思考を、彼女の小さな咳払いが遮る。 彼女の視線を追うと、私が呼んだ葬儀屋が居た。
 軽く会釈をして、部屋をあとにする彼女。 追うように部屋を出て、また彼女の案内で別室へ移る。
 その間も葬儀屋は口早に挨拶や葬儀プラン等を話していたが、私の目は葬儀屋も、彼女も捉えて居なかった。
 前から歩いてくる黄色い制服の男。
弟の部屋で死んでいた、ゴミ収集の制服を着た男。 その男に、私は視線を奪われていた。
 妙に弛んだ顔や手の皮膚は血色が悪く、溺死体を思わせ、目の回りは落ち窪んでいるのに、死体の様な眼球だけは妙に飛び出して見える。 首は皮膚が弛んでまるでエラのようだ。
そしてゴミ袋を握る指はブヨブヨとしていて、巨大な蛆虫に似ていた。
 余りにも強烈な嫌悪感を覚えて、私はあからさまに顔をしかめてしまう。 しかし制服の男は気にする風もなく通りすぎて往った。
ただ、すれ違い様に醜悪で恐ろしいその顔をニヤリと歪めて。
 それは私の位置からは見えなかった仕草のはずなのに、なぜか私は明確にその醜悪な笑みを見た気がした。
 ゾクリ、と背骨が怖じ気づく様な感覚に身震いした私に、隣の葬儀屋が怪訝な視線を向ける。 きっと彼はあの男の下卑た笑みを見なかったのだろう。
 いや、私だって見ていないはずだ。 見える位置ではなかったはずだ。
 別室に移り葬儀屋と葬儀の打合せをする最中私の脳内のほとんどの領域をあの男の下卑た笑みが占領した。
 死んだ魚を思わせる、飛び出し、濁りきった瞳。 口元が笑みを結んだ僅か数瞬だけ、それがギラリと輝いた様子。
 葬儀屋の言葉など、ほとんど私の耳には入っていなかった。